サムシングファイブに願いを(2016.09.04)


・ホーリーナイトメア社倒産前。
・閣下が願いを叶える薬を飲む話。
※直接関係はありませんが、ロボボプラネットのネタバレがあります。ご注意下さい。


【1】

明日で九月を迎えようというのに、太陽は未だに厳しいままだ。べたっとした海風がプププランドを流れていく。
潮風に晒されたせいなのか、実際は新しいのに古く見えるその城では、たった今昼食の準備を終えたところだった。
城主の家臣兼秘書兼世話係であるエスカルゴンの足取りは重い。召使のワドルディが押しているワゴンが軽いからだ。
できれば引き返して、なかったことにしたい。叱責されるのは慣れているが、叱られて嬉しいわけではないからだ。
しかしこれ以上ぐずぐずすれば、余計に状況が悪化しかねない。
エスカルゴンは渋々と足を進め、辿り着いてしまった食堂のドアを開ける。

「おひるごはんでゲスー……」

広げた両手を高く挙げてから、下ろす。微笑みはするが、明るい声は出せなかった。
ワドルディがワゴンを食卓まで近づける。ワゴンの上の料理には、銀製のカバーがかけられている。
食卓にカバーごと料理を乗せる。カバーを取るのはエスカルゴンの役目だが、今回ばかりは気が進まなかった。
食卓に座る、主ことデデデ大王の顔を伺う。既にフォークとナイフを持って、そのカバーが開かれるのを今か今かと待っている。

「何やっとる。早くするゾイ」
「は、はい。では」

急かされた。これ以上は待たせられない。エスカルゴンは、意を決してカバーを取った。
皿に乗せられていたのは、ホットドッグだ。熱々のパンに、瑞々しいレタスが挟まれている。その上にはケチャップとマスタードがかけられていた。
だが、肝心の主役は姿を消していた。

「今日のお昼はホットドッグでゲス。ソ、ソ、ソーセージ抜きの」

エスカルゴンは震える声で料理を出すと、すぐに後ずさりした。デデデが黙ったままだからだ。

「これにはワドルディがソーセージを取り落とすミスをしたという深いわけが」

情状酌量を狙うが、無駄な足掻きだろう。お許しを、と叫びながらエスカルゴンは頭を抱えて目を瞑る。
そして怒ったデデデにハンマーで叩かれ、目の前はチカチカ星空に……ならなかった。

「いた!た、た!こうくるぞ、絶対に……ん?」

今のところ痛みはない。何かが触れた感触もない。身に付けた白いハートのエプロンがケチャップまみれになっていたわけでもなかった。
エスカルゴンはおそるおそる目を開ける。
なんと、デデデがソーセージ抜きのホットドッグを大人しく食べているではないか。

「ワシは床に落ちたものを食べたいほど、意地汚くないゾイ」

ピンクボールじゃあるまいし、と続け、彼はもぐもぐ咀嚼している。
エスカルゴンは瞬時に状況が飲み込めず、大きく瞬きをした。信じられないことに、本当に情状酌量されたのだ。

「それとも這い蹲ってでも食べてほしいのか?」
「滅相もございません」

その異様な光景をまじまじと見つめていたら、睨まれたので慌てて否定しておく。
そもそも何百回目のホットドッグでも怒鳴らずに我慢してくれていることに感謝すべきだった。昼食に限られたとはいえ、ホットドッグ、タコス、ハンバーガーのローテーションは未だに続いているのだから。しかも今日はソーセージが抜きなのだ。
デデデがホットドッグの最後のひと欠片を飲み込んでしまうと、別の話題を振る。もうホットドッグの件はどうでもよくなったらしい。

「そういえば、新しいカービィイジメグッズはどうなっとる」

エスカルゴンはギクリとした。
開発に着手したはいいが、他の仕事に追われて数日前から放置してしまっていたからだ。あんたが私の仕事を増やさなければ今頃完成していたのに、とは口が裂けても言えない。
エスカルゴンが言い訳を考えようと目を逸らすと、デデデは、この役立たずめ、と罵った。

「できてないなら今すぐ作るゾイ! 食事の準備や書類の片付けはパームやワドルディにやらせて、お前は開発に専念しろ」
「はーい」
「早く行け」
「はいはい」
「返事は一回」
「はいい」

エスカルゴンは食堂を飛び出し、自室へ走る。
結局怒られてしまったが、暴力を振るわれなかっただけマシだと思うことにした。殴られすぎて失神していてもおかしくないのだ。
自室に無事に帰ることができたことに感謝し、エスカルゴンは作りかけの機械の製作に取り掛かった。
作業に没頭し、気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。開けっ放したカーテンの奥の窓に、月が浮かんでいる。
時計を見れば二十三時を過ぎていた。デデデを寝かしつける時間だ。
エスカルゴンは彼の寝室に向かい、ドアを開けると、ロッキングチェアに踏ん反り返っているデデデの姿があった。パジャマ姿でスナック菓子をつまみながらテレビを見ている。

「陛下、夜更かしはいけない。もうおねむの時間でゲしょう。って、ああ! またこんなに散らかして」

エスカルゴンは床に散らかったゴミを拾い集めるが、量が多いので手間取る。眠そうにアニメを見ているデデデの後姿を憎らしげに見ながら、手伝ってくれたっていいのに、と漏らした。
だからといって彼が手伝うわけがないので、エスカルゴンは黙ってゴミを拾い続け、スナックのクズをホウキとチリトリで集める。
背後で、ピッ、とテレビの電源を切る音がした。彼はもう眠るつもりらしい、いいご身分だ。
しかしデデデはベッドに向かわずに、エスカルゴンからホウキを奪ったのである。咄嗟にエスカルゴンは頭を守ろうとしてしまう。

「それで私を叩くんでゲスか?それともクリーンデデデ?」
「ほれ、チリトリを持て」

ホウキで攻撃されなかったので、言われた通りにチリトリを持つ。
デデデはその中へゴミを掃いていった。
そして部屋中のゴミを片付けてしまうと、大きな欠伸をしてベッドに潜り込み、すぐにガ行のイビキをかきはじめた。
エスカルゴンは驚いて呆然としていたが、静かにベッドから離れると、電気を消して寝室を出る。
再び自室に戻った彼は、ドアがしっかり閉まっていることを確認すると、大きく息を吸い込んで、叫んだ。

「やったー!陛下がついに、ついに私の言うことを聞いて、優しくしてくれたでゲスー!」

エスカルゴンは思う存分喜ぶと、ふふん、と笑い、ベッドの下に隠していた紙袋を取り出した。
「この薬は高かったから、効果が出なきゃ困っちまうでゲスよ」
隠されていた紙袋には錠剤が入っていた。PTPシートに包まれており、全六錠の内、一錠は既に使用されていた。
エスカルゴンは、使いかけのシートからもう一錠を押し出し、口にいれた。昨晩のことを思い出す。





ワガママで聞く耳を持たないデデデを、言うことを聞かせ、かつ暴力を減らさせるには、どうしたら良いか。
そうホーリーナイトメア社のカスタマーサービスに相談すると、彼はある商品を提案した。

「『スタードリームSOS錠』?」
「はい。こちらをお飲みになればよろしいかと」

薬の効果を尋ねるとカスタマーサービスはさっそく商品の紹介をはじめる。

「ご自身の願いが叶うようになる薬でございます。一日一錠、毎日お飲み下さい。飲み続けることで、効果がより強力になります」
「なんだか怪しいでゲスな」
「それをお求めになる閣下も十分怪しいですよ」

カスタマーは皮肉っぽく高笑いをしながらも、ご安心ください、と続ける。

「この薬は、我が社と提携先企業のハルトマンワークスカンパニーとの共同開発品。古代ハルカンドラ人の時代から伝わるという伝説の薬を、扱いやすく百分の一程度の効力で再現したものです。由緒正しき秘薬でございますよ」

「そんな怪しくて危なっかしいもん、私が買うわけないでゲしょうがよ」

その薬の効果が本当にあるとしたら、ホーリーナイトメア社への支払いを踏み倒すことなど容易にできることになる。
そんなリスクの高い薬を売りつけるのは自殺行為だ。何か裏があるに決まっている。

「毎日一日一錠、ただ服用すれば良いのです。もしお気に召さないようでしたら、途中で飲むのをお止めになればよろしいのでは」
「はん! 追加で魔獣を送りつけるつもりなら、お断りでゲス」
「ホホホ、閣下のような優秀な方であれば、魔獣など必要ないでしょう。仮に魔獣を送ったとしても、薬の効力で消されてしまうなら、我が社はただ損をするだけ。そんなことは致しません」

それもそうだ、とエスカルゴンは少し納得してしまった。
その様子を見て、カスタマーサービスは見せ付けるように六錠から成る一セット分の値段を提示した。
その金額にエスカルゴンは驚愕した。なぜなら自分の一年分の給料と同額だったからだ。

「た、高すぎるでゲス! こんなの払えるか」
「こちらも開発費や材料費がかかっていますので。何より取り扱いには十分注意せねばなりませんからね。どなたでも手が出せるお値段にするわけにはいかないのですよ」

最もな話だ。デデデのような非常識な者が服用したら、星くらい簡単に破壊できるだろう。
エスカルゴンは薬を買うべきか買わざるべきか悩んだ。
これを飲めば少しずつ願いが叶う。
デデデに言うことを聞かせて暴力をやめさせるだけではなく、それ以上のことも望めるかもしれない。もしかしたら彼の上に立つことだってできるかもしれないのだ。
そんな可能性が溢れていて、古代技術と最新技術の賜物である伝説の秘薬を飲めるなら。
未知なるものを試してみたくなるのが、科学者の性というものだった。幸いなことに、彼は自分の趣味に出費することが少なかったので、貯金は山ほどあった。

「今すぐ送るでゲス」
「毎度ありがとうございます。それではそちらに商品を転送致しますので、少々お待ちを」

エスカルゴンは通信を始めたデリバリーシステムの青い光を浴びながら、試しに何を願おうかと思案する。
そして日頃の恨みを晴らすために、まずは主に自分の言うことを聞かせ、殴らせないようにしようと決めたのだった。





【2】

城のだだっ広い庭に、パラソルが花を咲かせている。酷暑の中で水遊びをするなら、とパームが気遣って立ててくれたものだ。
日陰を作ることで暑さが和らぐ。休憩場所には持ってこいだった。
パラソルの下で、ブンとカービィがビニールプールに氷水を張っている。夕食のバーベキューのために、缶ジュースとスイカを冷やそうと用意したものだ。
スイカを持つブンの姿に、カービィが目を輝かせる。

「すいかぽよ!」
「まだ吸い込むなよ、カービィ。冷やしてから食べた方がおいしいんだから、晩御飯まで待とうぜ」
「ぽよ……」

ブンにたしなめられて、カービィはしょんぼりとしてしまう。
その隣で、青地に黄色い星柄の浮き輪に空気を入れていたフームは、できた、と声を上げた。

「がっかりしないで、カービィ。今あなたの浮き輪を膨らませたから、これをつけてプールで遊びましょう」

フームはカービィの頭から浮き輪を被せる。頭に引っかかって、体が入らないのではないかと心配したが、想像以上にやわらかいカービィの体はすんなりと浮き輪に嵌った。

「ピッタリじゃん。俺の浮き輪、残しておいて良かった」
「ぱゆ!」
「懐かしいわね、小さい頃を思い出すわ。さあ、カービィ、遊んでらっしゃい」

カービィがビニールプールに飛び込むと、その小さな重みで水飛沫が跳ね、フームとブンの体を冷やしていく。
カービィはスイカと一緒にプールを泳いで、嬉しそうだ。
水飛沫で濡れた二人も、思わず笑い出す。ビニールプールの対象年齢を過ぎていたため、中に浸かることはできないが、プールの水をばしゃばしゃと掛け合ってはしゃいでいた。
だが水遊びはデデデとエスカルゴンの急襲によって中断された。

「魔獣を仕掛けるつもりなら、こっちにだって氷があるんだからね」
「アイスカービィに勝てるのか?」

フームとブンはデデデを睨むが、彼は気にも留めずにニヤリと笑みを浮かべる。

「ちょっと親切にしてやるだけゾイ。くらえ!」

デデデは手に持っていた機械の引き金を引いた。
ポン、と飛び出た弾がカービィをミサイルのように追尾して、爆発する。辺り一面が粉だらけになる。
フームは咳き込むと、何よこれ、と悪態を吐く。

「陛下がカービィのために、スイカに塩を振ってやったんでゲスよ」

エスカルゴンがにひひと笑うと、塩まみれのカービィの体に異変が起きはじめる。

「ぽよっくしゅ、ぷえっくしゅ!ぽえっくしゅ!」
「うわ、カービィ、大丈夫か……はっくしょん!」
「ぽくしゅ!ぽーよっくしゅ!」

カービィは小さく飛び上がりながら、クシャミをしはじめた。
ブンもクシャミをしながらも、カービィの塩だらけの顔をプールの水で洗い流してやる。症状は少しだけ軽くなったが、完全には治まらなかった。

「じゃあなんで……くしゅん!クシャミをするのよ!」
「おっと、間違えた。塩ではなくて、塩コショウを詰めてしまったゾイ。でえっははは!」
「モスガバーの花粉よりマシでゲしょう」

デデデとエスカルゴンはゲラゲラ笑い転げるが、フームは警戒を緩めなかった。ワドルディ兵士を差し向け、魔獣を仕掛けるといった追撃をするかもしれない。
しかしその予想に反して、デデデは城の内部へと引き返してしまう。

「ああ、楽しかった。エスカルゴン、帰るゾイ」
「もう帰っちゃうの?やっつけるんじゃなくて?」
「他人の不幸こそ最高の娯楽ゾイ。カービィめが苦しんでいる姿を見て、スッキリしたから良いのだゾイ」
「せっかく夜更かしして対カービィ用コショウミサイルを作ったのに」
「行くゾイ」
「あ、はいはい」

置いていかれそうになったエスカルゴンが、デデデを追いかける。
取り残されたフームとブン、クシャミをし続けるカービィ。
だが、フームは首を傾げた。

「ぽ、ぽ、ぽよっくしゅ!」
「へんなの。あのデデデがこの程度で許すなんて」
「ぷえくしゅ!」
「そんなことより姉ちゃん、風呂入ろうぜ。体中塩コショウだらけで、もうプールどころじゃないよ、はっくしょん!」
「ぽっくしゅ!」
「何か引っかかるような気がするんだけど……はくしゅん!ああもうダメね。帰りましょう」
「ぽえぇっくしゅん!」





玉座の間に帰ったデデデは、玉座にどかりと座るとワドルディを呼び、魔獣カタログを頼む。
すぐに運んできたワドルディから、カタログを乱暴に引っ手繰る。
傍に控えていたエスカルゴンは、その様子を見て呆れた。

「また魔獣でゲスか。金遣いが荒いんだから」
「ゴマの油と人民は絞れば絞るほど出るものゾイ」

デデデは魔獣カタログのページを見て、見た目から魔獣を選ぼうとしている。
数ページ捲り、ホームヘルパーロボの写真が載っているページに行き着く。二度と注文したくない、信用できない魔獣を表す赤いバツ印が、大きく描かれていた。

「ふと思ったが、エスカルゴンはほしい魔獣はいないのか」

デデデが遠目からカタログを読んでいたエスカルゴンに尋ねる。ホームヘルパーロボのことを思い出したらしい。

「お前の仕事を手伝う魔獣を雇ってやっても良いのだゾイ。そうゾイ、カスタマーに株主優待として無料にさせれば良いゾイ。何か好きな魔獣を頼め」
「いらないでゲスよ。世話や監視なんてできないし、私が一人で仕事をした方が早いし」

魔獣に仕事を手伝わせると余計に時間がかかるだけでなく、何より信頼性に欠ける。
ホームヘルパーロボもヘソクリを盗む目的があったのだ。デデデが滞納しているツケを支払わない限り、ホーリーナイトメア社の魔獣は信用できないと見るべきである。
エスカルゴンは、三日前に行った自分の買い物を棚に上げて、そう考えた。

「本当にいらんのか。全くつまらん奴ゾイ。どうせカスタマーが相手になるゆえ、コキ使えば良いものを。欲が薄い者は出世できんゾイ」
「いや、今の立場で十分でゲスよ」

本当に十分かと問われると、嘘になる。元々は偉くなって、故郷に錦を飾るために旅立ったのだから。
だがエスカルゴンは、この国の最高権力者にはなれそうにないことに気付いていた。頭は弱いが力は強いデデデの目が青いうちは、傀儡政権として実質的にナンバーワンになることはできても、表立ってはそうはいかないのだ。
デデデは、エスカルゴンの遠慮する態度が気に入らなかったのか、荒々しく玉座を降りる。

「本当につまらん奴ゾイ。もう良い。今日は早く寝る。ワドルディ、今すぐ夕食の準備をするゾイ」

カタログを持ってきたワドルディは命令の通りに厨房に向かう。
エスカルゴンもそれに続く。調理はしないが、食卓の準備をしなければならない。白いハートのエプロンを着るために、一度自室に戻っていった。
夕食の後、すぐにデデデは眠ってしまった。いつもより数時間早く寝てくれたので、エスカルゴンは久しぶりに静かな夜を過ごせそうだった。
エスカルゴンは、自室に隣接しているバスルームの湯船に湯を張る。ここ最近は多忙で入浴はシャワーで済ませてしまうことが多かったのだが、今日は予想外に時間ができたので、湯船に浸かろうと思ったのだ。
自分専用のバスルームに内側からカギをかける。これで誰も入ることはできなくなる。
バスルームにヒトもカメラも隠されていないことを確認してから、窓のカーテンと、シャワーカーテンを閉める。
自分ひとりだけでは恥ずかしがる必要はないので、カラを脱いだ。ナメクジ状態のまま、湯船に浸かって体を洗う。
今日は平穏な一日だった。
カービィがデデデとエスカルゴンに害をもたらしたわけでもないし、魔獣が暴れたわけでもない。村人がデデデにとって良からぬことを企んでいたわけでもない。あきれかえるほど平和だった。
こんな毎日だったらどんなに楽だろうか。
今日のデデデも始終穏やかだった。
カービィに塩コショウを振り掛けたとはいえ、その程度で済ましたのだから。いつもは魔獣に攻撃させてコテンパンに倒そうとするのに、それをしなかった。
しかも、今日も一度もエスカルゴンを攻撃しなかった。常に殴られ叩かれているエスカルゴンにとって、信じ難い事実だった。
優しくなった、丸くなったといえば聞こえは良いが、実は裏で悪巧みをしているのかもしれない。
以前、全ての行為を許された時は、魔獣トゲイラが絡んでいた。今はまだ泳がせている段階かもしれなかった。
それとも昨日から引き続く態度の軟化こそが、例の薬の効果なのだろうか。

「それならありがたいでゲスが、考えすぎかな」

エスカルゴンは両手で湯を掬うと、顔を覆った。温かい湯で顔を浸す。触角からぽたぽたと水滴が落ちる。連日の細かい作業に疲れた目が、じんわりと和らいでいく。
湯に肩まで浸かりながら考える。
例の薬を飲み始めてから二日が経つ。もし今夜も薬を飲むとしたら、明日はどのような効果が現れるのか。
カスタマーの説明によれば、飲み続けることでより強力な効果を得られるはずなのだ。
最初に願った内容は、デデデが自分の言う事を聞いて暴力を振るいませんように、だった。
今のところ特に問題はない。むしろ願いどおりにその傾向が出ていた。効果を信じるならば、まだ二日目とはいえ派手な行動は起こさなくなり、若干物腰が柔らかくなった。
彼に手を焼かずに済むと、心身共に助かる。

「早寝早起きとか、自分から率先して行動してくれれば言うことないんだけど」

エスカルゴンは、我ながらお世話係が板につきすぎていると思った。これではまるで彼の保護者だ。
だが横暴さを少しずつでも改善してほしい。些細なことでも良いので、もっと他者に優しくなってほしい。
そうすれば自分の負担も減るし、もっと平和に暮らせるようになるのだ。

「今日はそういう願いにしてみるでゲスかね」

エスカルゴンは伸びをした後、風呂を上がる。カラを身に着け、バスタオルで濡れた体を拭くと、湯船の栓を抜いた。





【3】

「起きろ、もう朝ゾイ」

エスカルゴンは言葉の意味を理解するのに時間がかかった。その間にも揺さぶられる。
揺り起こされてはじめて、重い瞼を開ける。横になったままの視界で、窓を見た。
カーテンから漏れる光はいつもより弱い。起床時間にはまだ早い。

「まだ朝早いじゃないっすか、もうちょっと寝かせて……って、えぇ!?」

エスカルゴンは飛び起きた。声の主に驚いたからだ。
こんな早朝に何故デデデが自室にいるのだろうか。しかも自分よりも早く起きて、起こしに来ている。
エスカルゴンは、眠気が感じられないデデデを見て困惑しながら、部屋のドアに視線を移す。
ドアは壊れていなかった。いつも夜中に叩き起こしに来る時は、ドアを破壊して入ってくるというのに。

「確かに早寝早起きしてくれとは言ったけど、こんなに早くなくても良かったのに」
「何の話ゾイ」
「ひ、独り言でゲス」

エスカルゴンは言葉を濁した。
今の独り言では察されないだろうが、例の薬の件は秘密だ。
もしデデデに薬の存在を知られてしまったら、部屋中調べ上げられて必ず見つけだすだろう。何に悪用されるかわからない。例の薬は、使用者によっては毒にも薬にもなるのだ。
デデデは不思議そうな顔をしたが、自分の希望通りにエスカルゴンが目覚めたので、気にすることをやめた。踵を返し、エスカルゴンの部屋を出ていく。

「出かける。早く支度をせい」
「こんな朝早くからどこ行くの。ちょ、待って、置いてかないで陛下!」

既に廊下を歩いているデデデに、エスカルゴンの声は届かない。
エスカルゴンは何がなんだかわからないまま、急いで身支度を整え、食堂に向かう。
出されたパンとスープは冷めかかっていた。デデデはとっくに朝食を食べ終えていたらしい。
城の車庫から飛び出した金色の車が、プププランドの外れを走っていく。まだ優しい朝の光を反射して、悪趣味な車体をピカピカと光らせている。
一時間程かけて目指した領地の端の駅から、汽車に乗ってさらに二時間。辿り着いたのは隣国の都市だった。
まだ九時三十分だが、街はヒトで溢れかえっていた。今日は平日だというのに、観光客でひしめき合っている。プププランドと比べるまでもない、圧倒的な人口密度だ。
エスカルゴンにとっては久しぶりの都会だった。ここ数年は訪れていなかったので、その喧騒に驚く。
都会の空気はこんなにゴミゴミしていただろうか、と学生時代を振り返るが、あれから随分経ってしまったのでうまく思い出せなかった。

「わっ」
「どこ見て歩いてんだ、気をつけろ!」
「ご、ごめんなさいでゲス……」

人混みを横切ろうとして、サラリーマンにぶつかってしまう。昔はこんな人混みくらいするりと抜けられたのに、長いこと田舎に住んだものだ。
ヒトにぶつかるエスカルゴンに対してデデデは自らヒトの群れの中に突撃して行った。

「どけ、どけ!どけゾーイ!」

ヒトの群れに突進し、弾き飛ばす。悲鳴を上げる老若男女に平等に強引に道を開けさせる。
エスカルゴンは慌ててデデデを追いかけるが、ぶつかったヒトの一人に、肩を掴まれ顔を向けさせられた。

「あんた、あのデブペンギンのツレ?妻と子供がケガしたんだけど、どうしてくれるの」
「言いがかりでゲス、私はただの付き添いで……」
「なんでもいいけど、慰謝料払えよ、慰謝料! こっちはケガしているんだぞ」
「うえーん、ママ、いたいよー」
「そうよ、ウチの息子がこんなに痛がっているのに。言い訳をして逃げるつもり!?」

家族連れの観光客がエスカルゴンに詰め寄る。デデデに助けを求めるが、彼は人混みの向こうへとどんどん進んで行く。
その間にも家族連れはエスカルゴンに責任を取らせようと躍起になっていた。困り果てたエスカルゴンは、父親に札束を握らせると一目散に逃げ出した。
なんとか人混みと窮地を脱したエスカルゴンは、デデデを見つけるとガウンの裾を引っ張り、傍に戻ってきたことを知らせた。

「はあ、はあ、やっと追いついた。そんなに早く行かないでほしいでゲスよ、まったくもう」
「おお、迷子になったかと思ったゾイ」
「仮に迷子だったとしたら探してくれたっていいのに」
「お前がそんなことになるとは到底思えんゆえ、そんな無駄なことはせんゾイ」

信頼されているのだか、されていないのだか。エスカルゴンは複雑な心境でデデデに続く。彼が目指している場所を知らなかったので、きょろきょろと辺りを見渡しながら、足並みを揃えておく。
しばらく大通りを歩くと、二人は映画館に入っていった。
エスカルゴンはデデデに、何が見たいのか尋ねようとしたが、やめた。迷いもせず、まっすぐにチケット売り場に向かっていったからだ。

「本日初上映の、『シン・ガジロ』くん」
「はい、お二人様ですね。では、この画面の中から空いているお席をお選び下さい」
「貸切で頼むゾイ」
「はあ?何考えてるの」

店員より先にエスカルゴンがツッコんでしまう。
店員は動揺しながらも、申し訳ございませんが当館では貸切は承っておりません、と機械的に返事をする。
その返答に怒ったデデデは、カウンターに札束とハンマーを叩きつけた。カウンターにヒビが入る。

「一千万デデンで貸切にしろ!店を破壊されたくなかったら、大人しく言うとおりにするゾイ」
「ちょ、ちょっと、陛下、そんな乱暴はやめるでゲス」
「今やゲームですら札束で殴りあう時代、カネを持つ者が全てゾイ。貸切程度、何がおかしいゾイ」
「おかしいから言ってるんでゲしょうが」
「いいからチケットを出すゾイ、さもなくば極刑ゾイ」
「ひぃっ!か、かしこまりました!」
「ああっ、卑怯な手が成功したなんて」

怯えた店員は札束をチケット束と交換すると、体を震わせて、スクリーン番号を伝える。デデデは上機嫌だ。
その迷惑極まりないやり取りを見ていた客が、デデデとエスカルゴンを罵りはじめる。

「は?マジわっけわかんねー、俺らだって『シン・ガジロ』見たかったのに」
「ってか、何あのオッサンたち。キモっ、ホモかよ。ツイッジーで晒そう」
「見ちゃめでゲスー!」

若いカップルが携帯電話のカメラでデデデとエスカルゴンの写真を撮ろうとするので、エスカルゴンは咄嗟に手で顔を隠した。最も、二人は一国の王とその部下であるので、顔を隠したところで人物の特定は容易なのだが。
エスカルゴンは、写真を撮られていることに気を良くしたデデデが、カップルに向かって手を振ろうとするのを遮り、その背中を押す。なんとか彼らから逃れることができた。

「ほんとに大人気ないんだから」
「ワシはいつだって大人気ゾイ、モテモテゾイ。だから写真を撮られるのだゾイ」
「もう、アホと前向き紙一重でゲスな」

マトモに取り合っていたらエスカルゴンの精神が持たないので、好きにさせることにした。
エスカルゴンから解放されたデデデは、飲み物やポップコーンを買いに走る。上映時間の間際になって、彼は大量の食料を抱えてスクリーンに戻ってきた。
エスカルゴンはどこに座ろうかと考えるが、結局中央に、デデデと隣り合って座ってしまった。貸切なので好きなところに座れば良いのだが、なんとなく隣に座ってしまう。
長年の付き合いが無意識にそうさせている。そのことに気付いて少し気恥ずかしくなるが、当人は始まった映画を見ながらはしゃいでいた。

「おお、ガジロくんゾイ、かっこいいゾイ!見ろ、エスカルゴン、ガジロくんがオレンジオーシャンから出てきたゾイ」
「はいはい、見てる見てる」

デデデは魔獣王が登場する度に興奮してエスカルゴンに話しかけるが、エスカルゴンにとっては騒がしくてかなわなかった。彼がポップコーンを食べる音、それをイスや床に撒き散らす音すらうるさい。
早朝から起こされたせいで疲れているので、今の内に寝ておきたかったのに、騒音で眠れそうになかった。
架空の星の戦士と魔獣王が戦うシーンになると、デデデは興奮して手足をバタつかせた。腹の上に乗せた紙箱からポップコーンが激しく零れる。

「ガジロくん、がんばれゾイ、星の戦士なんかやっつけてしまえ!ほれ、いけ、そこゾイ!ガジロくん、そこでビームを決めるゾイ」
「おねがいだから静かにしてくれでゲス……」
「エスカルゴン、何故ガジロくんを応援しないゾイ、怖いのかゾイ?心配するでない、お前はワシが守ってやるからな、わはは!」
「貸切で本当によかった……」

貸切でなかったら、他の全ての客の迷惑になっていたところだ。隠し撮りをしようとしたあのカップルも、この惨状を知れば一緒に見なくて良かったと安堵するはずである。
エスカルゴンは、一時間経過した時点で既に疲れきっていた。これがあと半分も続くと思うと憂鬱である。
しかしこれがラブロマンスだったらどうなっていただろう。日常シーンからラブシーンまで一つ一つに説明を求められるに決まっている。たまったものではない。
魔獣映画であるだけマシだと、騒々しくて退屈な映画を眺めているしかなかった。





上映が終了して、過去最高に騒がしい映画から解放されたエスカルゴンは、ギラギラした日差しの下に放り出されていた。風通しの悪いコンクリートジャングルで過ごす真昼は、プププランドに比べてずっと暑苦しい。

「へーかぁ、暑いからもう帰りましょうよ」
「そんなものほっとけ。ほれ、次行くゾイ」
「他に行くアテがあるなんて信じられないでゲス」

エスカルゴンは、自分よりも田舎暮らしの長いデデデが、映画館以外に行くべきところなどないだろうと高を括っていた。彼が高級ブティックに入店するまでは。勿論、エスカルゴンは人生で一度も入ったことがない。

「陛下、こういうお店は由緒正しい血筋の方がいらっしゃるべきで、陛下のようなどこのペンギンの骨かもわからない輩なんて入っちゃダメでゲスよ、陛下!」

ずかずかと足を踏み入れるデデデに対し、エスカルゴンは彼の腕を必死で引っ張り、行かせまいと踏ん張っていた。
しかし、その直後に店員に出迎えられる。

「ようこそいらっしゃいました、デデデ大王様。本日はどのようなご用件で」
「いつもの」
「かしこまりました。それではこちらにどうぞ」

いつもの。いつものとは、なんだ。
エスカルゴンは耳を疑った。空耳だったに違いない。やっぱり何かの間違いだろうから帰ろう、とデデデの袖を引く。
だが彼はそのまま店の奥へ進んでしまうので、エスカルゴンは仕方なくついて行くしかなかった。彼が店に対して失礼なことをしたら、土下座をして謝るのは自分だ。当然、気は進まなかった。
とはいえ、滅多に見ることのできないファッションの世界に目を奪われてしまう。
マネキンが身に着けている衣服を見て、都会ではこういうものが流行りなのか、と知り、自国のテレビ番組で最先端ファッションについて取り上げれば村人が食いつくかもしれない、などと考える。いつの時代もヒトは服やアクセサリーに興味があるものだ。今度の悪巧みに利用してみようか。
その様子を見たデデデに声をかけられる。

「そんなに服が珍しいのかゾイ」
「それもそうでゲスが、陛下がこんなところに縁があったなんてと驚いているんでゲス」

率直な感想を述べると、デデデはきょとんとした顔をして、何を言うか、と言った。

「お前がいつも着ている服は、全てこの店で特注したものゾイ。知らなかったのか」

エスカルゴンは、知るかそんなもん、と反射的に答えてしまう。彼が普段着ている衣装は、デデデから一方的に与えられたものだったので知るはずもなかった。
だがよく考えてみれば、その通りかもしれない。ププビレッジにある洋服店は全てキャピィ族専用のブランドだったからだ。カタツムリ用の服も特注できないことはないだろうが、田舎の店員がカタツムリのカラに配慮した服を仕立てる技術があるとは到底思えない。

「陛下がいつも勝手に用意するから知らなかったよ」
「ならば良い機会ゆえ、好きなものを買えば良いゾイ」

しかし店内に飾られている服に、カタツムリ用のものはない。着るに着れない服を見て戸惑っていると、店員が微笑む。

「お客様専用の型紙は既にご用意しておりますので、どれでもお好きなものをお選び下さい。こちらで同じものを改めて仕立てさせていただきます」

気遣いとサービスは有難いのだが、どれでも好きなものを、と言われても明らかに高価そうな服ばかりで、エスカルゴンはたじろいでしまう。
デデデの方を一瞥すると、選べ、と顎で促してくるので、地味で安価そうな服を手に取ってみる。
値札を裏返す。
すぐに裏返した値札を元に戻す。金額は、見なかったことにしたかった。

「や、やっぱりいらないでゲス。まだ着れるものだって沢山あるし」
「独裁者の秘書ともあろう者が、身なりに気を遣わずにどうする。ワシに恥をかかせる気か」

ごもっともだが、流石にこの価格を支払うのには勇気がいる、と会計も担当しているエスカルゴンは思う。
だがここまで店に入ってしまった以上、手ぶらで帰るのも失礼だ。一着くらいは購入しなければならないだろう。
とはいえ、エスカルゴンは困ってしまった。
できるだけ安いものを、と思うのだが、そもそもどんな服を選べば良いのかわからない。学生時代は都会で暮らしていたが、研究に没頭していたら何時の間にか卒業していたので、オシャレや娯楽には疎かったのだ。

「何を選べば良いのか、何が自分に似合うのかわからないでゲス」
「つまり何を着ても似合うということゾイ」

デデデは一向に選ぼうとしないエスカルゴンに痺れを切らしたのか、勝手に結論付けてしまった。
そしてエスカルゴンの服を独断と偏見で選んでいく。メイド服、セーラー服、チャイナドレス、秋祭りのための浴衣、初詣のための振袖、舞踏会のためのドレス……。
エスカルゴンは代金が想像できなくなって眩暈がした。
それでも服を選び続けるデデデに対し、ご勝手に、とそっぽを向く。
向いた先に見えるのは外の景色だった。ショーウィンドウ越しに道路が見える。ガラスの向こうで人々が夏の街を行きかっている。
そのショーウィンドウに収められている服が目に入る。
真っ白いドレスだ。花嫁が着る、ウェディングドレスだ。彼はこの衣装の認識に時間がかかった。間近で見ることもほぼ初めてだったのだ。
不幸なことに女性に関する縁もなかったし、何より若い頃から、研究と仕事に追われて多忙だった。いつしか、結婚そのものを忘れていた。デデデに仕えてから十数年が経つが、未だに主から逃げられる気配はない。このまま一生独り身だろう。
彼は故郷に残した母親を思い出した。おっかさんはこんな寂しい私を悲しむのだろうか……。
少しだけ惨めな気分になって、ウェディングドレスから目を離す。
今度は、そのすぐ隣に立てかけられている雑誌が目に付いた。
ウェディングドレス姿の女性の写真が表紙を飾る、結婚式の情報誌だ。色とりどりの見出しに誘われて、なんとなく雑誌を手に取る。
ペラペラと捲る内に、今月号の目玉である特集ページに行き着く。見開きで映っている写真に、思わず息を飲んだ。
新郎と新婦のモデルが、海上で向かい合っている。床にガラスがはめ込まれていて、まるで本当に水上に立っているように見える。ヴァージンロードと祭壇には白い花の装飾が散りばめられていた。青と白のコントラストに囲まれて執り行うこの式は、ウォーターウェディングというらしい。
エスカルゴンは、今の流行ではこんな式があるのか、と驚いた。縁のないものだと自覚しているが、その美しさに引かれて写真を見つめてしまう。
思わず感嘆の息を漏らす。こんなロマンチックな式が実在するなんて。世の女性たちが憧れるのも無理もない。

「エスカルゴン、ぼーっとするな。試着の時間ゾイ」

デデデに声をかけられて我に返る。強く握りすぎて、若干皺と折り目が付いてしまった雑誌を元に戻した。
急いで片付けたため、ラックから雑誌が落ちていないか気になり、一度振り返ってしまう。一瞬だけ特集ページを思い出しそうになった。そんな未来は来ないと自分自身に言い聞かせる。
デデデが選んだ服は既に店員の手に渡っており、試着室へと運び込まれていた。
せっかく本人がいるのだから実際に試した方が良い、という理屈は分かる。様々な服を着こなすのも嫌いではない。
しかしあの服の山を全て着なければならないと思うと、エスカルゴンは再び憂鬱な気分になった。





数時間の試着を経て、似合っていた服だけを選び、特注の約束を付けてブティックを出ると、日が傾きはじめていた。
街から観光客が減って店や道が空いたため、道路が歩きやすい。残った観光客は、地元に帰るために駅に向かったり、夕食を取りにレストランに入っていく。
着せ替え人形ごっこをさせられたエスカルゴンは、くたびれた顔でデデデに物を申すが、彼は駅とは反対方向に歩いてしまう。

「まだどこか寄るつもりでゲスか、そりゃないでゲスよ」
「せっかく都会に来たのに、これを堪能せずに帰るのは勿体ないゾイ」
「これってどれよ」

その時、エスカルゴンの腹の虫がぐるぐると鳴く。映画館でポップコーンを分けてもらっただけで、朝から殆ど何も
食べていなかった。そしてデデデが堪能したがっているものを理解した。
最後に訪れた店は、高層ビルの最上階、展望室を兼ねたレストランだった。エレベーターから降りた瞬間、金の装飾がなされた店内から高級店であることに気付く。
エスカルゴンは、財布にどれだけの打撃を与えるのだろうかと食事の前から胃が痛くなった。
エレベーターのドアが開かれたチャイムで、店員が気付いてこちらにやってくる。名前を聞こうとする様子から、この店は予約必須であることを窺わせる。
当然だが、デデデは予約などというまどろっこしいものは嫌いな性質である。

「予約ぅ?そんなもんいらんゾイ、カネの力で解決ゾイ。ほれ、これをやるから今すぐ席に通せ」
「陛下、またその手でゲスか。ここは他国なの。下手をしたら罪に問われるかもしれないんでゲスぞ」
「国家ぐるみの場合は犯罪にならんゾイ」
「国家元首が起こしてどうするの!」

エスカルゴンは、映画を見る前にモンスターペアレントに絡まれたことを思い出した。あのやりとりをしている方がまだ楽だったかもしれない、と現在進行形でモンスターチャイルドの相手をして思う。子供程度の知能しかない相手とやりとりするのは慣れていても手を焼くのだ。
しかし高級レストランの店員は一筋縄ではいかなかった。

「当店は完全予約制ですので、いかなる理由がありましても承ることはできません」
「貴様はマニュアルどおりの受け答えしかできない無能ゾイ、責任者を出せ」
「しかしキャンセル待ちという形でしたら、お一つ空きがございますが」
「貴様は実に有能ゾイ、褒めてやっても良いゾイ。喜べ」

手のひら返しにも動じない店員は、さぞかしトラブルへの対応に慣れているのだろう。あるいはクレームをつけてくるような柄の悪い客は問答無用で門前払いかもしれない。
柄の悪い客の付き添いであるエスカルゴンは、店のためにも門前払いをくらった方が良いのか、私欲のためにくらわなかった方が良いのかわからなくなった。
窓に隣接した席に通されて、メニューからコースを選ぶ。
エスカルゴンはデデデほど食事というものに執着していないので、控えめでカジュアルなコースを選ぼうとしたが、先に豪華なフルコースを二人分注文されてしまった。  向かいに座る、コースを選んだ張本人を睨むと彼は、たまの贅沢だ、と笑った。
窓から見える都会の街並みは橙色に照らされていた。夕陽が沈むにつれて、一番星、二番星、三番星と、徐々に星の瞬きが増えていく。
それと共に街に明かりが点きはじめる。温かみのある白熱電球が街を彩る。時折見かける赤や青といった色とりどりのネオンが目新しかった。夜になると出歩く人が極端に減るププビレッジでは、華やかなネオンは珍しいからだ。都会ならではの光景に魅了される。
夜景を眺めていると、前菜がやってきた。
エスカルゴンは反射的に身構えてしまう。注文したフルコースは、エスカルゴンの出身国の高級料理であるため、定番のメニュー内容はよく知っている。
そして初めの前菜は、カタツムリ料理が多いということも知っていた。
だが実際に運ばれてきた前菜は魚のテリーヌだった。エスカルゴンはホッと胸を撫で下ろす。その様子を見て、デデデはニヤニヤ笑いをしてみせる。

「ワシが良くても、お前はダメだろうからな」
「陛下だって酢の物嫌いでしょ」

エスカルゴンは食べ物の好き嫌いと同じように、人種上の都合があることを遠回しに伝えると、それもそうだと返される。
この前は私を裸にしようと追い回して、ついでに食べようとしたくせに、とムッとするがデデデはテリーヌを食べるのに夢中だった。
エスカルゴンもテリーヌにナイフを入れていく。前菜がカタツムリのブルギニョンでなくて良かったと改めて思った。最も、客に共食いさせるなら高級料理店として失格だ。
そういえば、とエスカルゴンは考える。
デデデは、魔獣の値段は気にしているのに、フルコースに対してはそう思わないようだった。先ほどの映画もショッピングも同じであり、娯楽に関しては出費を惜しまないのだろう。
そうかと思えば、カスタマーサービスに割引しろとか年末にはお年玉を贈れとか文句をつけ、ワドルディの食費を一人当たり一デデンで済まそうとするあたり、他者への投資は渋る。
いずれは自分もワドルディのように、手厳しい扱いをされてしまうのだろうか。少しでもデデデの役に立たなければ、給料もボーナスも全額カットということも起こり得る中で、どういう仕え方をすべきか悩ましい。

「なんだ、もういらないのか」

指摘されて気付く。
考え込みすぎて、手も口も止まっていた。デデデはテリーヌをとっくに食べ終わっていたようだ。

「いらないならワシが食べるゾイ。むしろ寄越すが良いゾイ」
「考え事してただけでゲスよ。こんなおいしい料理を完食せずに帰るなんて絶対イヤでゲス」
「うまいからこそ他人の分を横取りしたくなるゾイ、横取りのし甲斐があるのだゾイ。ほれ、皿をこっちに寄せるゾイ」
「んもーっ、性格悪くて意地汚いんだから」
「照れるゾイ」
「褒めてねぇから!」





終点のプププランド駅に着くと、時計は二十一時を回っていた。
プププランドを走っている路線は一つしかない。今日はこの列車が最終列車だった。
寂れた無人駅から、回送となった汽車が遠ざかっていく。汽車から放たれる明かりがどんどん小さくなって、線路が見えなくなった。
ここには小さなランプがあるだけだ。星空の下で響いているのは夜風の音と虫の鳴き声、そしてひとつのエンジン音だった。
駅の出入り口に、ヘッドライトを灯した愛車が止まっている。運転席にはワドルドゥが欠伸をしながら座っていた。
古い石畳の間で伸びる雑草を揺らした音で、彼がこちらに気付く。もう一つ続けようとした欠伸を噛み殺し、二人に向き直り、敬礼する。

「お疲れ様です、デデデ陛下、エスカルゴン閣下」

ワドルドゥは車のドアを開け、デデデとエスカルゴンを乗せる。基本的に二人乗りなので、エスカルゴンは臨時の補助席に腰掛けた。
僅かな荷台スペースには、ワドルドゥが使用する小型ヘリが乗っていた。二人を迎えるために、終電の到着時刻に合わせてヘリコプターで飛んできたらしい。
二人がシートベルトを締めたのを確認すると、ワドルドゥは居城に向かって車を発進させた。
夏ではあるが車を走らせているので、体に当たる風は冷たく感じる。
エスカルゴンの触角が風に揺らされる。少々敏感な部分であるため、あまり嬉しくはないのだが、過ごしやすくて静かな夜では意外と悪くない。
彼は上を向いて、秋が近付く夜空を眺めていた。
街で見た夜景とは比べ物にならないくらい、星が眩しい。プププランドにはあまり街灯が設置されていないが、星明りのおかげで夜でも目を効かせることができるのだ。

「お出かけはどうでしたか」

車を運転するワドルドゥが尋ねる。デデデは何も答えなかったが、眠っているわけではなく、こちらの様子を伺っているだけらしい。どうやら質問はエスカルゴンに向けられたもののようだ。

「え、私?私はまあ良かったでゲスが……。私は付き添いだし、陛下が楽しいなら、それで」
「そうでしたか」

ワドルドゥはそれ以上には何も言わなかった。少しだけ首を傾げたように見えた。彼の場合は首がないので、実際には体全体を傾けていた。
それに合わせたかのようにデデデが席に座り直し、息を吐き出した。
特に意味はないのだろうが、ワドルドゥの様子も相まって何か思うところがあるのではないか、と勘繰ってしまう。
エスカルゴンは、問題があるのか、と聞き返したくなったが、なぜだか言葉に詰まった。結局その理由を聞くことができないまま、三人を乗せた車は城の跳ね橋を渡っていった。
城に戻り、いつものようにデデデを寝かしつけたエスカルゴンは、自室のベッドに倒れこんだ。やわらかな寝床に疲れが溶けていく気がする。
外出中に何者かに盗まれないように隠していた例の薬の紙袋を取り出す。
シートに指を当てて、薬を押し出そうとしたが、手を止めた。今日の出来事を振り返る。
陛下が早寝早起きをして、私を起こしに来た。隣国の街へ遊びに行き、映画を見て、新しい衣服を買い、美味しい料理を食べた。私はそれに付き添っていただけで、それ以上のことはない。彼にとって良い一日となったので喜ばしい。それだけだ。
聞き分けが良くなり、早寝早起きをして、自ら行動するようになった。薬は順調にエスカルゴンの願いを叶えていた。
エスカルゴンはシートを見つめる。薬の数は丁度折り返しに入ったところだった。
錠剤を指先で押し出す。一粒がぽとりと落ちる。
しかしエスカルゴンは、数日前に一錠目を飲んだ頃に比べて、何を願えば良いのかわからなくなっていた。薬を手のひらに乗せれば願いを思いつけるような気がして、取り出してみたが、実際は何も思いつかないのである。

「今のままで満足しているのかな」

口に出してからすぐに、そんなはずはない、と否定した。
デデデの他者に対する傲慢な態度や金遣いの荒さはエスカルゴンにとって不満と悩みの種である。今朝だって目にしたばかりだ。治してほしいに決まっている。
だがそれは薬を飲んでまで願うことなのだろうか。彼からその横暴さを取り上げて良いのだろうか。そして悩みながら考えるこの願いは、自分の本心から叶えたい願いなのだろうか。
しかし薬は毎日飲み続けなくては効果が薄れてしまう。もし今日願いを思いつかずに薬を飲まなかったとして、明日願い事を思いついたらどうするのか。
エスカルゴンは、いよいよどうしていいかわからなくなって、口に無理矢理薬を含んだ。唾液だけで飲み込む。
ベッドから起き上がって、枕元の水差しから水を飲んだ。水が薬を押し流し、食道を通っていく。
本心から叶えたい願いなんて、わざわざ探すものではない。無意識で当たり前すぎて、気付かないだけだ。明日になれば自分でも気付かなかった願いが叶っているはずだ。
エスカルゴンはベッドに潜り込んでランプを消し、目を閉じた。今はもう何も考えたくなかった。ただ時間が過ぎてほしいと思った。





【4】

秋に差し掛かり、同時刻でも日に日に弱まっていく朝の日光が、玉座の間に差し込んでいる。
エスカルゴンが掃除をしていると、デデデがやってきた。昨日に引き続き早起きだ。エスカルゴンもそれを見越してより早起きをしていた。いつもより早く一日が始まる。

「おはようございます、陛下」

ハタキで埃を落としながら挨拶をした。
するとデデデは目つきを悪くした。まだ寝起きで眠いのだろうか、と思うエスカルゴンに、いつになく真剣な面持ちで彼は言う。

「礼のひとつもないのかゾイ。昨日あれだけしてやったのに」

どうやら機嫌が悪いらしいが、エスカルゴンは、礼とは何のことだかわからなかった。
はて、昨日、私は陛下に何かしてもらったのだろうか。都会に遊びに行ったのはデデデが自身のしたいようにしただけのはずだ。

「昨日は陛下のご希望が叶って本当に良かったでゲス。街へのおでかけは楽しかったでゲスか」
「それはこっちの台詞、わざわざ早起きして連れて行ってやったんだゾイ」

エスカルゴンは首を傾げた。その言い方ではまるで、エスカルゴンがデデデに街に連れて行ってくれ、と頼んだように聞こえる。
モンスターペアレントや盗撮などの数々のトラブルに遭ったというのに、それを私が望んでいたとするなんて冗談じゃない。間違えられたままでは困るので、弁解する。

「陛下が出かけたいから付き添っただけで、私は頼んでないでゲスよ。それに私が自分から好んで出かけたいとするなら、あんなに他人に迷惑をかけたり浪費するようなことはしないでゲス」

軽くなった財布を持つのはエスカルゴンの役目だ。デデデにとって他者に迷惑をかけるのは日常茶飯事なので譲歩したとしても、カービィを倒すわけでもないのに無駄な出費をしたのは見過ごせなかった。おかげで貯蓄を使いすぎて火の車なのだ。
これからの家計ならぬ国家財政はもっと切り詰めなくてはならない。今日から節約しなければ将来は破産だ。
こんな状態で、エスカルゴンが頼んだから仕方なく、と認識されるのは気に食わなかった。
その様子にデデデは僅かに困った顔をして、エスカルゴンを問い詰める。

「では、何を与えれば喜ぶゾイ。金を気にして、何でも良いとか、まかせるとか、状況やワシに合わせてばかり。お前の意思はないのか」

エスカルゴンは、あまりに唐突で質問の意図が読めなかった。
仮に読めたとしても、デデデがこれまでに意思や希望を聞いてくれたことがあっただろうか。部下のために褒美をやろうという気になっただろうか。
振り回される側としては、主人の好きにさせて放っておく方がずっと楽なのだ。
それに、彼に合わさなければ合わさないで文句を言われてしまう。ならばはじめから自分一人で物欲を満たす方が気楽で良い。
エスカルゴンには例の薬を購入するまで目立った散財癖はない。その中で形成された考えを率直に述べる。

「ほしいものなんて特別ないでゲスよ。お給料さえいただければ、それでやりくりするから十分」
「わからんやつだな」

デデデは頑ななエスカルゴンの言葉を遮り、その胸倉を掴んだ。
呼吸が苦しくなる。床から足が離れてもがく。片手に持っていたハタキを取り落とす。ハタキが絨毯の敷かれた床を打つ。

「ヒトの善意を無にしてそんなに楽しいのか?お前はワシの奴隷だが、何一つ汲んでやらないとは一言も言っとらんゾイ!」

揺さぶられ、激しい剣幕で怒鳴られた。
しかしエスカルゴンは恐れよりも驚きが勝っていた。彼にも相手を思いやるという概念が存在するのだと知った。普段の横暴な姿からは微塵も感じさせないのに、彼はそれを善意と呼ぶらしい。
たとえ善意を持っていても押し付けるならば、それが伝わらないのなら、気付けるはずがない。
けれどエスカルゴンは長年傍で仕えてきたにも関らず、たった今初めて彼の善意に気付いたのだった。
それほどにこれまで彼から可愛がられている自信がなかった。自信がないから、彼の気持ちに冷たく当たってしまった。それは思ってもいない拒絶に繋がる。
エスカルゴンは怒りと驚きと疚しさが混ざって返事ができなかった。もがき、呻いて、のろのろと言葉を漏らす。

「知らなかったんでゲス」

重い胸中からようやく吐き出されたのは、偽りのない正直な答えだった。
それを聞いたデデデの手が一瞬だけ緩んだが、すぐにまた強められる。

「お前はこれまでずっと決め付けて、こんなワシからはきっと嫌われていると、勝手に判断していただけだろう。違うか?」

エスカルゴンは息が詰まった。図星だった。見透かされていた。
好かれるはずがないと思い込んで、自ら期待を殺して、彼に向き合うのを逃げていたのだ。
暴かれて疚しさを増す心を示すかのように、エスカルゴンは目を逸らす。
その瞬間、デデデは血相を変えて怒鳴り散らした。

「本当に貴様が気に入らなかったら、とっくに城から追い出しとるゾイ!」

そして片手を振り上げられる。殴られる。
エスカルゴンは逸らした目を瞑って痛みに耐えようとした。
しかし衝撃は訪れない。恐る恐る目を開ける。頬に当たる寸前で、握り拳が止められている。
そしてそのまま、体をゆっくりと床に下ろされる。
地に足が着いて、エスカルゴンはもがくのをやめた。咳込みながら荒い息を整える。咽ている体ではうまくバランスが取れずに床に座り込んでしまう。
デデデは、その姿を見下ろしていた。失望と落胆、という言葉が相応しい寂しそうな青い瞳だった。

「お前が愛していると繰り返すのを信じて、少しは愛してやろうと思ったワシは見せ物だったんだな」

彼はエスカルゴンに背を向けると、玉座の間を出て行く。
エスカルゴンは赤い絨毯の上に取り残された。


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