星が花を咲かせる日(2015.03.15)


・過去捏造注意。
・閣下が星の木を植物図鑑に書こうとする話。

※2017.09.03 全文公開


【1】

南国といえど、プププランドは未だに冬だった。暦の上ではもうすぐ春になろうとしているが、昼間だというのに、この古風な城の空気は今だに冷え切っている。篭った空気の中、賑やかな声が響いた。

「しかしダイナブレイドといい、妖星ゲラスといい、俺たち本当にツイてるよな。何百年とか何万年とかに一回しか訪れない出来事を経験できるなんて」
「妖星ゲラスの件は喜ばしいことじゃないでしょう、ブン」
「そうかなあ。俺、結構楽しかったぜ。世紀末って感じで」
「でも星の木に関して言えば本当に幸運だったわね。私は一生見れないかと思っていたわ」
「ぽよ?」
「カービィもラッキーね。今度のお祭りはみんなで楽しみましょう」
「ぱぁよ!」

大臣一家の娘たちと、宿敵ピンクボールが玉座の間の前の廊下を通り過ぎていく。その会話の中に散りばめられた単語を、この城の所有者であるデデデの地獄耳は聞き逃さなかった。紅茶を運びに来た部下に尋ねる。

「聞いたか、エスカルゴン」
「人にお茶を準備させておいて、聞けるわけないでゲしょうが。フームたちが何かを喋っていたのは知ってますけど」
「上司に有益な情報を集めて伝えるのも部下の仕事の内ゾイ」

デデデはもう一つの仕事をしなかったエスカルゴンの頭を殴る。彼は悲鳴を上げるがティーポットは落とさなかった。やはり何度も殴られているからか耐性がついているようで、ティーポットは死守したようだ。

「祭ゾイ」
「お祭り?はて、こんな季節にププビレッジにお祭りなんてありましたっけねえ。豆撒きはこの前したし、チョコレートは作ったし、人形は飾った。それの他に何か?それに花見の季節はもう少し後のはずでゲス」

この季節なら例年通りにいけば、花見を待つ以外に行事は無いはずだ。エスカルゴンは何も思いつかないといった顔で首を傾げ、ティーポットからカップへと紅茶を注ごうとした。

「星の木祭ゾイ」

が、デデデの一言により彼はティーポットを取り落とす。ガシャンと音を立ててティーポットは割れ、絨毯に熱い紅茶が広がり、湯気が上がった。
星の木。そう呟いたエスカルゴンは猛スピードで走り、玉座の間を出た。それを黙って見ているデデデではない。すぐに彼を追いかける。掃除をしているワドルディたちを蹴散らして廊下を走る。ワドルディたちはその場で何回転もスピンをさせられる破目になった。
エスカルゴンは廊下の角を曲がって見えてきた自室に飛び込み、扉を閉めて鍵をかけた。

「おい、エスカルゴン、待つゾイ!ポットの後片付けをせんか!あとお茶!」

廊下に反響する怒鳴り声はだんだん大きくなり、エスカルゴンの部屋の前で止まる。扉のノブを捻られるが、開くことはない。そしてすぐにドンドンと扉を打ち付ける轟音が響く。鍵のせいで開かない扉を無理に開けようと、デデデがハンマーを叩きつけているのだろう。

「立て篭るな、エスカルゴン!中に入れるゾイ、中々ゾイ!」

エスカルゴンは扉が開かないように必死で内側から扉を押さえるが、非力な彼では突破も時間の問題だった。分かりきっていたことだ。
エスカルゴンは溜息を付くと、扉の上部に付けられた非常ボタンを押す。途端に扉の向こうから、ぎゃあと悲鳴が上がる。突然扉から飛び出したトゲに、デデデがほんの少しだけ手を刺したのだろう。非常ボタンは、扉を外側から誰にも開けられないようにするための仕掛けだった。こんな時のために扉を改造しておいて良かった、とエスカルゴンは安堵した。

「ワシの誇り高き城に勝手に仕掛けを施しおって……。エスカルゴン、扉を開けるゾイ、さもないと極刑ゾイ!」

物騒なことを言うデデデに、エスカルゴンは少し困った顔をしながら、扉越しに返事をする。

「きっと陛下のことだから、お祭りの最中にこっそりカービィを攻めるつもりでゲしょう。でも陛下、私は今回ばかりはそれに手を貸せないでゲス。そのことは申し訳ないでゲス」
「貴様、自分がどういう立場だか分かって言っているのかゾイ。拒否権があるとでも思ったか」
「拒否権があろうとなかろうと、私は私の全身全霊をかけて星の木を見る、それだけでゲス」

エスカルゴンは扉の向こうの空気が一瞬にして冷えたように感じた。元々気温は低かったが、それでも今は春先だ。それなのに真冬に戻ったかのように寒くなった。彼を本気で怒らせてしまったらしい。

「良い度胸だ。エスカルゴン、貴様の処遇をたっぷり時間をかけて考えてやるゾイ。目と顔の間を洗って楽しみに待っておけ」

気配と共に足音が遠ざかっていく。部屋と廊下に静寂が訪れる。次にデデデに会った時はハンマー程度では済まされないだろう。
それでもエスカルゴンは彼を部屋には入れたくなかった。彼のために働いている余裕など一刻もなかったのだ。
エスカルゴンは鞄に荷物を詰め込み始める。ペン、インク、ノート、カメラ、双眼鏡、虫眼鏡。どれもこれも使い込まれており、沢山の思い出が詰まっている。全てはこの時のために大切にしてきたものだった。

「星の木が、また開花するんでゲスね」

そしてエスカルゴンは机の上に置かれた古い書物を見て呟いた。彼は厚い埃が積もった本を手に取り、埃を払って布に包んで、鞄に入れた。





地平線に夕陽が沈みきってから数時間。夜の帳は下ろされ、空には月と星が瞬いている。快晴だった。
いつもならば音も光も無い時間だが、今夜は異なる。何百年、下手をしたら何兆年に一度かも分からない星の木祭は、夜に始まり、星の木が花を咲かせる今夜だけは、と大人も子供も夜更かしをして、朝まで騒ぎ続けるのだ。
ププビレッジ郊外の森の外れにある会場。吊り下げ式のランプが木々に結び付けられて暖かな灯りを湛える中、ブンは中央に高くそびえる星の木を見上げていた。

「これが星の木か。確かにちょっと珍しいけど、わざわざ祭りを開くレベルかなあ」

ブンが星の木の幹に爪を立てて木の皮に触れようとした。他の木々と何が違うのかを確かめようとしたが、フームがその手を掴んだ。

「ダメよ、そんなことしちゃあ。見なさい、ここに白線が引いてあるでしょう。これより先は立ち入り禁止なのよ」
「いいじゃん、ちょっとくらい。ケチだなあ」
「仕方がないでしょう、星の木はとても敏感なんだから。こうして大勢で騒げるだけ感謝しないと」
「星の木ってどれだけデリケートなんだよ」

フームは得意気に話し始める。彼女は昨晩遅くまで星の木祭のために星の木の生態を学んでいたのだった。想像したとおり、その知識を伝える機会はあった。

「星の木はね、土、水、空気などが全く汚染の無い環境でしか育たないのよ。有害な物質が少しでも入り込んだり、傷がついたらすぐに枯れてしまう弱い木なの。特に花は極めて特殊な環境下でしか咲かない……と言われているわ」
「姉ちゃんらしくないな」
「あまりにも前例がない貴重な木だから、まだわかってないことも多いの。どうしたら花が咲くのかは未だに解明されていない。それどころか、どの文献にも花が開花した時の情報は載っていないのよ」
「つまり、まだ誰もちゃんとした記録を残せてないくらい珍しいってことか。へへ、楽しみだ」

な、カービィ。ブンはそう声を掛けたつもりだった。が、普段いつもいるはずの彼の傍にはいなかった。フームとブンは名前を呼びながら会場内を探し始める。星の木祭では食事のできる屋台を出すことは禁止されているので、なかなか目星が付かなかった。
ぐるぐると走って探し回ること数分後、会場の隅の草むらから悲鳴が聞こえ、二人は足を止めた。

「ぎゃあ、やめるでゲス、離すでゲスよ!」
「ぽよぉ、えすかりゅぽよ!」

聞きなれた声を耳にしたフームは呆れながら、草むらに近付いた。見慣れたピンク色をひょいと持ち上げる。草むらの中ではエスカルゴンが尻餅をついていた。

「あら、デデデに命令されて潜入捜査?残念だったわね、もうカービィが見つけちゃったわ」
「今回ばかりは違うでゲスよ。見りゃあ分かるでゲしょう、陛下はいないでゲス」

フームは辺りを見回した。それらしき人影はない。常に二人で行動しているので、彼が一人だけでここにいるのは珍しかった。デデデがいないことを確認したフームは、エスカルゴンに手を差し伸べる。何の警戒もせず素直にその手を取ったエスカルゴンは、起き上がって溜息をついた。どうやら本当にデデデが一枚噛んでいないらしい。

「はあ、助かったでゲス。カービィにいきなり襲われるんでゲスから。今日の私は無罪だって言うのに」
「本当のようね。ごめんなさい。でもカービィは悪気があったわけじゃないのよ、許してあげて」

襲った張本人は事態を飲み込めていないようで、ぽよ、を繰り返すだけだった。フームが抱きかかえていたカービィを地面に下ろすと、ブンがエスカルゴンの格好を見て吹き出した。

「エスカルゴン、体中葉っぱまみれだぜ」
「でもどうして草むらなんかにいたの?もっと明るいところに来れば良いのに。それにとっても大荷物じゃない」

彼は、いつもは荷物をワドルディに持たせていることが多いのだが、今日は肩から鞄をかけていた。そして鞄に付着した葉を取りながら小声になって、シッ、と人差し指を顔の前で立てる。キョロキョロと辺りを見渡して、怪しい人物がいないかどうかを確かめた。

「陛下に見つかったら大変でゲス」
「何かまずいことでもあるの」
「今回は絶対に失敗できないんでゲスよ。誰の邪魔にも入られたくないの。分かったらフームたちもあっちへ行くでゲス」

丁度その時、祭会場のステージに人が立った。マイクの高さの調整をして、喋り始めたのはキュリオだ。

「えー、この度はこの記念すべき日にお集まり頂き誠にありがとうございます。皆様もご存知の様に、プププランドにしか現存されていないと言われているこの星の木は、非常に特殊な環境でのみ花を咲かせるということで、不定期に開催せざるを得ない星の木祭は前回の開催から……」

長い挨拶が始まり、人々が静まると、これを好機と見たエスカルゴンは鞄からノートとペンを取り出して何やら書き始めた。時々カメラで写真を取ったり、双眼鏡で星の木を見ながら、黙々とノートに文字を書き連ねていく。そしてノートが三ページほど書き込まれた時、星の木が銀色に輝き始めた。
村人たちが、わあ、と歓声を上げる。フームとブンもそれに続いた。その隣ではカービィが楽しそうにジャンプを繰り返していた。

「ぱあゆ!ぽよ、ぱよ!」
「すっげえ、光ってる!」
「星の木は開花が近くなると青白く光るのよ。その準備が始まったのね」

エスカルゴンは文字を書くスピードを早めた。書きたいことは山ほどあった。いよいよ開花を控えた蕾は柔らかく発光し、銀色の幹には血が流れるように青白く輝く筋が通る。血液よりずっと神々しい輝きをしていた。
光り始める前までは何の変哲も無いただの木であったのが、謎に包まれたこの環境下で初めて本当の姿を現している。エスカルゴンは眩しいほどの輝きに呼吸をすることも忘れ、ただひたすらに木を見上げ、ノートにペンを走らせた。夢にまで見たこの光景を目に焼き付けようと、何度も何度も視線を上下させた。
その時、轟音が鳴り響き、辺りは土埃に覆われた。そしてここ数日耳にしていなかった聞きなれすぎた声。

「愚かな人民共め、星の木より尊いワシを除け者にして祭を楽しみおって。ざまあみろ、星の木なんてワシがもっとメチャクチャにしてやるゾイ!」

あの爆音は城の大砲の音だ。音の数からして複数だった。自分たちに怪我はない。とすると、狙われたのはたったひとつだった。
土煙が晴れてエスカルゴンが目にしたのは、砲弾を受けて折れ曲がった幹、地に落ち枯れていく蕾、徐々に光を失っていく星の木。

「でぇっははは!環境破壊は気持ち良いゾイ!」
「デデデ、何てことしてくれるのよ!星の木が枯れちゃったじゃない。この木は重要文化財なのよ!」
「知ったことか!兵士よ、もっともっと打ちまくるゾイ」
「総員、撃てー!」

フームの抗議も虚しく、デデデに命令されたワドルドゥがワドルディたちに指示し砲撃を再開させる。フームがワープスターを呼ぶ。カービィがその上に飛び乗り、フームの合図と共に砲弾を吸い込む。どこからか現れたメタナイトが変身したカービィを紹介する。ボムカービィがボムを投げて大砲を爆破する。何もできなくなったデデデとひしゃげた大砲を見て喜ぶフーム、ブン、カービィ、村人たち。
いつもの流れだった。よくある話だった。
エスカルゴンはその様子を呆然と見ていた。そしてへたりと座り込んだ。力を失った手からノートとペンが落ちた。身の安全が確保されても星の木は傷つけられたままだった。エスカルゴンの生涯をかけた目標が粉々に砕け散っていた。到底喜べなかった。光を失い焦げ付いた幹から煙を出す星の木を背に、騒ぐ村人たちを見ているので精一杯だった。
視界の奥で、目が合った。ボムカービィのボムでボロボロになったデデデが此方に気づいた。歩いてくる。そしてエスカルゴンの前に立つなり、彼の目と顔の間を引っ手繰って宙へ持ち上げた。

「全部貴様のせいだ、エスカルゴン。貴様がワシの命令に背いて働かないから悪い。この前のことも忘れとらん故、今から倍以上に極刑に処してやるゾイ」

デデデは目の笑わない笑みを浮かべて、エスカルゴンを持つ手に力を込める。その瞬間、パシン、とデデデの頬が弾かれた。エスカルゴンの細い手が、精一杯の力で振られていた。
ひと呼吸おいて自分が何をされたか悟ったデデデはエスカルゴンを地面に叩きつけた。エスカルゴンの鞄が肩から外れる。鞄の中身が草原にバラバラと転がった。
体を強く打ったエスカルゴンは痛みに震えながらも立ち上がった。普段なら絶対にできない行動にデデデは驚かされる。

「どうしてくれるんでゲスか」

倒れた時に口の端が切れたのか、血がぽたぽたと滴っていた。エスカルゴンはそれでも口を開く。

「この日のために何年も待っていたっていうのに、やっと悲願が叶いそうだったのに、どうしてくれるんでゲスか!」
「どうしたもこうしたもない、破壊してやっただけゾイ。いつもならお前もそれで喜ぶくせに、いきなり何なんだ。お前はこの前からおかしいゾイ!」

デデデはどこまでも自分の都合の良いようにしか物事を考えない。それは長年共に居たエスカルゴンに対しても同じだった。どうやらデデデは自分が悪事を働いて喜んでいると思っていたらしい。カービィを攻撃することに限らず、この地に訪れてからずっと、彼の悪巧みを喜んで行っていると。

「私が何のためにこの地にやって来たと思ってるんでゲスか、本当に最後の糧だったんでゲスよ!」

エスカルゴンには何にも代え難い目標があった。何も目的もなくこんな辺境の地には訪れない。ましてや、何年も無駄にできない。アナウンサーや司会者やバスガイドをするために時間を費やしに来たのではないのだ。しかしデデデにその想いを汲み取る気はない。何を馬鹿なことを、と眉間に皺を寄せながらも怪訝な顔で言う。

「お前はワシに拾われて仕えている身なんだゾイ?何を言っとる。むしろ有難く思うべきゾイ」

エスカルゴンは、絶対権力者の前には何も出来ないと思われている自分が悔しかった。望んで奉仕していると思われていることが不甲斐なかった。そんなことのために従っていたわけではなかった。時間で目的がすり替わることなどない。

「陛下に仕えるためにわざわざこんな田舎に来たんじゃない!私はこの国に、この星の木を見るために来たんでゲス!確かに結果的には拾ってもらったかもしれないけれど、望んで仕えてきた?自惚れるな、陛下なんか、陛下なんてどうでも良かったんだよ!」

思い切り叫んだせいで喉を傷つけた。地面に叩きつけられた衝撃も相まってキリキリと針を飲んだように痛む。
エスカルゴンは荷物を拾い上げ、鞄に入れ直して肩から下げた。口論している内に何時の間にかできていた人の輪に踏み入る。ざわめく村人たちはエスカルゴンの歩みに合わせて道を空けた。

「エスカルゴン」

デデデは淡々とそう呼んだだけだ。だがエスカルゴンは振り向かなかった。

「ずっと一緒に居たからって、私が目的を忘れたとか、絆されたとか、そんな風に勝手に思わないで!」

エスカルゴンは吐き捨てるようには言わなかった。自分の想いは吐き捨てても良いほどに軽いものではなかったからだ。周囲にどんな顔をされようとも、長い時間を超えて温めてきた願いを伝えたかったからだ。おそらくデデデはそれを理解してくれないし、理解できない。けれども彼は喉をまた痛めたいのだ。





【2】

星の木が枯れた。祭は台無しになったから、夜更かしをすることもできず結局大人しく眠ることしかできなくなった。
一時間もすれば日付が変わる。その頃にはきっと眠っているだろう。
そう思っていたフームは、何故か城の大図書館を歩いていた。人二人分の足音が鳴る。

「大体これは貴方が起こした問題で、全部貴方が悪いのよ」

フームは眠い目を擦りながら文句を言う。
前を歩く背は、今回の騒動を起こした張本人だ。
背中からは反省しているのかしていないのかを読み取れない。返事もない。尚更彼が何を考えているか分からなかった。

「星の木が枯れて残念な私が、加害者を手伝う義理はないと思うんだけど」

答えはない。沈黙を肯定と受け取っていいのならば、今すぐこの大図書館から離れて帰って眠ってしまいたい。
だがそう単純な相手ではないから、今も踵を返していないのだ。

「ちょっと聞いてるの、デデデ」
「ああ、聞いとる、聞いとるゾイ!」

デデデはやっと振り返ると、決まり悪そうにフームを睨んでいた。怒っているというよりは困っているように見えた。

「ちょっとイタズラしただけで、何故ああまでされなければならんのか」
「貴方のちょっとはちょっとじゃないのよ、自分が何をしたか分かってるの?」
「その方がもっと祭りが面白くなると思ったんだゾイ!」
「自分の思いつきで人に迷惑をかけないでよ、もう!」

フームは苛々して頭を掻き毟りたくなった。なんて彼は子供っぽいのだろう、こんな人とまともに会話していたら、此方まで頭がおかしくなってしまいそうだ。
しかし思考は単純なおかげで、この呼び出しと相談を早く済ませることができそうだった。

「手がかりが知りたくて私を図書館に呼び出したみたいだけど、ここの本……いいえ、この星にある文献に、星の木について詳細な情報は書かれていないわ。現在分かることは、特殊な条件でしか木は育たないこと、そしてそれよりもっともっと、まだわかってもいない条件下のみでしか花を咲かせない、この二つだけよ。あとは信憑性のない噂ばかり」
「もっと簡単に説明できないのか」
「手当たり次第に探すしかないわね」

それをもっと早く言え。そう怒鳴ったデデデは大図書館を飛び出していた。
人騒がせな、とフームは溜息を付こうとした。が、溜息と代わって出されたのは欠伸だった。犬も食わない争いに巻き込まれてから数時間、眠気は限界だった。
役目を終えた彼女は自室に帰ろうと踵を返した。

対して城から出たデデデは城門の前で待機させていた愛車に乗り込むと、運転席に座って船を漕いでいたワドルドゥに言いつけて車を出させた。
星の木が花を咲かせることができる未知の条件。それにはおそらく開花する時間も関っているのだろう。
日が昇れば、星と謳われた花の輝きは薄まってしまう。視覚だけの問題ではなく、条件にも影響することだ。夜明けまでに見つけなければならない。
ププビレッジ近郊を通り過ぎるのに数分もかかることに苛々して、車を急がせる。実際はひたすらに続く景色のせいで、同じ景色しかない草原と満点の夜空に飲み込まれて、長いと錯覚しただけだったのだが。
星の木祭の会場はすっかり片付けられていた。
細くなりながらも未だに煙を上げる半壊した星の木を横目に見ながら、デデデは車を降りる。
どうせ短時間では見つかるはずもないので、ワドルドゥには仮眠を取らせる。
彼が言われるなり、すぐに準備していた布団に潜り込んだのを確認すると、デデデはゆっくりと会場を横切り、森へと入っていく。

森の中は当然のように暗かった。
何度も踏み入ったことのあるウィスピーウッズの森ではない森のせいか、木の葉の影も腐葉土の触感も異なった。一歩一歩踏みしめる度に足元でパキパキと小枝が折れて、人を寄せ付けたことのない自然を感じた。
この手付かずの森の中には、もしかしたら、まだ他の星の木がどこかにあるかもしれない。そう思って彼はここまでやってきたのだ。
だが星の木は開花が迫るまでは光を発しない。見た目は他のそれと同じだ。祭が本格的に始まるまで、自分が破壊した木がそうだったように。
こんな時間では尚更、どの木がそうで、どの木がそうでないのかを見極めるのは不可能に近かった。
それどころか夜の森をわざわざ歩くなど迷ってしまう危険もあった。
微弱な星明りしか差し込まないこの森では地図やコンパスがあってもないようなもので、役には立たない。数十分しか視界に入れていない非常に特殊な木と同じものを、初めて入る森の中で真夜中に探そうだなんて、こんなに馬鹿げたことはなかった。

しかし同じように馬鹿げたことを仕出かす輩と出会ってしまう。ただし静まり返る森の奥で見た姿は、真剣そのものだった。
彼は此方に気付いて振り返るなり言う。

「残りの星の木も枯らしに来たんでゲスか」

どうせ除草剤を持ち込んでいるに決まっている、貴方はそういう人だ。そう言われて、デデデは自分が信用されているのかされていないのかわからなくなった。自らの悪事を認めてくれているのに、なんだか胸糞悪かった。

「チェーンソーは車の中だ」
「陛下のなけなしの良心なんか信用しないよ」

エスカルゴンはぴしゃりと言ってのけた。まさかこの時間のこの森で出会うとは思っておらず、少なからず動揺している自分を誤魔化すためにも早口になった。
それを見抜いてか否か、デデデは、今更信じてほしいわけではない、と言い、再び森の中を歩き始める。
エスカルゴンは星の木を探したいことと、デデデが木に悪さをしないか見張りたいこととで揺れた。
そして星の木を探しながら、時々ちらりとデデデを見て、その姿を追うことにした。

しかし僅かながらも見当がついているエスカルゴンと、フームから聞きかじっただけの即席の知識で星の木を探すデデデでは、探索に天と地程の差があったので、そのうちエスカルゴンがデデデを抜かして、彼のずっと前を歩くようになってしまった。
デデデは彼の持っていた、祭に使われていたものとは異なる、古い使い込まれた小さなカンテラを頼りに追いかけるしかなかった。
カンテラの火は少し動いては止まり、少し動いては止まりを繰り返す。目ぼしい木の幹に触れて、葉の葉脈を見て、この木ではないと首を振るエスカルゴンと同じように動いていた。

森に入った時に見た星座の位置が、その時から大きくずれた頃、エスカルゴンは足を止めた。少しだけ疎らになった木々の間に、ゆっくりと腰を下ろした。
夜はいよいよ更け、肌寒い程度では済まなくなっていた。
座った場所から手の届く範囲に散らばっていた小枝を集めて、エスカルゴンはカンテラから火を移す。乾いた小枝はみるみるうちに燃えて、彼らの体を橙色に照らした。

デデデが悴んだ手を焚き火に当てる。じんわりと指先から温まっていく。もう少し近くで火に当たりたくなって焚き火に近付く。
エスカルゴンの方を見れば、彼は鞄から布を出していた。膝掛けにでもするつもりなのだろうか、と思うデデデだったがその布を取り払って一冊の古い本が出る頃に、はまた別の好奇心が沸いていた。
だが本について尋ねることもできず、かといって手袋をしている自分よりももっと冷え切っているだろう手を掴んで焚き火に当たらせることもできなかった。

エスカルゴンは触感を感じ取れなくなった冷たい指でゆっくりとページを捲る。
昔、まだ自分が若かった頃に書いた植物図鑑だった。
城の大図書館で肥やしになっている、緑色をした植物学百科のプロトタイプだ。ひとつひとつ実物を見ながらのスケッチと生態を加えた手描きの本だった。
それを横目で見ていたデデデは、その植物図鑑が印刷して出版された植物学百科とは毛色が異なるということしか分からない。
けれども捲られるページをもっとよく見たくなって、思い切ってエスカルゴンの隣に座り込んで、本を覗き込む。意外にもエスカルゴンは何も言わなかった。

「ピューキーの花」

デデデは現れたスケッチを見て呟く。字は読めずとも、その花には見覚えがある。
かつてカービィを倒すためにピューキーの花から取れる魔獣ノディを利用したことがあった。
その時に、あの緑の革表紙の植物学百科を自慢気に読み上げていたエスカルゴンが挿絵を見せて、これがそうだと言っていたのを思い出した。あの時見た植物学百科の絵とはこの本のスケッチは若干異なっているが、確かにピューキーの花だった。

エスカルゴンは、とっくに忘れていただろうと思っていたピューキーの花を、デデデが覚えていたという証拠の一言に驚かされるが、何も言わずに再びページ捲りに戻った。
一枚一枚捲る度に、かつて自分が旅をしながらこの本に草花を書き込んでいったことを思い出した。
幼い頃から草花を観察するのが好きだった彼は、学問を修めて得た工学博士の称号を捨ててでも花を探しに出かけた。誰も見たことのない花をこの本に書き込むことが夢だった。
そうして誰かに認められて、賞賛されて、立派になれたら良いと思っていた。自分の性格からして母にも言われたように、一国を治める王になどなれるわけがなかったから、学者として名を馳せたかった。
そう思って若い自分が長い旅の末に耳にした噂が、星の木の花の伝承だった。
最後のページを捲った。白紙だった。

「これで終わりか」

デデデは一枚だけ白紙のページを見て言う。
しかしエスカルゴンは白紙の虚空を見ながらぽつりと洩らした。

「本当は、ここに星の木を書くはずだった」

エスカルゴンが今日、書かれるはずだったページを見ながら白い吐息を吐き出した時、デデデは息を飲んだ。
彼の持っていた本は終わりではなかった。古いインクで記されたその本は、まだインクを欲しがっていた。

「でも陛下のせいでそれも無理。木が見つからない以上、このページに星の木の記録を残すことはできない。次に花が咲く頃には、とっくに私は墓の中だろうから」

星の木の花は、解明されていない謎に包まれた未知の花だ。次に開花するのが何時とも知ることはできない。そもそも他の星の木を見つけることができていない。
過去にプププランドで人の目に偶然発見され奉られていたあの星の木は、デデデの手によって手折られた。もう葉を茂らせることもないだろう。

「かつて私が星の木祭に参加しようとしたことを陛下は覚えてます? 陛下に拾われる前日に、実は私も星の木祭の会場にいたんでゲスよ」

パチパチと音を立てて枯れ木を燃やす、揺らめく炎を見ていたデデデは記憶を掘り返そうとした。
だが出てくるのは前回見た星の木の美しさと、その翌日に瀕死の人を拾ったことだけだった。
きっと気付いていないだろうけど。エスカルゴンは付け加える。

何年も前のこと、エスカルゴンは遠く離れた辺境の地でついに星の木が開花することを風の噂で聞いていた。憧れの未知の花の存在を知り、どうしても星の木を見たくなった。
星の木が夜に強く発光することで知らせる開花の予兆は、発現して数日で開花の準備に入る。
エスカルゴンは、時間の惜しい旅路では一睡もせず、最果ての地への旅費も尽き、何日も食料を口にしていなくても歩みを進めた。まだ汽車が走っていなかった頃に、星の木へ辿り着くために時に走り、時に歩きながら、彼は血を吐くような思いで一人、朝には杖を、夜にはカンテラを携えながら広い大地を旅していた。

しかしエスカルゴンが必死でプププランドに辿り着いた時には既に星の木は開花を終えていた。あの時、祭会場にいた村人の一人に、もう少し来るのが早ければ見れたのに、と残念がられた瞬間を彼は忘れられない。
輝かない星の木を呆然と見ながら、ふらふらと道を引き返した時の絶望は今まで生きてきて最も苦しい記憶だった。
そして彼は道に倒れ、たまたま通りすがったデデデは意識のない彼を拾ったのだ。

だが、まさか再び星の木を見るチャンスが人生の内に回ってくるとは思わなかった。こんなに短い径間で星の木の開花が見れることなど奇跡に近かった。
そう続けて、エスカルゴンは本を閉じた。

「だけど流石に次は無いでゲス。何兆年も先の話になるかもしれない。何時になるかなんて誰にも分からない。もう二度と見れないはずのものを、陛下はたったさっき壊してしまった」
「もう見れないとも誰も言ってないだろう」
「それで慰めてるつもりなんでゲスか? 過去の私も、もしかしたらもう一度くらい見れるかもって信じて、故郷を捨てて、ここに何年も貴方に仕えながら住んでいたのに、それを壊したのは紛れもない陛下でしょう」

デデデはエスカルゴンの考えている後ろ向きな考えに賛同できなかった。
しかしふと、自分が楽天家すぎるのかもしれないとも思った。答える言葉が見つからずに黙ってしまう。
先程は自分がエスカルゴンを縛ろうと使っていた、仕えるという言葉に、今度は自分が縛られそうになっていた。何年も自分に仕えていた彼の想いを踏み躙ったのは自分なのだと自覚させられた。

「星の木と私たちの一生は違う。私には時間がない。その中で僅かに残されていた私の時間を、貴方は奪ったんだ」

自分が奪った彼の時間をデデデは思い出した。
デデデは星の木祭を台無しにすることは彼も喜ぶことだと思っていた。宿敵を倒すことに一生懸命になる時間は、自分にとっても彼にとっても楽しみだと思っていた。
けれどもそうではないらしい。自分だけが楽しいと思っていただけらしかった。
今まで一緒に居た時間は全て、自分が彼から奪った時間の成れの果てなのだった。彼にとっては犠牲にされただけの時間だった。犠牲にされた時間の中で彼が自ら見せた笑顔も、どうやら全て偽りらしい。
全ての時間は全て自分の思い込みだった。無駄になったのだ。焦げて吐かれた、星の木の煙と共に、全て。

無駄な時間を奪っていたデデデは酷く頭が冴えていた。
悲しいくらいにはっきりと声が出た。そのために吸い込んだ澄み過ぎた夜気が、彼の喉を傷つける。

「ああ確かに、確かにワシはお前の時間を奪った。無駄になった。だからもう、そこで座って見ていれば良い。できることなんて、奪われたお前には何も無いだろう」

デデデは立ち上がり、再び森のより深くへと足を踏み入れた。
人の侵入を拒むように互いの体を寄せ合う木々を掻き分けながら、バリバリと力強く、枯れ木の小枝を踏んで行く。
少し歩いて、デデデは後ろを振り返る。だがエスカルゴンは此方に背を向けて、焚き火の前に座ったままだ。いつものように自分を呼び止めなかった。
陛下と呼ぶ無駄な声を思い出したくなかったのに、呼び止められたいと思った自分が愚かしい。
こんなに悔しい気持ちになったのは久しぶりだった。けれども暴力でそれを強請りたくなかった。
唇を噛んで顔を顰めながら、その背に向かって吐き捨てる。捨てるしかない価値の呟きだ。

「だがな、ワシもお前に時間を奪われたんだ」

負け惜しみのように聞こえただろうか。
デデデにはエスカルゴンの気持ちはもう分からなかった。分かっていたつもりが分かっていなかったことを知ったのだ。

少し前に、家出したエスカルゴンを追いかけた先の、彼の実家で、出会った時の貴方を信じたい、と言われたことを思い出した。
しかし今は、信じたいのは此方の方だった。
決して短くない時間の中で見てきたはずの彼の笑顔を信じたかった。無駄ではなかったと思いたかった。
自分には抱くことの少ないどろりとした感情が頭をもたげてくる。
未知に近いそれを振り払いたくて、デデデは森の奥へと消えた。

エスカルゴンは、デデデが立ち上がる時に、彼の服の裾に本が引っかかって本を膝から落としてしまっていた。
けれどもその本を拾う気にはなれなかった。
デデデの言葉が、エスカルゴンの心の深い部分に棘の様に刺さっていた。返しがついているかのように、深々と刺さってしまったそれを振り払うことができなかった。
確かに自分の時間は奪われていた。
しかし無駄になっていたのかと尋ねられたら、すぐには返答できない。昔の自分が据えた目標のために作り笑いができるほど器用でもなかった。

火に近くなった彼の古い植物図鑑は、今にも燃え移りそうだった。
だがエスカルゴンは大切なはずの書物に手を伸ばすこともなく、ただ焚き火を見ていた。
それどころか燃えるなら燃えてしまえばいいと思った。昔の自分なら焼け死んでも炎から図鑑を守るだろうに。
エスカルゴンには半生を費やした図鑑の価値が分からなくなっていた。
奪われた時間に絆されたとでもいうのか。
未だに心の中に住んでいた若い自分に罵られる。その度に刺さった棘の痛みを思い出す。

すると若い自分がエスカルゴンの首を絞めてきた。
お前は目的のために踏み台にした、あんなどうでも良い輩のために、私を殺すのか。
あくまで自分の中で起きた妄想でしかないのに、嫌に現実味を帯びていた。痛めつけ、痛めつけられた喉では息をするのが苦しかった。
その痛みからか、あるいはまた別の何かからなのか、目頭が熱くなった。
こんな静かな森で嗚咽を上げればきっと彼の地獄耳に届いてしまうだろう。だから声を押し殺す。
視界を歪ませた涙が腐葉土に落ちるのが嫌で、エスカルゴンは上を向く。
夜空を見た。何もかもを許し、飲み込みそうな黒くてキラキラとした星空だった。
それに甘えるつもりはなかった。

けれども心に首を絞められた彼は、図鑑に囚われ閉じ込められた若い自分に、音になれない声で許しを乞うた。
奪い合って無駄になってしまった時間は、独りよがりな書物よりもずっと価値のあるものだったと、壊れてしまった時間を想った。
まだ愛されたことのなかった自分は、馬鹿な人、と泣きながら彼の首から手を離した。
そうして賢くて孤独な人は夜空に溶けていった。
その時、夜空に一筋、尾を引いて燃える星を見た。
愛される前の人が死んでいったのだ、と愛された愚かな人は悟った。手を合わせることはなかったが、その冥福を祈った。

焚き火の火が小さくなりつつあった。枯れ枝を足すつもりはなかった。もう植物図鑑には焼く価値すらなくなっていた。
自然とそう思ってしまった自分に、エスカルゴンは寂しさを覚えた。
こんな時は誰かの名を呼びたくなる。するりと緩やかに吐き出される、音の出なかった呼び名のその意味に心が震えた。

視界が再び歪む。
そうか、自分は泣いていたのかと今更になって思い出した。流れ星になった自分自身より、壊れてしまった時間を想う方が涙を流すに値したことに気付いた。
泣き言を叫べば彼は戻って来てくれるだろうか。
そんな都合の良いことを、流れ星に願ったわけでもないのに求める自分が憎かった。自分もまた、彼の大切な時間を奪ったのだから。嗚咽は許されない。
やがて夜空を滑る星は燃え尽きた。
一瞬の出来事だったのに、途方も無いような時間を過ごしたような気がしていた。
息をする度、涙が混じりそうになる。涸れていたらどんなに良かっただろう。
星空は元の黒い静寂を取り戻す。それでも空は、森は、彼の慟哭を許そうとしなかった。





【3】

星座はさらに傾いた。
真夜中の空気は張り詰めたようにますますシンと冷え込んでエスカルゴンを凍えさせる。
何か羽織るものを持ってくるべきだったと迷いだらけの頭の中で、少しだけ後悔した。

結局、植物図鑑は小さくなった火種の前に晒されながらも、燃え尽きることなくそのまま落ちていた。
いっそのこと焼けてしまっていれば、気持ちに収まりもついたのかもしれない。
焼けなかったせいかは分からないが、先程までは図鑑には焼く価値すらなくなっていたのに、わだかまりは再び沸々と湧き上がっていた。都合良く燃えてくれないところが現実じみていた。
迷いの果てに、エスカルゴンは植物図鑑を拾い上げた。

しかし表紙は開くことができなかった。
表紙を開けば、死んでいった若い自分と共に、この本が自分にとって他の何よりも大切だと言う事を思い出せる。
自分には、妥協して書き上げた星の木のない植物学百科よりも、もっと大切な、本当の植物図鑑を完成するという夢があって、星の木の代わりになる花を探しに、すぐにプププランドを出なければならないと。最後のページを埋めることが自分にとって本当の幸せなのだと。

けれども愚かなエスカルゴンは、植物図鑑よりも愚かな記憶を失うことに戸惑いを感じた。
時間の経過で、プププランドに来た目的が変わるわけがないと思っていた。星の木を見ることが全てであり、それ以外はそのための暇潰しにしか過ぎないと思っていた。
暇潰しに意識を割きすぎたことはよくわかっている。目的を死守するためには暇潰しを楽しむべきではなかった。

少し前に、城での仕事が嫌になって実家に逃げ帰ったことがあった。目的のためなら我慢して城に残るべきだった。実家に帰ってしまったことで、しまいには母親にも上司にも絆されてしまっていた。
あの時、縋りたい人の背の大きさを知っていなければ。帰り道の列車で、その手の優しさを知っていなければ。
今はもっと簡単に、涙も恥もかつての自分の死も何もかも忘れて、愚かさを捨てるために表紙を開いていたのかもしれない。

皮肉だった。星の木を壊されて時間も奪われていたのに。それはこれから先も二度と忘れることはないのに。
焚き火の灯かりが消える前に、その名を呼んでしまった。愚かだった。自分は愚かさを捨て切れない。壊れた時間の中で愛されたせいだ。

けれども彼はその皮肉を選ぶ。
きっと愚かな自分には、いつまでも壊れた時間を捨てきれない方が似合っているのだろうから。
そう理由を付けて、もう一つしかなくなった選択肢を選び取る。
エスカルゴンは二度と開くことの無いであろう植物図鑑を丁寧に布に包み始めた。
俯いた時に涙がひとしずく、枯葉の中に紛れていった。
彼はついに賢さと孤独を捨てた。既に死んでしまった、まだ愛されなかった若い自分をやっと葬ったのだ。





荷物を詰め込んで、火の灯るカンテラを拾い上げる。
立ち上がり、空を見れば、星座は大きく旋回していた。丑三つ時はとうに過ぎていた。
随分前にデデデが消えた方角と星座の位置を読みながら、再び木々の間に入る覚悟を決める。
どうせ森で迷子になるなら、いつものように二人一緒が良かった。今の自分には、自分の隣に誰もいないことの方が大きな問題だった。

それでも元の場所に戻って来られるように、エスカルゴンは強く足を踏みしめる。人が殆ど訪れたことの無いこの森で、細い小枝を踏み歩いて轍を作れば幾分か役に立つかもしれない。
そうして数分が経った頃、エスカルゴンはひとつの木の根に赤い何かが落ちているのを見た。
近付いてみると、足を引っ掛けそうなくらい盛り上がった太い根に、赤い糸が結び付けられていた。
糸はふにゃふにゃとデタラメな軌道を描きながら木々の間を抜けている。

そういえば過去にウィスピーウッズの森で迷った時に、自分たちが通ってきた道を忘れないように、木の幹に糸を括り付けて出口を目指したことがあった。あれはカービィがプププランドにやってきてまだ間もない頃だっただろうか。
あの時はデデデに、そんなまどろっこしいことをしてもどうせ無駄だと罵られたが、そのおかげで森を出ることができた。そんな過去に、自分が馬鹿にしていた部下の行動をよく覚えていたものだ。

エスカルゴンは糸を手繰って歩く。
少し歩いて振り返る。
もう糸の根元は遠く見えなくなってしまっていたが、糸が自分の通ってきた道に落ちていることを確認しながら、少しずつ辿っていく。
若い頃、旅の途中で訪れた東の果ての国で聞いた赤い糸の伝説を思い出した。人は皆、生まれた時から見えない赤い糸で運命の人と結ばれているというものだ。
エスカルゴンは、所謂一般人としての生き方をやめた時から、自分の糸はこんがらがって、誰に繋がっているのか分からなくなったのだろうと思った。
そして今は積年の願いを捨てて森を彷徨いながら目に見える糸を手繰っている。
自分が真っ当な生き方をしていたらロマンチックだと思えたその話も、デデデと一緒に悪に手を染めすぎた今では滑稽だと笑い飛ばすことしかできなかった。
それでも彼は見えない糸を夢見るより、こうして糸を引いて歩く方が良かった。

地面に落ちていた糸を引き、拾って歩いていたエスカルゴンは、その糸が急にピンと張ったのを見て走り出した。こんなことは今まで歩いてきた数十分で一度も無かったから、デデデが心配だった。

「陛下!」

張り詰めた糸を追いかけていたエスカルゴンは、遠くに見えてきたデデデの後姿を見て、痛んだ喉から必死で叫ぶ。呼びたかったその呼び名を呼ぶ。
だが呼ばれても彼は振り返らなかった。
エスカルゴンは去り際に告げられた言葉を思い出した。自分もまた彼の時間を奪ったことを謝らなければならなかった。
それでも隣に誰もいないことが嫌で、彼の隣に戻りたかった。
壊れた時間の中でそうだったように、取り戻したい時間と同じことをしたかった。
罵られる覚悟はできていた。それですら壊れた時間を彩ったものだからだ。

自分は愚かだと思いながらも、エスカルゴンは勇気を出して彼に近寄る。しかしすぐに足を止めた。
デデデの前に佇んでいた木は、まだ彼と同じくらいの背丈しかない若い木だった。
その木の幹は仄かに光る銀色をしていた。赤い糸が結び付けられた、星の木だった。
だが花は見つからなかった。木が若すぎて花を付けるに至らなかったのだろう。
花は、とエスカルゴンは尋ねる。

「これしかなかった」

どこにもないことはデデデも分かっていただろうに、エスカルゴンはつい尋ねてしまっていた。
星の木を見つけてもらえただけで十分だったのに。申し訳なくなってエスカルゴンはすかさず謝ろうとする、その前にデデデは、カンテラを消せ、と命令した。
火が消えると辺りは真っ暗になった。
エスカルゴンはそうしてはじめて、デデデの手の中から淡い光が漏れているのを知った。
彼がゆっくりと手のひらを広げて見せる。星の木の小さな蕾がたった一つだけ、蛍のように弱々しく、しかし美しい青白い光を発して輝いていた。

「写真やメモを取るんだろう。早く支度をせい」

デデデは、エスカルゴンがスケッチし易いようにと蕾に手を添えたまま促した。
しかしエスカルゴンは首を振る。
鞄に触れることはなかった。ペンやノートが使われたいとと泣き叫ぼうとも、鞄を開かないだろう。そしてただ蕾を見ていた。
その様子を見て、デデデは困惑しながらエスカルゴンに問う。

「あれだけしたかったことなんだろう、何故図鑑に描かない」
「もういいの」

驚くデデデを見て、エスカルゴンは、いいの、と同じように繰り返す。
もう星の木を二度と見ることができなくとも満足だったのだ。
壊れた時間を取り戻すことの方が今のエスカルゴンにとっては大切だった。こうしてあの時間と似たようなことがデデデの隣でできることだけで十分だった。

「図鑑なんか書くより、二人で見てる方がずっと良いから」

星の木に囚われていたかつての自分はもういない。ここにいるのは皮肉を選び取った自分だけだ。
愛されてしまえば、孤独な時間は耐えられない。
そんな愚かしいことをエスカルゴンは知ってしまった。星の木と引き換えに手放すことなどできない。
蕾の光が強くなる。白い光がデデデの手のひらいっぱいに広がった。
彼は此方に手を寄せた。エスカルゴンの目の前に眩しいほどの蕾がよく見えた。
こんな風にされてしまえば星の木を拒めない。二者択一のはずが、二つとも手に入ってしまっていた。
エスカルゴンは、自分は贅沢だと思った。涙がまた零れてきても仕方がなかった。伝えたいことは沢山あった。

「陛下、ごめんなさい」

しかし涙声で出てきたのは謝罪だけだ。もっと詳しく言わなければデデデには伝わらないに分かっているのに、考えがまとまらなかった。

「泣く程のことか」

長い時間のおかげだったのだろうか。
どうやらエスカルゴンの言いたいことを、少しは分かっていてくれたらしかった。
壊れてしまった時間は確かに彼らに何かを残していた。傷も想いも全て抱えて流れていた。

「奪った時間、無駄じゃなかった。何一つ無駄なんかじゃなかったんだ」

奪い合い、壊れてしまった時間は再び動き出していく。
時間は、草木の根が地中から水を吸い上げるように、少しずつ少しずつ入ってしまった亀裂を塞いでいく。それは星の木をも育てていく。積み重なる刹那に無駄など無い。
蕾は瞬く星のように、一瞬眩しく輝いた。
花弁がゆっくりと開いていく。
ちらちらと光の粉を零していく。
星の花が咲く。





ある春先の昼下がり。エスカルゴンは自室で服の裾を縫い直す。
裁縫くらいワドルディに頼める筈なのに、他の仕事をしようとしていたエスカルゴンをわざと狙ってデデデは服を繕わせた。
糸がなかったからと言って自分のガウンの裾を解いて赤い糸にするやつがあるか。エスカルゴンが悪態を吐くと、星の木を見ることができたのは誰のおかげだと思っている、と頭を小突かれた。
デデデはガウンを着たまま、エスカルゴンに裾を縫わせていた。ミシンを使えばすぐに済むのに、あえて時間のかかる手縫いで修繕させる。

「もう、私も暇じゃないんですからね」
「こんな時間は暇潰しだったのではなかったかゾイ?」
「今は一刻も惜しいんでゲスよ」

糸を通した針を刺して、それを引っ張るだけの単純作業。
時間が惜しいと言ったのにも関らず、エスカルゴンは律儀に手を動かしていた。
背を向けて座るデデデは問う。

「図鑑の方はどうだ」
「もう書かないって言ったでしょう」

デデデの背中が少し揺れ動いた。肩を落としたようにも見えたが、気のせいだろうか。

「ワシのせいなのか」

気のせいではなかったようだ。少しは反省しているらしい。
しかしエスカルゴンは許す気にはならない。
客観的に言っても、星の木は世界的に貴重なのだ。それを台無しにした罪は重い。

「星の木を壊したことそのものは私は今でも恨んでいますから、せいじゃないと言ったら嘘になるでゲス。でも、本当に図鑑を書くのをやめようと思ったのは私自身で決めたことだから」

デデデは何も言わなかった。図鑑を書いて欲しかったのか、と聞いても答えは返ってこない。
エスカルゴンは裁縫をする手を止めた。

「そんな顔、陛下には似合わないでゲスよ」

帽子の房がぴくりと揺れた。分かりやすい人だ。エスカルゴンでなくても誰が見ても気付くだろう。
デデデは歯切れ悪そうに、別に何もしていないと言い張っている。顔が赤いのか、此方に振り返って怒鳴ることはなかった。
その様子が面白いので、エスカルゴンは何か言ってやろうと思ったが、待ち針を体中に刺されかねないので黙っておく。
裾の途中に刺さった待ち針を抜き、再び手を動かす。

「結局白紙のページのままか」
「未完成という完成なんでゲス、あれは」
「よく分からんゾイ」

再び図鑑の話題に戻る。
エスカルゴンが思っているより、デデデはエスカルゴンの書いた図鑑が気に入っていたらしい。
その気持ちは素直に嬉しいが、残念ながら白紙のページが埋まることは二度とないのだ。
エスカルゴンからしてみれば、図鑑に拘ること自体が理解できない。
そもそも書物というのは遠い場所の情報を固体にして持ち運び、いつでも読むことのできる状態にしているものだ。 星の木がこれだけ近くにあるのに、どうしてわざわざ何年も手間暇をかけて本を書き、それを読み聞かせねばならないのだろうか。本を書く仕事だけで一日の仕事を済まさせてくれないだろうに。

「本を書くというのはそんなに楽じゃないんでゲスよ。孤独な一人作業だし」
「なんだ、寂しいのか」
「そ、そんなわけないでゲス! 大体星の木なんてあの辺にあるって分かってるんだから、直接行けば良いでゲしょうが」

エスカルゴンは図星を隠すために慌てて代替案を出す。
赤い糸を辿って、あの森で新芽を伸ばしている星の若木を育てていけば、いずれ満開の花が咲く。
一人で星の木について延々と書き続けるよりも、二人で星の木を見に行った方がずっと早いのだ。

「そんなもん何時になるか分からんだろうが」
「いつかよ、いつか」

今はどうせ服を繕わなければならないのだ。急ぐ必要はない。
その後にできるであろう暇な時間も、その間にする少しのイタズラも何一つ無駄ではないのだ。
開かれない本に埃が積もるように思い出が積み重なっていけば、いつの日か、木は再び蕾を付けるだろう。
それが何時になるかは分からなくても、二人でいればきっと、すぐに星は花を咲かせるから。


http://h1wkrb6.xxxxxxxx.jp/arain55/