君と夢見る水晶街(2018.08.26)


・デデエス前提の、モブ+デデデ、モブ+エスカルゴンです。
・ホーリーナイトメア社倒産前。
・陛下が閣下と街を作る話。
※モブの人数と、モブからの視点が多くなっております。また主要モブキャラに名前が付いています。
※なんでも許せる方向け。
※直接関係はありませんが、スターアライズのネタバレがあります。ご注意下さい。


【生は晨星落落】

「『週刊ポップスター』、特集ページ。世界一の娯楽都市の国王にして七色のエンターテイナー・デデデ大王、独占インタビュー!」

小型スピーカーからは、雑誌記事の朗読音声が流れていた。
月頭に取材を申し込んできた雑誌記者とカメラマンの顔を思い出す。目を輝かせて、こんな千載一遇の機会はないとペコペコ頭を下げて感激していた。
これまでの私なら、ただ機嫌を取りたいだけだ、メシの種にしたいだけだと、冷ややかな視線を浴びせていただろう。
しかし、あの記者とカメラマンには下心がまるでなかった。お目にかかりたい、お話を伺いたい、できることなら個人的にもサインをもらいたい。そんな純粋な動機のようだった。
私はプールサイドに足を踏み入れて、この世の逸材に声をかける。プールの中央に浮かぶフロートの上で寝転がっていた彼は、閉じていた目を恨めしそうに開けた。
フロートの上から起き上がり、すぐ隣に寄せられている浮き輪に体をねじ込む。恰幅の良い体が浮き輪に嵌った振動に、バチャンと水面が揺れた。彼は浮き輪をつけたまま、すい、すい、と器用に泳ぐ。
プールサイドに近づいて来たので、私は濡れた腕を持って引き上げる。反動で尻餅をつきそうになってしまうが、礼を欠かないよう、耐える。近くで控えていた二人の召使が駆け寄って、彼の濡れた体を白いタオルで拭いていく。水気がなくなると、別の召使が服を着せる。服を着終えた主人は、のしのしとプールを出ていく。
庭の端に小型ジェット機が止まっている。その隣にはヘリコプターが並ぶ。街中を移動するには、ジェット機では小回りが効かないため、今日はヘリコプターを使う。
彼はヘリコプターに乗り込む。私も後に続く。運転手がエンジンをかける。

「いってらっしゃいませ」

庭には数十人の召使たちが私たちの出発を見送るために整列している。挨拶と共に一糸乱れることなく礼をした。
邸宅を外気から守るガラスのドームの天井が、一時的に開かれる。自家用ヘリコプターはプルプルと羽根を回して飛び立った。
ポップスターの外れ、プププランド近海を埋め立てて造られた島。その上に築かれた、この世の全てが集まる街、ニューデデベガスシティ。
この街の市長にして、この世で最も称えられる偉大なるデデデ大王……私は、その秘書だ。





私とデデデ陛下を乗せたヘリコプターは、ニューデデベガスシティの北にある遊園地に着陸した。
敷地内の小さなヘリポートを囲む街路樹の向こうには、一般客向けの駐車場、プププトラムや飛行船の発着駅が広がっている。
家族連れが車を停めて、弾んだ足取りでゲートへ向かっていくのが見えた。ゲートからは、愛と希望のデデデーランドへようこそ、とテーマソングが流れている。
ヘリコプターから降りる私たちの足元には、歓迎のための赤く長い絨毯が敷かれていた。その両脇に遊園地の従業員がズラリと並んでいる。

「おーい、陛下ー」

気の抜けた声が聞こえてきた。カーペットに沿って走ってきたのはデデデーランドの園長だった。

「出迎えが遅いゾイ、ガング」
「いやー、すみません。急に来るって言ったから準備が追いつかなくて」

園長のガングはポリポリと頭を掻き、苦笑しながら謝る。隣に立っていた私を見る。

「陛下、このヒトは新しい秘書さんですか」
「そうゾイ」
「へぇ。また優秀そうなヒトで、羨ましくなっちゃうなあ」

私はチラリと腕時計を見て、現在時刻を確認する。デデデーランドの開園より一時間が経った、十時だ。十二時からは別の予定が入っている。
園長に次の予定があることを伝えると、彼は慌てて先導し始めた。
ヘリポートには地下通路が隣接されていた。従業員専用の通路として使われており、遊園地の舞台裏へと繋がっている。
園長の後に続き、地下通路を通る。
地下通路はあちこちで枝分かれをしていた。分かれた先には各種アトラクションの制御室や、パレードの山車を保管する倉庫、ショーに参加するダンサーやキャラクターの控室があるという。園長の案内がなければ、簡単に迷子になってしまいそうだ。
何度も枝分かれした通路の先にある階段を上り、地上に戻る。周りの景色に溶け込むようカモフラージュされたスタッフ用の出入口から、表舞台へと入っていく。
デデデーランドの園内は、いくつかのテーマに沿ってエリアが分かれている。
本日の陛下による視察は、新設されたばかりの未就学児向けのエリアだった。ベビーカーを押して歩く親子の姿が目立つ。

「ほら、ご覧の通り。キルトのまちエリアは大盛況ですよ」

園長は各アトラクションを説明して回る。アトラクションといっても幼児向けに造られているので、二人乗りのブランコや小さなアスレチックといった公園の遊具の延長線に過ぎない。
だが、そのどれもに幼児が集まっていた。そして数人が、私たちの足元にも集まってくる。

「あっ、デデデさまだ!」
「すごーい! へえかだー!」
「ほんものだー!」
「デデデマン、ファイアデデデにへんしんしてー!」
「ちがうよ、できないよ。そっくりさんのこすぷれだよ」
「ええー? そうかなあ」

子供たちの純粋無垢な声を聞いて、遊具で遊んでいた子供たちも次々に近寄ってきた。皆が陛下の登場を喜んでいる。あるいは正真正銘の本人か訝しんでいる。
道を塞がれてしまうのを防ぐため、私は子供たちをやんわりと退ける。人気アニメの主人公であり、アクション俳優でもある陛下が現れたからには、大人のファンにも取り囲まれてしまうのは時間の問題だった。
子供たちの輪から脱出すると、布でできたマンションを象った建物に避難する。
マンションの一階はプレイルームとなっていた。積み木やボールプールといった室内遊びができる施設になっている。

「見覚えのあるオモチャだらけゾイ」
「なんたって私が作ったものですからね!」

園長は、えっへんと胸を張ってみせた。
彼は元々は玩具店を経営しており、自分でも玩具製作を手がけていたらしい。
積み木の一つを取り、陛下に見せる。

「この星ブロックは、子供がぶつかっても怪我をしないように、一つ一つ角を取って丸くしているんですよ」

園長が積み木の角を指差して説明をしていると、室内に悲鳴が上がった。
痛い痛いと大声を上げて泣き出した子供の横では、別の子供がプンプンと怒っている。どうやらケンカをして、怒った子供が積み木を投げつけたらしい。

「角が丸いのに、思いきり痛がっているゾイ」
「こらこら、星ブロックを投げてはダメだよ」

園長は泣きじゃくる子供と怒っている子供に駆け寄って宥める。怒る子供は声を荒げる。

「だってこいつが、おれが作ったブロックの街、壊したんだもん!」
「うえぇえん! いたいよおー」
「せっかく作ったのに、壊した方がわるいんだ。いけないのはこいつの方なんだ!」

足元には積み木がバラバラになって転がっていた。
泣く子供を指して怒っている子供の目にも、涙が浮かんでいる。大切に作り上げたものを壊されて、納得がいかないのだろう。
園長は彼らに目線に合わせるようにしゃがむと、涙目の子供たちの手を握る。
街を壊したこと、物を投げたこと、どちらも悪いので、お互い様だから謝ろうと諭す。そして謝り合った彼らを、よくがんばったねと褒めた。
仲直りをした子供たちは今度は一緒になって積み木の街を作り出す。見守っていた大人たちは、一安心した。
園長が陛下の元へ戻ってくると、陛下は尋ねた。

「ワシが、貴様の作った積み木の街を崩したら、どう思うゾイ」

陛下の質問に、園長はきょとんとした顔で答える。

「どうって、豪快だなって思うだけですよ」
「怒らないのか」
「怒るわけないでしょう。陛下がやったことなんだから、そりゃなんだって素晴らしいに決まっている」

園長は当然のように言った。むしろ何故そんな野暮な質問をするのかわからないといった顔をした。

「どうして無条件にそう思うゾイ」
「陛下は、この街を作って俺たちの生活を一新させ、支えてくれた。それにいつだって俺たち人民に優しくしてくれたでしょう。陛下の溢れる才能とヒトの良さに、今更何を疑う必要があるんです?」

園長は笑いながら続ける。

「それに、そんな人望があるからこそ、優秀な秘書さんや大臣さんたちに囲まれているんじゃないですか。羨ましいなあ。俺ももっとがんばって、人気者にならないと」

陛下はそんな園長を見て、フンと鼻で笑う。園長は、俺程度じゃ人気者には程遠いですかね、と自嘲気味に苦笑した。
陛下は園長に背を向けて、マンションを出ていく。園長は陛下を追いかけて子供たちで溢れるキルトのまちに出る。

「あっ、陛下。もしかして、もうお帰りですか?」
「気分が悪くなったから帰るゾイ」
「まだ何のアトラクションにも乗っていないのに、景色酔いでもしたんですか?」

建物の配色が奇抜すぎたかな、などと不安がる園長に、陛下は、あまり気にするな、とお声をかけた。

「ヒト混みに酔っただけゾイ。それに今日は予定が立て込んでおる故、ここで早めに失礼させてもらうゾイ」

私は腕時計を確認して、まだ四十分しか経っていないことに気づく。
次の予定までには十分余裕があったが、陛下はすぐに遊園地の表舞台から去ってしまう。本当にお体の具合が悪いのかもしれない。私も後を追いかける。
ヘリポートに戻るため、地下通路を使う必要があった。私は掃除をしているスタッフを捕まえ、地下通路を案内させる。その間にも陛下の足取りは早かった。
私は無線を使って運転手に連絡を取る。ヘリコプターがすぐに出発できるように、準備をさせる。
地下通路を迷うことなく歩いてヘリポートに帰還した私たちは、園長の見送りのない中で、次の目的地へと飛び立った。





人工島の中心部にそびえる、人気ブランド店、複合映画館、高級レストランの入ったデパートの百階は、王のための宮殿となっている。
ゴールドハウスと呼ばれる邸宅の最上階、半球状の部屋が陛下の居室だった。
遊園地の視察を終えた陛下は、次のニューデデベガス警察署に向かうことなく、ゴールドハウスへと引き返された。
ご気分が優れないようで、休憩を兼ねた少し早めの昼食を召し上がる。
ナフキンを掛けた陛下は、フォークとナイフを巧みに操りながら、ラム肉のステーキを刻んで口に入れる。
私は昼食の間でも報告を欠かさない。昼食中にお聞きいただくのは心苦しいが、お忙しい陛下にお伝えする時間は限られている。

「今月は地上、海底共に悪いお知らせはございません。良いお知らせをお伝え致します。海底・南区域にある『レン村長のヒツジ牧場』の今週の売上高は過去最高となりました」

陛下は海底牧場から産地直送されたラム肉を頬張りながら命じる。

「味は悪くない。来月からは星外にも輸出させ、どんどん外貨を稼がせるゾイ」
「海底農場の穀物、野菜、果物はいかが致しますか」
「大臣共に任せる。勝手にやらせておけ」

ワシは野菜より肉が好きゾイ、とお話を続けた陛下に、私は提案する。

「では料理人に、野菜の数を減らすように命じます」
「バランスよく食べろと怒らないのかゾイ」
「健康上の理由でしたら、サプリメントをお飲みいただくので問題ございません。ご無理をされて召し上がっても、御心に障ります。病は気からと言います。私は、陛下が一番お召し上がりたいものだけを頂くことが最善と考えます」

陛下はニンジンのグラッセをフォークに突き刺したまま、手を止めていた。
私がお伝えすると、フォークを置き、ナフキンを外した。居室の隅に立っていた配膳係の召使が料理を下げる。
陛下はグラスに入った水を、ゴグゴクゴクと一気に飲み干すと何かから逃げるように、ふいっと頭を振られた。
昼食を終えたので、私は居室の壁に浮かび上がるホログラムの大型ビジョンの電源を入れる。
このビジョンは、テレビを見るだけでなく、カメラ機能を通してテレビ番組を放送できる、双方向テレビだった。街の至る所に設置されているビジョンやホログラムのサイネージに映像を送り込むことができる大型ビジョンを、陛下は愛用されていた。
私はビジョンのタッチパネルを操作しテレビ会議モードの準備をする。
ニューデデベガス警察署のビジョンへと接続した。予定時刻より少し早かったが、無事に本日の視察の担当者が映った。

「ボルン、最近のワドルディ共の使い道はどうゾイ」

陛下は挨拶もなく、警察署長へと尋ねる。
警察署長の背後には警官帽を被ったワドルディ、短剣を持ったワドルドゥ隊長が控えていた。

「はい、大変忠実で、仕事でもプライベートでも重宝しております」
「わにゃ」

署長は一人の警官ワドルディを前に出すと挨拶をさせた。短い手でビシッと敬礼をする。

「彼らの言葉は未だにわかりませんが、そこにいるワドルドゥ隊長が通訳をしてくれるので、意思疎通に困ることはありません。難しくない内容であれば、ヒトの言葉を理解して従いますしな」
「半分は警察官と近衛兵に、もう半分は召使やペットとして人民共に配ってやった甲斐があったゾイ」

陛下がワドルドゥ隊長を見ると、視線を受けた隊長もワドルディと同じように敬礼をした。
署長は働き者を与えた陛下へと、長い髭に隠れた口で、もごもごと感謝の言葉を述べる。

「陛下の有難きお言葉、寛大な御心、その優しさに触れることで、牢にいる囚人たちも更生に励むようになりました」 

署長は画面外に向かって手招きをすると、二人のワドルディが手錠を嵌めた囚人を連れてきた。

「ドロンは、この街に来てからは一度も盗みをしていません。村にいた頃は、私たちの夕飯のから揚げをしょっちゅうつまみ食いしていたというのに、今は進んで揚げ物の調理を手伝うようになりました。盗みの発作が出る度に、私が警棒を振るって懲らしめていた頃が懐かしいですよ」

昔を思い出した署長は笑顔で囚人を撫でる。囚人は無言だったが、照れくさそうにはにかんだ。
陛下はデデデーランドの園長にしたものと似た質問を投げかける。

「もしワシが盗みを働いたらどうするゾイ。強欲なワシを捕まえなければ、世界中の全ての財産が吹き飛ぶゾイ」
「はっはっは。何を仰る。私は陛下の行いを咎めるなんてしませんよ。ましてや逮捕なんて恐れ多い。神の御身に触れて火傷をしないヒトはいません」

署長も笑いながら続ける。

「それに、この世界のモノは全て陛下のものです。私たちはそれをお借りしている身分。もし陛下が盗みをなされるのならば、それは盗みではなく、あるべき陛下の手元へとモノが帰っていくだけですよ」

陛下は手元にあったリモコンでビジョンの電源を切る。
一時間を予定していた、ニューデデベガス警察署の視察は十分で終了した。
ビジョンの電源を切った陛下は、豪奢な金の椅子の上で項垂れていた。やはりお体の具合が悪いのだろうか。
私はこの後の予定を早めて進めるか、医者を呼ぶか陛下に伺う。

「陛下、十三時からは、古代デデデ文明博物館でキュリオ館長との『恐竜くんはかせデデデのたのしい恐竜くん天国・なつやすみ特別展』についての視察と会議が」
「断る!」
「十五時からは、『デデデミラー』新聞の『デデデのそんなバンカーな! 今をときめくプロゴルファー』記事へのインタビューが」
「断る!」
「十七時からは、『DEDEDE THE MOVIE』の完成試写会が」
「断る!」
「二十二時からは、ゲームアプリ『スーパーデデデマン・アライズバトル』のプロデューサー生出演放送が」
「もう一人にしてくれゾイ!」

陛下は私に背を向けて怒鳴った。両腕でごしごしと目を擦っているのが見える。目の調子が悪いのだろうか。

「医者をお呼び致しましょうか」
「うるさい! 下がれ、愚か者!」

陛下はふらふらと歩くと、天蓋付きのベッドに身を投げ出した。枕に顔を埋めてしまう。
私は部屋の電気を消した。夜光塗料の塗られた天井が月の浮かぶ星空模様を浮かべる。陛下は起き上がることはなく、枕にしがみ付いて丸くなっていた。
私はそっと居室のドアを閉め、静かに立ち去った。





本日の予定を全て断り、一人で夕食を終えた陛下に呼び出される。
陛下に与えられた秘書用の寝室で書き物をしていた私は、手身近に準備をするとすぐに居室に向かう。
陛下の居室の壁全面に広がる窓は、夜の街を映している。最上階のこの部屋はどの建物よりも高く、街の全てを見下ろすことができた。
一番奥の窓辺に陛下は佇んでいた。右手は窓ガラスに触れている。
陛下は北を見る。遊園地が見えた。敷地から伸び、街中を走り回るジェットコースターが、流星のようにビルの間を駆け抜けている。
次に東を見る。繁華街では、無数のバーから漏れる灯りが、蜘蛛の巣のように張り巡らされ、夜道を暖かく照らしていた。
しかし西には目を向けなかった。プイッと目を背けてしまう。
最後に南を見ようとしたのか、ちょうど振り返る形になった。失礼します、と入室の挨拶をした私と目が合った。
陛下はこちらへ近寄られると、私の顔をじっと見つめた。
そして陛下は右手にハンマーを構え、振り下ろす。
しかし私に痛みはない。
私の頭上には振り上げられたハンマーの影が浮いていた。一瞬の出来事だった。
陛下はハンマーを下ろすと、ふーっ、と溜息をついた。私はどのような無礼を働いてしまっていたのだろうか。

「大変申し訳ございません」

分からないながらも、私はすぐに深々と礼をした。
陛下は、もう良いと、諦めたように仰った。その声音の意味が私には理解できず、秘書失格だと思った。
陛下は昼の間に園長と署長にしたように、私にもいくつかの質問を問いかける。

「シュトゥアルト、お前にとってこの街は何であると思う?」
「この世の全てが集まる、完全無欠の街でございます」

私は決まりきった答えを述べる。模範解答ではあるが、今の陛下には物足りないかもしれない。
だがこの街を説明するには、この答え以外では表すことができないのも事実だった。
陛下はさらにお尋ねになった。

「では、この街にとってのワシとは何ゾイ」
「そのお人柄とご活躍から、陛下こそがこの街の象徴、ひいてはポップスターの全てを導かれる御方であると考えます」

私は園長と署長と似た答えを申し上げた。陛下は黙ったまま、その答えを聞いた。
そして陛下は頭を振って、馬鹿馬鹿しい、と呟かれた。

「お前はワシの望む答えを持たない愚か者ゾイ。よって貴様も、今までの秘書と同じくクビゾイ」

私は息を呑む。
陛下は構わず私に再び背を向けた。見限られたのだ。

「人形の綿など、ギロチンの錆にもならんゾイ」

私は突然のことに戸惑っていたが、陛下は私を振り返らない。
私は居室を出を出ていくしかなかった。
部屋を出た私を待ち構えていたかのように、召使が出迎える。
召使は秘書の寝室から、私の私物をまとめていた。
彼女が手に下げた古びた革のカバンは、私の持ち物だった。各国の政府高官の秘書や、今や宇宙規模へと成長した大企業の社長秘書を務めた私の相棒だった。
一週間前に私が陛下の秘書として初めて邸宅を訪れた時には、誇らしげに輝いていた革が、今はくすんで見える。

「心を奪われ、ワシを見ようともしない愚か者め、さっさと出ていけ!」

扉の向こうから、陛下の怒号が聞こえる。陛下の荒げた声を聴くのは初めてだった。
召使が私にカバンを押し付ける。私は諦めてカバンを受け取る。
そろそろ踏み慣れてきたかと思われた緋色の絨毯を歩く。エントランスで掃除に励む召使たちは私には目もくれない。
玄関の大扉を自分の手で押して出る。守衛のワドルディは槍を携えて立っていた。
庭の隅に設置されたゴールドハウス専用のエレベーターを起動し、下階へのスイッチを入れる。
王以外の者がこの箱の床を踏むのは、人生で二回だけだ。私はその二度目を踏みしめている。
私はカバンを手に、デパートをエレベーターで降り続けていた。次の仕事を探さなければならなかった。
私は暇を出された理由について自問自答を繰り返す。
だが何度考えても陛下の求めていた答えがわからない。脳に霧がかかったかのように、答えが隠されているようにも思えた。
ふと、私は考える。
陛下は如何にして、この街を我が物にしたのだろうかと。
短い間だったが、私は陛下の秘書であった。だが彼の過去について何も知らなかった。知らされていなかった。秘書である私ですら秘匿されている陛下の真実を、この街のどれだけの人民が知っているというのだろう。
私にはもう何もわからなかった。疑うことすら罪深かった。この街の人民の一人として、陛下を讃えることが全てであるべきだった。
疑問は夢のようにふわふわと漂い、いずれ砕けて消えて覚めるだろう。





【物換わり星移る】

高速バスと汽車をいくつも乗り継ぎ、地図アプリを片手に、歩き続けて数時間が経った。
手にしたスマートフォンのカレンダーには、四月八日と表示されている。春爛漫であっても坂道を何度も登れば、汗をびっしょりとかいてしまう。
坂の下に、海と小さな村が見えた。穏やかな日差しに照らされて、海面がキラキラと輝く。沖には漁船が漂っている。
北西の崖上には大きな城が立っていた。オレンジ色のドームと、四つの尖塔が特徴の古風な城だった。外壁の手入れを怠っているのか、所々に蔦が絡みついている。
あの城に、偉大なる彼が住んでいるという。顔に垂れてきた汗をタオルで拭うと、城を目指して小高い丘を登る。
当たり前のことだが、近くで見る城は自分の何十倍もの背丈があった。城門の前からでも城の窓や回廊が見える。城にしては開放的だ。この国が平和であると城自身が示していた。
城門には、数人の衛兵が待機している。僕は、衛兵の一人に声をかけた。

「すみません、このお城にいらっしゃる方と、お会いしたいのですが」
「わにゃ」
「えっ? わ……?」
「わにゃ」
「わ、わにゃ……」

僕は、わにゃ、とだけ喋る衛兵を前に困ってしまった。他の言語をかけても、わにゃにゃ、としか返答がない。言葉を理解しているのかも怪しかった。
もしかすると、この国では、僕の知っている言語は全て通じないのではないか。そんな不安に背筋が冷える。彼に会う前に、御目通りを願うことすらできないのだろうか。

「その子には何を話しても無駄じゃよ」

困っている僕に助け船を出してくれたのは、カバンを襷掛けにしたおじいさんだった。
おじいさんは、ゆっくりとした足取りで衛兵に近付くと、カバンから封筒を取り出して衛兵に渡した。

「わにゃ」

確かに、というように衛兵は頷く。おじいさんと衛兵は意思疎通ができるらしい。
おじいさんは用事が済んだのか、ゆっくりと踵を返すと、坂を下りていく。僕はおじいさんを呼び止める。

「あの、すみません、お城に入るにはどうしたら良いですか。跳ね橋は上がっているし、警備の方は話が通じないし」
「なに、お客さんかね」
「は、はい。どうしてもお話がしたいんです」
「ほおー」

おじいさんは感心したのか、真っ白な眉と髭を揺らしながらフェッフェと笑った。

「若いのに見上げたもんじゃ。村におるはずだから、一緒に行こうかね」

僕はおじいさんの親切に甘えて、一緒に坂を下り、村を目指すことになった。
こういった小さな村では余所者への偏見があるかもしれない中で、地元に住んで長いであろうおじいさんと行動できるのは僕にとっても利点だった。
おじいさんは、かなりお年を召しているようで、カバンを重そうに持っていた。僕も長いこと旅をしてきたので、大荷物を抱えていたのだが、ヒイヒイ喘ぎながら歩くおじいさんを見捨てられなかった。
カバンを代わりに持つ。見た目よりずっしりと重かった。
カバンの中を見せてもらうと、沢山の郵便物が入っていた。
おじいさんは、この村で一つしかない郵便局の局長だった。モソさんと言うらしい。

「こんな重たい郵便物を、毎日届けているんですか。バイクで配送したらどうです」
「ばいく……。はて、あくせると、ぶれえきは、どっちがどっちじゃったかのう」

モソさんは再びフェッフェと笑う。どこかはぐらかされたような気がするのは、僕の気のせいだろうか。
他愛のない会話をしていると、坂を下り終えた。大きな木の生えた、村の広場にやってきた。
村人たちは、モソさんと大荷物の僕を交互に見やり、ヒソヒソ話をした。予想通りだった。余所者は珍しいのだろう。

「あら、モソさん、お元気?」
「そちらの方は……初めて見る方ですわね。観光の方?」

僕たちに声を掛けたのは、二人組の女性だった。パラソルを差した女性がサトさん、帽子を被った女性がハナさんだと、モソさんが紹介する。
僕は名乗り、人を探していることを伝える。

「陛下なら、港の方にいらっしゃったわよ」
「この通りを真っすぐ行くと、十字路に出ます。右手に曲がると、小さな丘になっていますから、そこから探すと良いですわ」

ハナさんが手を向けた方角にアーケードが見える。それをくぐるとすぐに十字路に差し掛かるという。

「とっても良いお方だから、きっと貴方の力になってくれるわ」
「陛下のおかげで、私たちはこんなに楽しい毎日が送れるんですもの」
「ありがとうございます、話してみます」

僕はサトさんとハナさんに礼を言うと、モソさんと一緒に大通りを歩いた。
大通りは商店街の役目も果たしているようで、肉屋や本屋、キャピィ族用の仕立て屋などが立ち並んでいた。
アーケードをくぐると、ハナさんが教えてくれた十字路が見えてきた。すぐ左手にはガソリンスタンドがあり、若者がバイクの整備をしている。
前方には海が広がっている。少し前に坂から見下ろした時と同じように、漁師の小舟が浮かんでいる。浅瀬では海女たちが貝や海藻を採っていた。
僕は小舟と小舟の間から、大きな影が見えるのが気になった。のどかなププビレッジには似合わない、幾何学的な影だ。

「モソさん、あれはなんですか」
「あれは、陛下が埋め立てている島じゃ」
「島?」

聞けば、プププランドの国王陛下が、人工島に新市街を造ろうと計画したという。今月から工事がはじまったばかりらしい。細く長い影は、ビルを建てるためのクレーンなのだろう。
島の完成はいつの予定なのかと聞くと、モソさんは、知らん、と言う。

「陛下のなさることは、わしゃあよくわからん。だがきっと良いことに違いないと、そう信じとるよ」

モソさんもサトさんもハナさんも、皆、国王陛下を称えていた。国民に優しい王様なのだろう。僕はますます興味を持った。

「ほれ、噂をすればじゃ」

モソさんは十字路の右手を指さす。小さな丘の上に、ビーチパラソルとビーチベッドが組み立てられていた。パラソルが二人のヒトに影を作っている。
僕は、あっ、と声を上げる。モソさんにカバンを返すと、丘へと続く道を歩く。
後ろでモソさんがお礼を言いながら小さく手を振った。

「思ったように上手くいかんゾイ」
「購入してから一ヵ月ちょっとでゲスからね。資金も労働力もまだまだ有限だし、こればっかりはどうしようもないでゲス」
「それをどうにかするのが貴様の仕事ゾイ」
「無茶言うんじゃないよ、もう! 自分だけラクばっかしてんだから」

一人は、人工島を双眼鏡で観察している。もう一人は、ビーチベッドに座りながらタブレットを注視していた。
互いに顔を見合わせることはないが、会話は自然に進んでいく。

「ワシもちゃんと考えておるゾイ。稀代のエンターテイナーを甘く見るでない……見よ!」
「見るなって言ったじゃないっすか……あっ、見る見る」

一人が双眼鏡を下すと、紙を突き出して見せた。もう一人は、タブレットに夢中になっていたが、すぐに首を上げる。視界に入った紙を見ると、ぶはっと吹き出した。

「ははは、陛下、相変わらずヘッタクソでゲスなあ! これが新しい街の計画書? 鼻で笑っちま……いてっ!」
「貴様の全身の穴という穴に鉛筆を捻じ込んでやろうか」
「ずびばぜん……」

一人がもう一人の顔の中央……鼻にあたりそうな部分に、軽く鉛筆を刺した。結構痛そうだと、僕は思う。
そして僕は、どうやって彼らに声をかけようか迷っていた。しかしこちらが申し出るよりも先に、一人が僕に気づく。

「ん? 貴様は何ゾイ」
「陛下に謁見でゲスか。困るんでゲスよ、予めアポを取って玉座の間で待っていてくれないと」

その顔を見るなり、僕はパッと駆け出した。

「いっ、いきなり何ゾイ!」
「僕、貴方にお会いしたくて! お話したくて、ここまで来たんです!」
「うむ、良い心掛けゾイ。もっと褒め称えるが良いゾイ」
「エスカルゴン博士!」
「は?」
「え、ええ? 陛下じゃなくて、私に?」

僕は、この世で最も敬愛する博士の手を取って跪いていた。





昔々あるところに、一人の若者がいた。
生まれた時から小麦畑の農村で過ごし、森や草花に囲まれて育った。植物の知識は村の誰よりも優れていた。
その知識と持ち前の探求心を元に、街へ進学し、ついには博士号を取るようになった。
大学院を首席で卒業するほど極めて優秀だった若者は、一度田舎に帰るも、故郷に錦を飾るため、再び都会に舞い戻る。
在学時代の研究成果、粗削りながらも丁寧な著書の功績から、誰もが若者を迎えようと躍起になった。
しかし若者は転職を繰り返し、新たな知識と心の傷を得る度に、街の外へ外へと流れていく。
そして何時の間にか街から姿を消した。その者の名は……。

「うーん、六十点」

エスカルゴン博士は目と目が繋がった頭を振った。
僕は、ええっ、と声を上げる。

「教授からはそのように伺っていたのですが」
「買い被りすぎでゲスよ。私は引く手数多でもなんでもない、ただの象牙の住人の一人でゲス」

カタツムリの私を雇う所なんてどこにもありゃしないでゲス。彼はそう言って過去の自分を憂う。
キャピィ族の多いこの星では、軟体動物というだけで目を引く。中には、食材扱いをして差別するヒトもいる。

「だからって、今は秘書でお世話係でアナウンサーなんて」
「陛下に拾われたのがやっとでゲスよ」

エスカルゴン博士は研究者の間では数々の伝説を残したとして有名だった。名著の『植物学大百科』や幅広い分野の知識を生かした発明は現在でも高い評価を受けている。
僕は、そんな優秀な研究者を、研究者として雇うのではなく、雑用をさせるために雇ったのかと思うと憤った。
エスカルゴン博士は困った笑顔で笑うと、カラに配慮されたカタツムリ用の小さなリュックを背負い直した。
昨日より麗らかになった春の日差しに照らされながら、僕たちは上り坂を上っていた。
ふと振り返ると、ププビレッジが小さく見えた。僕とエスカルゴン博士の旅は始まったばかりだった。
お互いの身の上話や、研究のこと、プププランドのこと、国王陛下のこと、口が疲れてしまうまで、僕たちはいろんな話をした。

ププビレッジを出て、キャンプを二度終えたその夜明けに、僕たちは辿り着く。
プププランドの南西、隣国との国境地帯に存在する地下迷宮、マジルテだ。
何十年前に作られたのかわからない、オンボロの木製看板には、大きなエクスクラメーションマークが書かれている。キケン、とも書かれていた。
その隣には、看板と同時代に作られたであろう、滑車が設置されている。当時の探検隊が使用した、エレベーターのためのものだった。
滑車そのものは生きているようだが、洞窟内のエレベーターが壊れているのか、びくともしなかった。
そして僕たちの足元には、看板と滑車と同じくらい古びた柵が張り巡らされていた。
柵の中には大きな穴が、がっぽりと口を空けている。何も知らなければ、竦み上がってしまうであろう、黒い黒い闇。
穴に飛び込んで行き着く先はマントルなのではないか、突入したら全身が焼け焦げるのか、それよりも先に酸欠で命を落とすかも……研究者としては稚拙な、子供のような怖い妄想も簡単に思いつけてしまう。

プププランドの城の図書室に、マジルテについて書かれた書物があった。僕が持ってきた本より、ずっと詳しく書かれた古文書だ。
古代プププ文字で書かれた古文書を、エスカルゴン博士はものの数分で読み解いてしまうと、思っているより近い、と評した。

「マジルテの存在は知っていたけど、行こうなんて考えたこともなかったでゲス」
「貴方ともあろうお方が?」
「私がこの国に来た頃には、そんな体力残ってなかったから」
「探求心は年齢では衰えないでしょう」
「私の探求心は、いつしか平穏と安定と、少しの野心へと変わっちまったんでゲス」

エスカルゴン博士は、ふーっと長い息を吐いた。僕を見て眩しそうに眼を細めた。

「マジルテに何の用があって?」

僕の数ヵ月がかりのマジルテ研究を、たった数分で解き明かした彼にとっては、その質問は愚問でしかないように思う。
僕の口から決意を聞きたいのだろう。僕はぐっと腹に力を込める。

「マジルテにある地底の木々で、ゴル草を手に入れたいんです」
「危険を冒す理由は?」
「大怪我を負った恋人を救うためです」

ゴル草は、古代プププ文明の時代に不老不死の薬として重宝されてきた植物だ。
勿論、本当に不老不死の効果があるわけではなく、あらゆる薬の効果を高めるスパイスとしての利用が主だった使い方だ。
エスカルゴン博士は、古文書のページをめくる。ゴル草の挿絵が載っているページだ。
光沢のある黒い葉を持ち、茎部分には青白い棘が無数についている。花弁は八枚とも黒い。
棘部分は猛毒で、刺さると命の危険があるため、沸騰した湯で茹でてから棘を取り除く必要がある。

「見てわかる通り、この古文書は、あくまでも古代の時代からの口伝をまとめたものに過ぎない。もし実在しても、時代を経る中の環境変化で特性が変わっている場合もあるでゲス。それでも欲しいんでゲスか?」
「覚悟の上です」
「他の方法で傷が治る方法を考えるというのもある」
「もうこれでしか助からないんです!」

エスカルゴン博士は表紙を閉じると、本棚に古文書を戻した。
そのまま図書室の入り口に目を向けると、国王陛下が僕たちを見ていた。

「陛下、どうもこの子は逸材みたいでゲスよ」
「やっと少し運が傾いてきたのかゾイ」
「そのようで」

国王陛下は僕へ歩み寄ると、じっと見下ろして、エスカルゴン博士の肩に手を置いた。

「貴様のドラマのためにこいつを貸してやるゾイ。手荒く使ってくれるなよ」
「私の身に傷が付いたら」
「命で弁償ゾイ」

僕は国王陛下の有難いお言葉に何度も頭を下げた。残忍にも聞こえる取引条件は、エスカルゴン博士の身を案じてのことだろう。
僕よりもエスカルゴン博士の方が余程逸材なのだから、大切に扱われて当然だった。
こうして、僕はエスカルゴン博士とマジルテにやってきたのだ。
マジルテへの洞窟は、縦に長く空いているようだ。真っ暗な上に無風だから、詳しいことは全く検討がつかない。古文書の通りであることを祈るしかない。
僕は穴の近くに立っている大木にロープを括りつけると、それを僕とエスカルゴン博士の二人で思い切り引っ張った。びくともしない。ロープも丈夫にできていた。
ロープの強度と安全を確認した僕たちは、命綱を体に括りつける。そしてピッケルと共に、穴に飛び込む。岩壁に身を這わせて、一段ずつ、ピッケルを突き刺しながらゆっくりとゆっくりと下って行った。
僕の後にエスカルゴン博士が続く。
若い頃は、洞窟探検もしていたが、プププランドに来てからは随分とご無沙汰だったと聞いた。
しかし、僕の頭上で穴を降りる様子は、年月の経過を感じさせていない。カタツムリの不定形のつまさきを一生懸命に伸ばして、一歩ずつ岩を下っている。
かといってエスカルゴン博士が、普段から走り回ったり飛び跳ねたり肉体に鞭を打つ姿を想像できない。やはりベテランの研究者ともなれば、歳月など関係ないのかもしれなかった。
穴を下り続けるうちに、だんだんと薄暗くなってきた。
マジルテの入り口に到着したのは明け方だったので、今は太陽が昇りきっているはずだ。
それでも薄暗いのだから、陽の光が差し込まないほど深いところに到達したということだろう。
僕は被っていた帽子の上に装着していたベルトに触れる。タッチパネルが反応し、懐中電灯機能が起動された。向き合った岩壁に、明るい光が照らされる。

「大分下ってきましたが、あとどれくらいでしょうね」

エスカルゴン博士は、スマートウォッチに触れ、時刻と、予め用意しておいたマジルテの予想地図を開いた。

「下り始めてから一時間は経っている……けど、まだまだかかりそうでゲスな。少なくともあと半分は想定しないと」
「そうですね」

僕は小さく溜息を吐いた。長旅の疲れが身に染みてくる。

「疲れたでゲスか」

エスカルゴン博士に気遣われてしまって、僕は赤面した。若い僕よりエスカルゴン博士の方が苦痛だろうに、僕の為に同行してくれているのだ。
しかし博士は、気にしなくていい、私が慣れているだけだ、と言う。

「博士は体を鍛えていらっしゃるんですか」
「秘書業務というのも過酷なんでゲス。あらゆる痛みに耐えるのは勿論、ハチの大群から走って逃げたり、トライアスロンに付き合ったりしないといけないでゲスから」
「国王陛下はチャレンジャーなのですね」
「いや、あれはただのバピー……まあそうともいうかな」

エスカルゴン博士は、それきり口を閉じた。喋ると、余計な体力を使うからかもしれない。
ふにょこふにょこと隣の岩壁を下りていく。僕もそれに続く。
僕は、故郷の街に残してきた恋人のことを想った。
教師になりたいと夢を見て街を飛び出した恋人は、ある企業との契約違反として魔獣に襲われた。
その時に負った怪我が深く、現代医療では二度と治らない不治の病だった。
僕は、もう一度恋人の夢を叶えてやりたかった。教師になった恋人の姿をこの目で見てみたかったのだ。
エスカルゴン博士が、何故街を出て行ったのか、こんな辺境の国で秘書をしているのかはわからない。
彼にも何か大きな理由があったのだろうか。全てを投げ打ってまで、ここに残りたいと思う理由が。

「ひゃっ!」

ボーっとしていたら、左足を踏み外した。
宙ぶらりんになった足元で、岩壁が少しだけ崩れた。壁が小石と砂になってパラパラと落ちていく。
そしてコツンコツン、と音がした。

「やっと到着みたいでゲスね」

エスカルゴン博士は、スマートウォッチから懐中電灯機能を選ぶと、足元に向けて光を向ける。数メートル先に、平らな大地が見えた。
とはいっても、また足を踏み外してしまって落下してしまえば、怪我をしてしまう高さだった。僕は引き続きゆっくりと岩壁を下りていく。
地下に広がる大地に足を着けると、僕は安心感からへたり込んでしまった。もう落下の心配をしなくて良いのだ。

「魔獣もいないし、この辺りは安全みたい。少し休憩するでゲス」

エスカルゴン博士は僕に、スマートウォッチのディスプレイに表示されている、反応のないレーダーを見せた。
僕は背負っていたリュックを下ろして、ランプを点け、荷解きをした。
これからはゴル草の探索に入る。もし、今日中に見つからなければ数日滞在する必要が出てくるため、テントを組み立てた。今後はここを拠点に探索することになる。
ベースキャンプ作りをしている間、エスカルゴン博士は、古いエレベーターの修理をしていた。これが使えるようになれば、荷物の運搬や脱出が容易になる。疲れているはずなのに、彼はテキパキと手を動かしていた。
僕は、自分のスマートウォッチから時計機能を見る。あれからさらに数時間が経って、昼下がりになっていた。
リュックの中から固形食とペットボトルの水を取り出して、簡易的な昼食の準備をした。
錆び付いたトロッコに機械油を挿したエスカルゴン博士は、テントに戻ってくると、ブルーシートを敷いた地面に座る。

「エレベーターとトロッコの調子を見てきたでゲス。まだ使えそうで助かったでゲスよ」
「過去にも探検隊が来たのでしたよね。途中で探索は中止になったようですが」
「どうも、ゲンジュウミンとモメたみたいでゲスよ。宝探しなんて、所詮は侵略と同じ行為でゲスからな」

このマジルテには、ワムバム族という魔人が住んでいるという。普段はマジルテの深層である、水晶の畑で暮らしているため、今回の探索中に出くわすことはないだろうが、念のため注意しておく必要がある。

「私も詳しいことは知らないでゲス。この地の文化人類学や考古学は、フームに聞いた方がいいかも」

エスカルゴン博士は首を振り、ペットボトルの水を煽ると、年齢の割に聡明な少女が同じ城で大臣の娘として住んでいるのだ、と説明した。
僕は、城に住んでいる大臣の娘、という言葉から恋人のことを思い出した。恋人がやっとの思いでありつけた小学校の教師の仕事。その学校にも、勉強熱心で博学な少女がいたと語ってくれた。
恋人が教師となる前にも、青空教室の先生として活動していた彼女は、周囲の子供たちを導いていく、さぞかし賢く心優しい少女なのだろう。
僕が物思いに耽っていると、エスカルゴン博士は、スマートウォッチに向かってブツブツと呟いていた。

「救難信号のための記録ですか?」
「そうなんです……え? ああ、今のは偶然のダジャレでゲス」

エスカルゴン博士は、マジルテに侵入する前にもこうして記録を付けていた。音声入力でここまでの行動、道のりを記しているのだ。
後で研究室に戻って論文を書く資料にも使えるし、万が一に遭難した際にも消息を断った場所を残しておくことができる。
記録したファイルは、自動的に相手の元に送られてすぐに確認できるようになっている。今回の場合は、国王陛下のいる城にデータが飛ばされることになっていた。
休憩が済んだ僕たちは、地底の木々地帯を目指す。
油を挿したとはいえ、思うように車輪が回転しないトロッコを、二人係で押していく。ギシギシ軋みながら前に進み始めたのは十数分格闘した後だった。
エスカルゴン博士がトロッコに乗りこむ。僕はトロッコを押して勢いをつけると、すぐに飛び乗る。腰を痛めた。慣れないことをすべきではなかったかもしれない。
トロッコが走り出す。
僕たちの懐中電灯だけが、真っ暗な洞窟内を照らしている。先の見えないジェットコースターが始まった。洞窟大作戦が幕を開ける。童心に帰って、わくわくした。
だがレールを順調に滑っていたトロッコは、途中で障害物にぶつかることになった。
ガタンと大きな音を立てながらトロッコが岩にぶつかる。
二人の体はガクンと揺れると、トロッコから地面へと投げ出された。

「ぎゃーっ!」
「ひゃーっ!」

僕は大きく尻餅をついてしまう。尻を擦っていると、エスカルゴン博士の姿が見える。駆け寄って抱き起すと、顔が真っ赤に擦れていた。

「大丈夫ですか」
「いてて、顔面ダイブは普段から慣れてないから痛いでゲス。スライディング土下座の練習が足りなかったか」
「普段何をしているんですか博士」

僕はリュックから救急箱を取り出し、消毒液をガーゼに含ませて顔を拭いた。カタツムリの湿った肌に触れるのは初めてだった。
難しい造形をした顔を、どう手当てしようかと思案していると、エスカルゴン博士は自分でガーゼを当てようと、僕からガーゼを受け取ろうとした。

「見て、あれ! 光が見えるでゲス!」

エスカルゴン博士が指を示すと、洞窟の壁から微かに光が漏れていた。
僕は救急箱を片付けると、エスカルゴン博士と共に走り出す。
壁伝いに歩き、角を曲がると、そこには極彩色の世界が広がっていた。
地下洞窟の中に、大木がそびえていた。上空を見上げてもどこまで背丈があるか想像もつかないほどの大木だった。
木々の間からは夕暮れのようなオレンジ色の空が見えた。遠くにピンク色の山も見える。水色の葉を茂らせたジャングル、何メートルもある紫色の低木、見たこともない植物が不規則に立ち並んでいた。
僕たちはゾッと寒気がした。

「ヒトは、未知のものに恐怖を覚えるのが常ですが、これは想像以上ですね」
「あまり長居したいところではないでゲスな」

でも、研究者としては決して見逃せない、とエスカルゴン博士は続けた。
僕たちは肝を冷やしながらも、地底の木々を探検する。
途中で、いくつかの柱を通り過ぎていく。柱にはヒトの顔のような彫刻が施されている。僕はトーテムポールのようなそれを見上げながら、エスカルゴン博士に質問した。

「例のワムバム族の顔でゲしょうな。未知の石を使っているようでゲス」
「触ってみたらわかりますか?」
「あっ、ダメ! 何か起きたらどうするんでゲスか。こういうのは、まじないがかかっていることも多いんでゲスよ」

僕はその手の分野には疎かったため、素人判断で行動しようとしてしまった。
どうやらエスカルゴン博士は、地質学や民俗学にも詳しいらしい。やはり、僕なんかよりもずっと逸材だった。
僕らを睨み付けるように彫刻された柱を横切り、僕たちは探索を続けた。
古文書に載っていた、ゴル草の生態を思い出す。
低木の根元に連なって生えることが多い、という情報を元に、該当しそうな低木を見つけては草花を掻き分けていく。
僕は、ゴル草の黒い葉を見つけるより先に、金の縁が施された赤い箱を見つけた。所々塗装が剥げている。
ぼくは、たからばこをみつけた!

「いかにも、ですね」
「開けてもいいけど、泥棒はダメでゲス」

予想通り、鍵はかかっていなかった。僕はおそるおそる宝箱を開けた。何年も閉じ込められていた空気が鼻を突く。籠った匂いがする。
宝箱の中には、まねきねこが入っていた。

「オオサカ星あたりの地域で好まれている、金運のお守りだった気がするでゲス」
「ワムバム族にとっては、地上の物ならなんでもお宝に見えるのかもしれないですね」

僕らにとっては値打ちがないものでも、ワムバム族にとっては値打ちのあるものかもしれない。それは僕がゴル草を求めることと同義かもしれなかった。
僕は、蓋を閉めてまねきねことお別れをすると、ゴル草を探し続ける。
草原を探し続けること数時間。地底の木々地帯と同じくらい、地上でもオレンジ色の空が拝める頃だった。
それに対してマジルテでは景色が変わることはなかった。
洞窟に天井画を描いたように、空の色は一定していて、雲もない。太陽もない。それなのに視界は確保されている。
常に夕暮れのように薄暗いので、手元を見やすくするためには懐中電灯は必須だった。
僕たちは二度目の休憩をするため、川の畔に腰を下ろした。
詳細な水質検査をしていないため、飲むのは躊躇われた。幸い、ペットボトルには飲料水が残っていた。
エスカルゴン博士は、飲まなくても洗う分には安全だろうと判断した。
僕は川の浅瀬に入り、手と足と顔を洗った。トロッコから投げ出されて以来、身を清めることをしていなかったから、全身が泥まみれだったのだ。
続いて、エスカルゴン博士も、川の浅瀬に腹足のつま先を入れた。

「ああ、久々の水分! 全身が安らぐでゲス」

エスカルゴン博士は、うーん、と伸びをする。草木の汁で汚れた手を川に漬け、パシャパシャと洗う。

「我々カタツムリにとっては、うるおいはとっても大事なんでゲス。肌の瑞々しさだけじゃなくて、上段抜きで本当に生命線なんでゲスよ」

時々エスカルゴン博士は、カタツムリについて語って聞かせた。自分たちの正しい生態を理解して、そして偏見を持たず、食べようとしないでほしいと言った。
僕は彼の振る舞いを見て、軽蔑も偏見も持たない。ペンは剣よりも強し、知識を持つことは全てのヒトに許された自由だと思うからだ。

「立派な心掛けでゲス、誰の受け売りなの?」
「恋人がいつもそう言っていたんです。どんな国の子供たちにも平等に学ぶ機会を与えたいって」
「今時はモンスターペアレントも多いだろうに、熱心な教師でゲスなぁ」

エスカルゴン博士は、感心して笑顔で頷くが、すぐに顔色を変えた。

「私のこと高級食材じゃないって、あなたにはわかっていただけたようでゲスが、どうも周囲の偏見の目は濃いみたいだ」

エスカルゴン博士は、浅瀬を飛び出し、脱兎の如く岸を這いあがると、僕の手を取って一目散に駆け出した。
突然の逃走で、僕は目を白黒させていたが、その視界に狩人が映る。鋭い牙がぬめりと輝いていた。

「わっ、ワニ!」
「奴らはただのワニじゃない、魔獣ゲイターの群れでゲス!私たち、食べられるんでゲスよ!」

僕は足を縺れさせながら走る。先を行くエスカルゴン博士は、命がかかっているからか猛スピードで僕から距離を離していく。
彼は一体どんな研究をしたら、こんな知識と体力が身に付くのだろうか。逃走中にも関らず、頭の片隅でそんなことを思う僕は現実逃避がしたいらしい。
僕はエスカルゴン博士を追って走りつつ、後ろを振り返った。
ザっと見て六十六匹はいそうなゲイターたちの大行進に、僕は足が竦みそうになる。その一瞬の隙を狙って、ゲイターの一匹が僕に飛び掛かってきた。
僕はなんとかゲイターの牙を避けようと身を捩った。
しかし鍛えていない体では思い通りにならず、草地に倒れ込んでしまう。転んだのだ。
ゲイターは動きの止まった僕を嬉々とした表情で見ていた。
ぐぱぁと開けた口に生えそろった牙が、唾液を散らしながら向かってくる。食われるという、今まで知ることもなかった被捕食者の恐怖が全身を襲った。
その時、ゲイターの口の中に、ガラスビンが飛び込んでいった。
牙がガラスに食い込み、その破片が飛び散る。僕は腕を掲げて降り注ぐ光の雨から身を守る。辛うじて、ゲイターの口の中で、橙色の液体が爆ぜるのが見えた。
そして次々に、バリンバリンとビンが割れる音、パシャパシャと液体が飛び散る音が続く。

「早く、今のうちに!」

目を瞑っていた僕の腕を、先に逃げていたはずのエスカルゴン博士が再び引いた。今度こそ逃げ切らなくてはならない。 
僕は立ち上がって、彼と一緒に川を離れた。
数十メートルは離れたところに、背の高い低木が生えていた。
僕たちはその茂みに隠れる。ゲイターの群れは追って来なかった。

「博士、助けて下さり、ありがとうございました」

僕の人生で、初めて命の危機を感じた。
エスカルゴン博士は驚いていたが、それを当然のようにいなし、迎撃もした。
僕は終始おろおろするばかりで、何の役にも立てず、面倒を見てもらってばかりだった。
そのことを伝えて申し訳ございませんと謝ると、普通のヒトは逃げ切るだけでも十分偉い、と言った。

「でも、どうやって魔獣を振り切ったんです」

エスカルゴン博士は、小型リュックのベルトについていた試験管を見せた。中には、先程と同じ橙色の液体が入っている。

「催涙薬ですか?」

エスカルゴン博士は苦々しく首を振る。僕は正答の言葉を待つ。ゆっくりと、口を開いた。

「魔獣には催涙薬なんて生易しいものは効かない。エスケル魔獣皇帝液の対魔獣作用と、パワダウンEの体力減退効果を混ぜて作った、退化薬でゲス」

凶暴な魔獣を、一般的な草食動物以下の行動力に引き下げる退化薬。
魔獣の牙を抜いて無力化すると言えば聞こえは良いが、つまりは魔獣を無害な動物に突然変異させる劇薬だった。
魔獣は、星の戦士でなければ倒せない生物だ。
僕を含む多くの一般人にとってはただ蹂躙されるだけの災害に等しい脅威だ。その遺伝子構造に介入することが、どれほど恐れ知らずなことか。

「魔獣の秘密を紐解くために、生体実験を何十回と重ねてきた私にとって、その辺の鳥や芋虫を強制的に魔獣にするなんて造作もないことなんでゲスよ」

僕は全身の血液が凍り付く思いがした。僕たち研究者にとって、生物の身勝手な改造は禁忌だ。人々に災厄をもたらす魔獣を作るなんて、あってはならない話だった。

「博士、あなたがしていることは……」
「禁忌でも人殺しでもなんでもいい、好きに言えば良いでゲス。でも私には、どんな汚い手を使ってでも遂げなきゃいけないから」

あなたが思っているほど私は立派じゃない、これでわかっただろう。
エスカルゴン博士は、そう言うと、再び歩き始めた。草を掻き分けて根元を注視しながら進んでいく。ゴル草を探しているのだ。
僕は、エスカルゴン博士に何度も助けられ、僕のために危険な土地に踏み入れさせてしまった。
魔獣に出会うこともなければ、博士に自白させずに済んだはずだった。
彼は研究者の倫理としては道を踏み外していたとしても、僕のために尽力してくれる、優しいヒトなのだ。
僕は、ここで得た彼の悪事を、地上で糾弾することもできる。けれど僕だけが黙っていれば、幸せなままで済む話だった。
エスカルゴン博士の翡翠色のカラを背負った背中に問いかける。

「どうしてそんなことをするんですか」

彼は僅かにしっぽを尖らせると、すぐに元のようにへたりとくねらせた。

「あなたと同じでゲスよ」

僕は目を瞑ることに決めた。
そして、ふと上げていた顔を下ろすと、黒い線のような植物が生えていた。
僕はその葉の根元を辿る。茎には、青白い棘がびっしりと生えていた。ガクから伸びる八枚の花弁もまた黒かった。
僕はついに、不老不死の妙薬を見つけたのだ。

「博士! 見つけました、ゴル草です!」

エスカルゴン博士を呼ぶと、博士はすぐに自分のリュックを下ろした。
小さなリュックの殆どのスペースを圧迫していただろう、大きな丸いガラスケースを取り出す。形状はカプセルトイのカプセルに似ている。
エスカルゴン博士が開発したシャボンカプセルは、周囲の気温や湿度といった様々な環境を全く同じように保つことができるらしい。環境が変わることで、どのような変化が起きるかわからない、未知の物質を保管しておくために開発したそうだ。

「ゴル草は私も持ち帰らせていただくでゲス。このカプセルで増やして、生態を研究すれば、医療以外にも役立つかもしれない」

ゴル草の周囲の土ごとシャボンに入れたエスカルゴン博士は、この地域の環境と全く同じになるようにシャボンの中身を調整しはじめた。観測と再現には暫く時間がかかるという。
僕はその間に、棘が刺さらないように十分に気を付けながらゴル草を刈り取る。光沢のある葉の滑らかな手触りからは、とても猛毒のある植物だとは想像がつかない。ましてや、不老不死の薬になるとも思えなかった。
だが伝承にでも頼らなければ、恋人は助からない。僕は祈るように、ゴル草の葉を持つ手をぎゅっと握りしめた。
しかし、突如として地響きが起きる。晴れ渡る黄昏の空が、曇るかのように土埃が舞い上がる。
雨のように砂と瓦礫が流れ落ちてくる。天気が悪くなったかのように、洞窟は鳴動している。
僕はきょろきょろと辺りを見回すが、脅威を識別できない。
そもそも原因があるのかもわからない。マジルテという前人未到の地で、僕の持つ常識が当てはまるとも思えなかった。
洞窟の地鳴りは激しさを増す。果ての見えぬ天井から、岩が落ちて来る。岩は全ての生き物に平等に降り注ぐ。
岩にぶつかった木が薙ぎ倒され、今まで歩いてきた道を閉ざされる。

「まずい、早くベースキャンプへ」

エスカルゴン博士は、未だ調整中であろうシャボンを抱えながら走り出す。シャボンの中では、土とゴル草が揺れている。
僕はできるだけ早く走った。エスカルゴン博士より前に出て、道を確保したい。これまで何度も助けられてきたのだから、恩返しをしたかった。
僕はスマートウォッチを見ながら、ベースキャンプのテント内に残してきた発信機から、現在地を割り出し、方位磁石機能を起動させた。磁場が狂っていなければ辿り着けるはずだ。
ゴル草の群生地は、魔獣のいた川よりもベースキャンプに近かった。このまま走り続ければ、雪崩から逃れられる。はずだった。

ドシャンと、派手な音がして、僕は吹き飛んでしまう。トロッコから投げ出された時よりずっと強い痛みが全身を襲う。
すぐに周囲を見て状況を確認する。一際大きな岩が落ちた衝撃で、僕は弾き飛ばされたらしい。
そしてエスカルゴン博士は、岩を挟んで反対側で倒れていた。
僕は博士を助けようと、跳ね起きようとしたが、再び落石に阻まれてしまう。
いや、違う。落石だと思っていた岩は僕の周りには落ちず、ふよふよと空中を漂っていた。
ひとつだけではない、いくつもの岩が滑らかな動きで、ぐねぐねと動いている。その岩が一か所に集まっていく。一際大きな岩を主軸として、小さな岩たちが周りにくっついていく。
これは、手だ。石の形。握り拳だ。
握り拳が宙に浮く。僕の視線も、エスカルゴン博士の視線も釣られていく。果てのない天井に一つの顔が浮かんでいた。
二人の部外者に見つめられた拳の主は、爛々と輝く二つの目で、僕らを見下ろした。
その顔に見覚えがある。僕が素通りした、彫刻が施された柱の顔と同じだった。魔人ワムバムロックだ。
あの岩の拳に握られたら、僕たちは内臓が飛び出してしまうだろう。こんな魔人相手に立ち向かえるわけがない。
僕はエスカルゴン博士と共に逃げることを決める。
しかし、魔人の右ストレートが、僕の体目がけて飛んでくる。

「逃げて!」

エスカルゴン博士の掛け声で僕はまっすぐに走った。もう何もかも振り返らず、ただ足だけを動かす。
魔人の拳が追いつき、僕の左半身を掠める。すぐ横の岩壁に、拳がめり込んでいた。
ワンテンポ置いて、僕の左腕がチリっとした痛みに襲われていた。皮膚が切れていた。僕は、次はないと悟った。
どっと冷や汗が溢れ出す。生き残りたい、助かりたいという生存本能が全身を駆け巡った。この拳が、僕の体を掴まないでくれと何度も天に願う。
パキッと脆い音がした。ワムバムロックの右手の甲が濡れている。その下の草地にはガラス片が粉々になって散らばっている。
ワムバムロックの視線が僕を離し、ターゲットを切り替えた。
体を痛めたのか、未だに半身を起こすことしかできないエスカルゴン博士が、退化薬の入った試験管を手に、こちらを見ていた。
両目から涙をボロボロ零して、息は荒く、肩で呼吸をしながら、僕を見て口元だけで笑っていた。
その独特な口元が、にげて、と発声したのを最後に、僕は走り出す。地底の木々を抜け、トロッコに乗りこむ。
勢いのついたトロッコが動き出す。恨めしいほど美しい黄昏空を背に、僕は初めて振り返る。ゴル草が千切れそうなほど拳を強く握る。
遠くで、パキャリとガラスが砕け散った音がした。

「博士……、はかせーっ!」





「うう……、ぐすっ、ひっく」
「はかせ、はかせぇ……」

暗く、静かな場所で、啜り泣く小さな声がする。
そして僕が見たものは、目の前でマントをはためかせる仮面の騎士だった。
次の瞬間、眩い閃光が走る。ワムバムロックの両手が一瞬の内に砂になった。

「メ、メタナイト卿……!」
「お怪我はありませんか、博士」

クラシックギターのジングルが流れ出す。メタナイト卿、と呼ばれた仮面の騎士はエスカルゴン博士に手を差し伸べる。
エスカルゴン博士は右手で彼の手を取り、左手でシャボンを抱えながらその場を離れる。
落ちた瓦礫に道を塞がれた彼らは、地底の木々を抜けると、水晶の畑を通り過ぎ、古代の塔を駆け上り、神秘の楽園に設置された古いエレベーターで地上に脱出した。
地上に舞い戻ったエスカルゴン博士は、レスキュー隊に救出され、病院で手当てを受ける。
しかし、ただ眠ってじっとしているのは退屈なのか、シャボンの中でゴル草を増やし、研究に勤しんでいた。
そして彼は、不老不死の薬草でしかないと思われていたゴル草から、新たな科学の見地を見つけ出す。
それはゴル草の強い生命力を全体に浸透させる葉脈だった。
ほんの数ミリ幅しかない葉脈を切り取り、別のエネルギーを流してみると、超高密度に圧縮されたエネルギーが伝達されたのだ。
彼はこの葉脈から、莫大なエネルギーを瞬時に運ぶことのできるコードを作り出すことに成功する。
エスカルゴン博士の発見と発明は歴史的快挙となり、ポップスター全土でその功績が称えられ、勲章が授与された。
そしてゴルコードと呼ばれたこのコードは今日、ニューデデベガスシティ全土に張り巡らされ、私たちの意味ないけど健全な娯楽を、嘘だけど迅速なる報道を、無駄だけど楽しいCMをお送りし、安全で快適な生活を支えているのです……。

『ゴルコード・ウィップ マジルテの秘宝 ~技術のエスカルゴンテクノロジーの起業秘密~』
『製作:チャンネルDDDフィルム』
『この作品はノンフィクションを元にしたノンフィクションです。実在の人物・団体・事件などには全て関係あります』

暗かった部屋は、懐中電灯がいらないくらい、ゆっくりと明るくなっていった。
親子やカップルたちが次々と席を立ち、ある者は啜り泣き、ある者は笑いながら部屋を出ていく。彼らの反応は一律していた。

「全星が泣いた」
「この夏、最高の感動!」
「これは博士と助手の絆の物語!」
「大人も子供も楽しめました!」
「はかせががんばるところが、おもしろかったでぇす」
「『ゴルコード・ウィップ』、サイコー!」

感想を言い合いながら、彼らはスクリーンを出ていく。
誰もいなくなった室内では、パリポリバリとお菓子を噛み砕く音が響き渡っていた。
僕の右隣の席で、エスカルゴン博士はポップコーンを頬張っていた。

「博士」
「ん?」

僕の顔を見て、エスカルゴン博士は苦々しく口を動かすのをやめた。頬の中に詰まったポップコーンを飲み下す、ゴクリという音が大きく聞こえる。

「なんでこんなことしたんですか!」

僕は叫ぶ。
エスカルゴン博士は、眉根を寄せて、ごめんね、と謝った。

「メタナイト卿とカメラマンのワドルディを尾行させた上に、あなたのことを隠し撮りし、勝手に映画として編集して公開した陛下の横暴には謝るでゲスよ」

エスカルゴン博士は裏事情を喋る。尾行、隠し撮り、映画化、この三つのキーワードにも反応したいところだったが、今の僕の意識はそこではなかった。

「心配したんですよ! あんな少ない退化薬なんかで勝てるわけないって、僕のせいで死んじゃったって、ずっと思ってて……」

僕は思わず涙を流す。感情が高ぶると、すぐに泣き出してしまうのは僕の悪い癖だった。恋人からもよく指摘されていた。
エスカルゴン博士は、ポップコーンをつまんでいない手で、僕の頭を撫でた。ごめんね、と何度も謝っていた。
本当に消息を絶ってしまったと思ったエスカルゴン博士から連絡が届いたのは、あの探検から一ヵ月ほど経った後だった。
ゴル草と共に命からがら逃げ帰った後は、恋人の治療に付きっ切りだった。ゴル草の増強効果は目に見えて強力で、数多くの手を尽くしても回復しなかった彼の傷はゆっくりとだが完全に回復した。
彼と二人で回復を祝った頃、エスカルゴン博士から、映画を見ないかと誘われたのだ。

そして僕は今、プププランドのニューデデベガスシティに内包されているエスカル市国で、エスカルゴン博士の助手として働いている。
この世の全てが集まる街、ニューデデベガスシティ。
スイカのように丸い人工島の中心からやや西に逸れた地区は、エスカル市国と呼ばれている。
数本のビルしか建てられないくらいには手狭な敷地だが、その実態は地下五十階から成る、広大な海底都市だ。
殆どの建物は研究棟かオフィスビル、街の数少ない居住区で、ニューデデベガスシティの娯楽と繁栄を下支えする基盤となっている。
技術のエスカルゴンテクノロジータワーの七十階は、エスカルゴン博士と一部の助手だけが入室を許可された極秘の研究室だ。
研究室の片隅には、巻貝のように巻き上がった螺旋階段が取り付けられている。螺旋階段からは透明なドームに包まれた屋上に繋がっている。
ドームの中には一面の小麦畑と藁葺き屋根の家が建っている。エスカルゴン博士と、その母親が住む家だ。
長時間座り続けていた僕は、うんと伸びをした。席を立ち、ガラス窓に顔を寄せる。
ニューデデベガスシティの南東に位置する大観覧車にはデジタル時計が埋め込まれていて、零時二十分だと告げていた。
エスカルゴン博士が、ふああと大きくあくびをしながら、今日はもう寝る、と言い残して螺旋階段を登ったのは三十分も前だった。
エスカルゴン博士も、他の助手もそれぞれの居住スペースに帰宅した今、研究室に取り残されていたのは僕だけだった。
疲れた目を休めようと、ゆっくりと瞬きをしながら、遠い景色を見る。眠らない街の夜景が煌めいている。
かと思えば、すぐ右隣に位置するエスカル製薬ビルの屋上には、大木が生え、壁にはツタが絡みついているし、また別の建物には美観と研究の二つの用途に使われている紫水晶が植わっている。
エスカル市国は、エスカルゴン博士の理想通りに、技術と自然が上手く噛み合った国だった。完全無欠のこの街を疑い憂う者は誰もいない。

僕も他の助手たちと同じく、居住スペースに戻って眠ることにする。窓から離れ、コンピューターの電源を落とす。
しかしそれはたった一つのファイルによって改めることになった。
コンピューターの中にある、エスカルゴン博士との共有フォルダに、新しいファイルが追加されていた。
制作者はエスカルゴン博士なので、ウイルスではない。僕は、無題というタイトルが付けられたファイルの中身を確認する。ぽつぽつと、聞きなれた音声が流れ始めた。

「目が覚めて。おっかさんの作ったスープの匂いがして。育てた小麦で作ったパンを食べて。子供の頃から変わらない朝を送って。何も不足はない。私はここで生きていけている」

エスカルゴン博士の声だった。おそらく、スマートウォッチに吹き込んでいた音声記録であり、日記として使っていたものだろう。言葉は続く。

「自慢じゃないが、私は天才発明家。勿論根っからの天才じゃあないから、死に物狂いの努力の賜物だった。でも努力だけではどうにもならない。私に必要だったのは巡り合うタイミング。私の腕を買うヒトの存在。たぶん、陛下はその最大のパトロンだったんだろう。いつの間にか秘書になったり、アナウンサーになったり、女優になったりさせられたけど、一番嬉しいのは私の技術で作られた発明品で、陛下のお役に立てることだった。
陛下と一緒に願って、この街ができて、夢は予想以上の結果を生み出した。誰もが皆陛下を称え、私の技術に酔いしれている。この街の発展だけじゃなくて、遠い海の向こうの国、宙の向こうの星で病に苦しむヒトも助けることができた。助手たちもそうだ。
もう陛下に買われなくても、皆が私を買ってくれる。昔のように先の見えない未来に嗚咽することもない。誰かに手を差し伸べてもらうのを待っている必要もない。私が最も欲しかった名声で、おっかさんに見せたかった錦だ。
それなのに、それなのに、欠けたところのない満月のような街なのに、できあがった積木、全部崩したくなるよ」

言葉はだんだんと途切れ途切れに、音量は小さくなっていく。音質が悪いのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「貴方がいなくても私は生きていけるし、もう私がいなくても貴方は理想通りに生きていける。何十年後、貴方より先に消える私に、貴方は未練なんか感じなくていい。だけど、私は未練たっぷりだ。
夢なんてものは、思い描いている時が一番楽しいんだよ。私も、あの時はできるとばかり思っていた。私たちに限って破滅なんて迎えるはずないと、そう思っていた。悪に手は染まりきって真っ黒だったし、罪悪感なんてどこにも行き場もなかったもの。
でもそれは貴方と二人、一緒だったからで、私ひとりじゃあ、こんなに脆い。
私は私の心の強さを、この街には示せない。
この美しい清らかな街に、ごめんなさい、私の心は、もう……」

音声はピタリと途切れる。マイクが遠すぎるのか、声が小さすぎたのか。
その数分後、ボチャボチャと大きなノイズが入り、僕はビクッと肩を震わせた。

「ああ、紅茶に入れる砂糖の数、間違えたみたいでゲス」

まるで貴方の好みのようでゲスよ。
エスカルゴン博士は、いつも通りの声音で、小さく呟いた。音声ファイルの再生は終わった。
僕は、音声ファイルを削除する。ヒトの日記を盗み聞きしてしまったことに申し訳なく思うが、このまま放置してしまうと他の助手まで聞きかねなかった。
次にコンピューターの電源を切り、研究室を出た。

エスカルゴン博士が日記を付けていたことは知らなかった。
マジルテで記録を付けていたのと同じ方法で、日記としていたのだろう。何かの手違いで、うっかり自分専用のファイルが共有フォルダに転送されてしまったのかもしれない。
捕 まえたエレベーターで地下四十一階を指示する。先程まで見下ろしていた夜景は、次第に僕と同じ眼の高さまで落ち、暫くすると、夜でも元気に泳ぐ魚の群れが広がっていた。
エレベーターを下り、噴水のある広場を右に曲がる。海底に張り巡らされ、常に酸素が供給されるガラスチューブの廊下を歩いていく。
居住スペース三号棟の門が見える。タッチパネルに触れると、指紋認証によって鍵が解除された。
門をくぐると、海中であることを忘れたかのように、木でできた壁に覆われる。絨毯が敷かれ、しんと静かな廊下は地上のホテルのものと似ている。
エスカルゴン博士に与えられた部屋に入ると、オートロックかかった。助手として働く僕の家だった。
エスカルゴン博士の胸中を垣間見てしまった僕は、一つだけ気になっていた。誰が見ても羨む立場にいる方が、何故あんな悲鳴のような呟きを漏らさなければならないのだろうと。
華々しい活躍を残し続けるスポーツ選手やスターがストレスから非合法な薬を接種する、という話に枚挙に暇はないが、それは自分の立場が脅かされたり、先の見えぬ不安に突き上げられるからだ。
全てを手に入れた街の中で、著名な研究者として暮らすことに何の恐れがあるというのだろう。極端に言えば、気に入らぬ者は全て弾き飛ばせば良いのだから。それだけの権力を、箱庭の国の王様として持っているはずなのだから。

「キツネに化かされているんじゃないか」

電話の向こうで、恋人がふふふと笑った。僕は恋人に疑問をぶつけていた。
回復したとはいえ、リハビリが必要だと診断された恋人は、未だに故郷の病院で入院生活を続けている。
こんな真夜中でも電話が取れるのは、恋人の病室を個室にするように、エスカルゴン博士が援助金を送ってくれたからだった。エスカルゴン博士には感謝してもしきれなかった。

「博士のことを悪くいうの」
「それは違う、君の話を聞く限りでは博士はとても立派な方だ」

僕は恋人に時々エスカルゴン博士のことを掻い摘んで話している。
ただし、彼の素性やどれだけ偉大な功績を残しているかはまだ秘密にしている。恋人がリハビリを終えて、この国に来た時にサプライズで引き合わせようと思っているからだ。
かの有名なエスカルゴン博士とお話ができるなんて、と喜ぶに違いない。
恋人はエスカルゴン博士を否定しない。しかし僕には含み笑いで話すのだった。

「僕が言いたいのは君だよ」
「何が?」
「おてんば娘の君が気にするのは珍しいからね」
「柄じゃないことくらいわかっているよ」
「いや、感謝しているんだよ。キャシー、僕の怪我は君の勇気によって救われたのだから」

僕のためにゴル草を探してきてくれたのは他でもない君なんだ、と続けられる。悪い気はしないが、どこかはぐらかされたような気もしていた。恋人は稀に、自分に対してはこういうからかい方をするのだった。
僕はその態度に対して頭を嬉しさと疑問でいっぱいにしたが、すぐに別の疑問に取って代わる。
普段のエスカルゴン博士からは想像できない、苦しみ、嘆きを思い出したからだ。
この世の全てを掌握する立場なのに、限りなく自由であるのに、彼は一体何に囚われているのだろう。

「チップ、何故博士はあんなことを言ったと思う」

僕は恋人に尋ねる。先程の仕返しをするつもりや、意地悪をするつもりもないが、一つの見解を得てみたかったのだ。

「わからない……が」

彼は、数十秒考え込むと、僕が彼の立場であるなら、という前置きをし、ゆっくりと告げる。

「もう、それは、愛のためなんじゃないかな」

僕は、ありがとうとおやすみと言うと電話を切った。
愛のため。チップの言葉を反芻する。
もう愛でしかエスカルゴン博士を縛れないのだとしたら、もし愛だけが彼を縛れるのだとしたら、その主は一体どれだけの罪を犯しているのだろう。それだけのことができるヒトは、きっとおそらく……。
僕は身震いをした。急に、頭が働かなくなる。
博士は、この街は、疑いも憂いもない。何の罪もない。化かされているなんてこともない。
僕は自分の意思でここにいる。チップには、もう少し遠距離恋愛で我慢してもらわないといけないが。
ベッドに寝転がる。天窓から、銀の腹を見せる小魚の群れが泳いでいるのが見える。
リモコンを取って、天窓にシェードをかけ、電灯を消した。
寝室は、暗い静かな海の底に変わる。
僕は眠りにつき、幸せな夢を見る。この街で、安らぎを約束された夢を。





【掉棒打星の夢】

常夜の星ハーフムーンには、今日も強風が吹き荒れていた。
だというのに、紺色の大地は常に霧と雲に覆われていて、星の名前を関する程には月を拝むことはできない。
重い麻袋を肩にかけて運ぶ俺は、酒場が連なる通りをすり抜けながらスタスタと歩いていく。
店には顔見知りの奴が大勢いるが、大抵は博打に負けて借金取りに追われているような身分だ。話をしてもあまり有益な情報は得られない。目が合った奴にだけ、軽く挨拶をする。

暫く歩いて、俺は小さな掘立小屋の勝手口のドアを開けた。
麻袋を肩から下ろし、袋の口を開けて中身を確認する。銅貨が数百枚入っている。時々、銀貨が混じっている。
まあこんなものかと、安く買った湿気たパンを齧り、夕食を取る。
小屋の中の宝箱の鍵を開け、今朝開けた時と全く同じものが入っていることを確かめた。宝箱は仕切りで区切られていて、その右上の蓋を開く。麻袋をひっくり返し、硬貨をジャラジャラと流し込んだ。
左側に入っている宝のうち、いくつかを取り出すと、麻袋の中に放り込んだ。宝箱の蓋を閉じて鍵をかける。
戸棚に入っているビンと紙箱、冷蔵庫に入っていた食料を麻袋に乱雑に突っ込むと、小屋を出た。

街とは逆の方向へまっすぐ進む。歩き続けて十数分後、月の海の桟橋が見えてくる。
といっても、海水が湛えられているわけではなく、単なるクレーターだ。
ただしこの盆地には魔力が溜まりやすいらしく、この星を訪れる旅人の多くがこの海に船を停泊させている。今日も、十数艘の船が岸辺に停まっていた。
俺は船の一つ一つをチラチラと見ながら、旅人の様子を探る。どいつもこいつも身なりが悪く、義賊以下の暮らしをしているようだった。何人かとすれ違う
。何日も風呂に入っておらず、酒だけを浴び続けた臭気が充満していた。カネの匂いがしない奴らは、一時の快楽を求めて町へと繰り出していく。
今日は良い客が釣れそうにない。俺は、早くも引き返し、とっとと寝てしまおうかと思った。
しかし桟橋から遠く離れた沖で、一つの小綺麗な船を見つける。
俺は水色の美しい帆船に近付く。何者かが帆の様子を調べていた。

「どうも、旅人さん」

俺は甲板に立っている、旅人に声を掛ける。一度では聞こえなかったのか、何度か呼びかけて初めて、俺の方へと振り返った。
浮遊する旅人はデッキからゆっくりと飛び降りると、海面に着地する。
俺は麻袋を下ろしながら、旅人に話しかける。

「次の航海へ出る前に、補給をするのはどうだ。安くしとくよ」
「フーン、行商人カァ。何があるノ?」

俺は麻袋から商品を取り出す。缶詰やレトルト食品といった日持ちのする食料や、飲料水のペットボトル、船の燃料であるデカエネルギー等を次々に並べていく。
しかし旅人はあまり興味を示さなかった。

「食料は大事だから頂くケド……なんかパッとしないネェ。モット面白いモノないナイノ?」

俺はさらに他の商品を見せていく。自分の足で拾い集めたり、貿易商から買い付けたりした珍しいマジックアイテムだ。
旅人の目の色が変わる。

「ヘェ! きせきの実のドライフルーツなんて珍しいジャナイカ。こっちは、それを搾った万能のしずくカナ?」
「なかなかお目が高い」

真空パックにされたドライフルーツと、その果汁をピタリと言い当てられる。見ただけで中身を理解できる旅人は多くない。トレジャーハンターなのだろうか。
次に旅人は、透明な液体の入ったビンを持ち上げて、首を傾げる。液体は時々、青紫色に輝く。

「ボクも長いこと旅をしているケド、コレは初めて見たヨォ。中に何が入ってるんダィ?」
「夢の泉の水さ」
「オォ……! コレがカノ有名な水なんだネェ!」

旅人は嬉々としてビンを軽く振ったり回してみたりした。中の水がキラキラと煌めく。時折ホタルのように柔らかく発光する。
俺は夢の泉の水と言ったが、汲んだままの天然水ではない。原液を飲んでしまえば昏睡では済まない。無限に夢を見続けてしまう。
それはそれで睡眠薬としての効果はあるだろうが、他にもっと強力で即効性のある睡眠薬が存在することを考えると、あまり価値はない。
原液を何百倍に薄めて、高い値段で売りつけるのが、俺の常套手段だった。飲むことで良い夢を見られるというプラシーボ効果を狙うだけなら、薄くても十分だからだ。何百倍にも希釈しても煌めくことができるのは、そう見えるように俺が魔力を混ぜているに過ぎない。
仮に薄めていたことがバレても、保存料だと言い張れば良い。どうせ客は、俺のことなどすぐに忘れるのだから。
しかし旅人は、ビンを俺の手元に返す。飲んでみたくはないのか、と聞くと、興味はある、と言う。

「でも、ボクのほしいマジックアイテムは、夢を見ているダケジャ絶対に手に入らないカラ」
「どんなものが欲しいんだ。俺が持っているものなら何でも譲ってやるよ」

俺の持ちかけに対して、旅人は霧の向こうに見える銀河を見上げる。空にあるものだろうか。それとももっと遠く、銀河の果てを超えて、俺の知らない世界にあるものだろうか。

「ボクが欲しいのは、タッタ一つの王冠だけだヨォ」
「王族にでも成りたいのか」
「ウーン……マアそうとも言うカナァ」

旅人はクククッと笑うと、だからごめんね、と苦笑した。

「ハルージャのおかげで面白いものが見れタ。ホ~ント、カンシャするヨォ。お詫びと言っちゃナンだけど、さっき見せてくれた食料品は全部いただくヨォ」
「俺の本業は行商人じゃなくて、骨董屋だからな。まあ食料でも買ってくれるならなんでもいいけどよ」

俺は麻袋の中に詰まっていた、缶詰とレトルト食品と飲料水を全て取り出して、船内の入り口に運び込む。
旅人は、あとは自分でやるから良いと言って、俺の手に赤や青の宝石を数個握らせた。

「お代はコレで我慢してくれル?」
「あんた、カネ持ってないのか」
「時代モ空間モ違う世界を何度も行き来していると、おカネの価値なんてあってナイようなモノだヨォ。手間をかけさせて悪いケド、ソノ宝石を換金してネェ」

俺は、代金として受け取った宝石を自分の手で触り、魔力で作られたニセモノではないことを確かめると、ポケットに突っ込んだ。

「まいど」

旅人は金色の目を細めてニッコリと笑うと、船に乗り込む。
再び旅支度を始める旅人は、ハーフムーンの町には立ち寄る気がないようだった。真正のトレジャーハンターにとっては、酒場で飲んだくれて女を買うよりも、もっと有意義な時間の過ごし方があるのだろう。

「ジャア、ボクは次の世界に行くコトにするヨォ。次に会う時までには、ボクのためにもモット良い骨董品を見つけて来てネッ! ハルージャ!」
「今後ともご贔屓に」
「マタネーッ!」

船のドアが閉まる。帆船に付いた三対のオールがピンと伸びる。オールはゆっくりと大気を押し込むと、船体は徐々に上昇していく。帆が風を受けて膨らむ。船首に飾られた星型のエンブレムがキラリと輝いた。
霧が立ち込める空の中で、水色の帆船だけが月のように仄白い光を放っている。
暫くすると夜空を切り取ったかのように、星型のワープホールが生まれた。船は、ワープホールの中に入っていく。俺の立っている角度からではホールの中が良く見えない。
どこに向かうつもりなのだろう。そう考えている内に、船は完全にワープホールの中に飲み込まれた。ほつれた夜空は、何事もなかったかのように縫い合わせられた。
俺は旅人の言葉を思い返す。
もっと良い骨董品。そんなものはあの旅人には釣り合わない。とある王冠が欲しいとほざいていたが、どうせ被っていられるのは数時間だけに決まっている。
誰もいない月の海で、俺は麻袋の一番奥に入っていた宝を取り出した。

「あんた程度じゃ、こいつが生む悲劇の役者にもなれやしねぇよ」

俺は手袋を嵌めた手で宝を撫でる。
その時、ポケットの中がブルルと振動した。宝を麻袋に戻し、震えているスマートフォンを掴む。
とある通販会社からの数字が羅列されている。俺は迷わず、タッチパネルを左から右へとスライドさせた。

「はい、もしもし」





決められた掟を守るのが嫌で、十五の春に投げ捨てた。古代人の生き残りという苔生したプライドだけで生きている大人たちが憎くてたまらなかった。
諦めの悪い魔法使いたちを乗せて楽園を目指す、ボロくて辛気臭い船から飛び降りたのだ。
そんな俺は今、青いスーツを支給されていた。素材は悪くない。サイズもピッタリに作ってあるという。学生服から逃れて何年も経つが、今度はスーツが制服かと思うと、ウンザリとする。

「別に着なくても構いませんよ。服装は自由ですから」

目の前に立つ先輩は俺にそう言った。
優しさかどうかはまだわからないが、お言葉に甘えてそのままでいる。手渡されたスーツを元のクローゼットに戻しておく。

「ただしフードは外して下さい。身嗜みは整えて。ブラッシングもして下さいね」

俺は、とっく見捨てた一族の服を未だに纏っている。これを着ていると、嫌でも一族のことを思い出す。昔のことを忘れずに今を生きるため、敢えてこの服を着ていた。一族は全員が同じ白いローブに身を包み、フードを被っている。
俺は先輩に言われた通りに、フードを外した。尖った両耳が外気に触れて、無意識にぴくぴくと動いた。
白いローブは土埃がついていた。クローゼットの中に入っていたブラシを掛ける。

「では、ここで待っていてください。お客様からのお問い合わせがあるまでは、何をしていても構いませんよ。そうそう、このコンピューターからは、弊社の規則から商品カタログまで全てアクセスできますから、一度目を通しておいてください」

先輩がガラステーブルに触れると、空中にホログラムのビジョンが現れる。ガラステーブル部分には、キーボードが表示されていた。
デスクトップ画面には、就業規則、商品カタログ、顧客情報のファイルへのショートカットが並べられている。ご丁寧に、タイムカードまで付けられていた。

「後は、先日の説明会でお伝えした通りです。宜しく頼みますよ」

先輩は俺の真横を通り過ぎ、部屋から出ていこうとした。
しかしピピッとアラームが鳴って、足を止める。先輩は正面の壁の上に取り付けられたランプと画面を見た。
ランプは赤色に光っている。要注意人物であることが示されている。その隣の画面には、顧客の写真と情報が表示されていた。

「よりにもよって貴方ですか……」

先輩はやれやれ、と肩を竦めると、踵を返して俺の隣に戻ってきた。

「知識も何もないままの初陣ですが、仕方ありません。商品の説明も発注も全てお前に任せます。流れの骨董屋の実力、見せて頂きますよ」
「承知」

先輩は正面の壁に向き合うと、俺を壁から離れるように指示する。
すると、壁は瞬時に大型ビジョンに代わり、顧客の姿が映し出された。

「ホーリーナイトメア社の魔獣配信サービスへようこそ」

サングラスをかけているせいで目元の見えない先輩は、口元だけで笑いながら挨拶をする。
赤色のランプの顧客には、一段と丁寧な対応が求められる。挨拶もゆっくりと顧客に聞こえやすいように発音していた。
しかし、顧客は先輩を一蹴する。

「カスタマーサービス、魔獣はもう飽きたゾイ! 魔獣以外のオモチャを寄越せ!」
「陛下の期待に応えないなら、代金払わないでゲスよー!」

玉座にふんぞり返って開口一番に抗議を始める顧客に、隣で無茶な要求をする顧客に、先輩は呆れかえる。

「お言葉ですが陛下、私共の配信サービスは魔獣を中心にご用意しております」
「意義有り! 産業革命セットも学校キットも全部お前のところから買ったでゲス」
「お見舞いの果物カゴなんてタダだったゾイ。次の注文もタダにしろ! それが無理なら全額キャッシュバック、半歩譲って、一ポイント一デデンで丸々ポイントを付けるゾイ」
「今春も困ったお客様……」
「お客様は神様ゾイ」
「たとえ神様でも、陛下は貧乏神でゲスな……いたい!ぶたれたでゲス」

俺は赤ランプの意味を理解した。先輩もこの客に手を焼かされてきたのだろう、苦笑いを続けている。
だが、それは魔獣配信サービスという魔獣屋でのことだ。骨董屋の俺には何の問題もない。

「かしこまりました。それでは魔獣以外の商品をご用意しましょう」

先輩は僅かに此方を向いた。俺は前に進み出る。

「紹介します、我が社の契約社員として入社した……」
「挨拶はいらん。して、貴様はどれほど強い魔獣ゾイ」
「陛下、たった今私は魔獣以外の商品をご用意しますと申し上げましたよ」
「む、そうだったかゾイ? まあなんでも良いゾイ」
「ああん、若年性認知症なんて発症しないでよ、このオヤジー!」

顧客に自己紹介を要求されずに済んで、俺は少し安堵した。どのみち素性が割れるとはいえ、自分から積極的にさらけ出していくのは危険だ。できることなら機が熟するまでは黙っておきたい。
俺は話題を変えるために、顧客の要望を聞きだすことに専念する。

「商品といっても、俺が取り揃えているのは食料から骨董まで様々だ。魔獣以外に何が欲しい」
「うまいものがいっぱい食べたいゾイ」
「ちょっと陛下、それなら腕のいい料理人を呼べばいいだけでゲしょうが。ああ、今から考えるでゲスから、少し待つでゲス」

玉座に座る王に、召使がゴニョゴニョと耳打ちする。ああでもない、こうでもないと言い合っているのか、互いの耳元で怒鳴ったり叫んだりしている。
暫くして、おお、そうゾイ、と王が叫ぶ。

「ワシは人気者になりたいゾイ!」

漠然とした要望に、横で聞いていた先輩がフンと鼻で笑った。新人の俺が困って助けを求めるのを想像してのことだろう。
次に王は、自分からヒントを投げてきた。

「スターになりたいゾイ、教祖にもなりたいゾイ! それで人民共から血税を巻き上げ、ガンガン経済回すゾイ。そしたら毎日うまいものも楽しいこともやりたい放題ゾイ」
「野望を叶えたい、ということで良いか?」
「とにかくカービィより目立ってかっこいい人気者なら、なんでも良いゾイ!」

どうします、と先輩が小声で問いかけてくる。俺を試している。普通なら、格安でハリボテを用意するか、別の要望を聞き出してそちらを飲ませるか、という流れになるだろう。
だが俺には必要なかった。持ってきていた麻袋の一番奥にしまい込んでいた宝を取り出す。商品は使うべき時に、惜しまず、ふんだんに使う。相手の隙間に潜り込むにはこれ以上の手はない。

「こいつを使えば良い」
「はあ、随分綺麗なハート型の水晶玉でゲスなぁ」
「貴様が欲しがってどうするゾイ」

俺の掌の上に乗った宝に、召使が反応した。小言がうるさい方を早めに片付けることができそうだ。風向きは良い。

「これはドリームグローブ。惑星フォルアース近郊の古い神殿に眠っていたものだ」

半年前、新たな商品を探して小惑星ガベルに訪れた時、星に流れ着いた貿易商から買ったものだった。
貿易商の姿は酷いもので、壊れた船の修理代金も払えない程、カネに困っていた。藁にも縋るような態度でカネをせびられ、渋々了承した時に受け渡されたものだ。
故に、俺自身も出自に詳しいわけではない。
だが、この宝がどのような力を持っているかは既に知っていた。

「ドリームグローブは、所有者に対しての、ヒト、モノ、コトの全ての認識を改めさせることができる」

何を言っているかわからないと、眉間に皺を寄せる王よりも先に、召使が手を打った。

「成程! わかったでゲス。しかしとんでもない代物でゲスなこりゃ」
「白物? どう見ても透明ゾイ。家電ではないゾイ」
「魔獣ボウキャックでゲスよ!」

召使は、さっぱりわかっていない王でも分かる考えを聞かせてみせた。

「かつてボウキャックに憑りつかれた私は、誰からも忘れられてしまった……。これは、一時的にボウキャックの力で、私に対する皆の認識を、陛下の側近から、見知らぬヒトに書き換えた、ということになるでゲス。ボウキャックは、ヒトに憑りつき、突然皆から忘れさせることで、精神的苦痛を負わせるのが目的。使い方としては、私たちがカービィに仕掛けるための罠でゲス」
「なるほど、わからんゾイ」
「ボウキャックと違うのは、自らが望んだタイミングで使えること。ドリームグローブを使うことで、事実上、新たな自分に生まれ変わり、イチから人生を再スタートできる……そういうことでゲスよね?」

俺は頷く。ボウキャックは、認識阻害を及ぼす魔獣として知られている。ゲスゲス言う召使は、過去の経験からドリームグローブの性質を見抜いたらしい。

「そして、ドリームグローブはボウキャックのような生き物ではない。ボウキャックから離れたり追い出したりすれば効果が消えるのではなく、使ったら最後、永続化されるってことでゲしょう。イジメられっ子が使うならまだしも、連続殺人犯が使えば事件を迷宮入りさせることができてしまう。劇薬でゲスな」
「大正解だ」

召使は、真剣な表情でドリームグローブを見つめている。未だに理解が追いつかない王に比べて、疑り深いようだ。
ボウキャックの魔力から逃れられた者は決して多くない。認識阻害の苦しみを味わった者ほど、ドリームグローブを畏れるのかもしれなかった。

「なんで貴様らだけで会話するゾイ、ワシにも分かるように話せ!」
「いたたた、嫉妬は見苦しいでゲスよ、陛下ぁ」

王は我慢ができなくなって召使をポカポカと殴りつける。召使は頭を両手で覆いながら慌てて説明する。

「これは私の予測でゲスが……、陛下、ホーリーナイトメアトイズの、イヌ型ペットロボットを覚えているでゲスか?私たちも海で爆発に巻き込まれたアレでゲスよ」
「そんなこともあったような気がするゾイ」
「おそらく、あのペットロボットも愛着という認識阻害機能が仕込まれている」
「ニンシキソガイ? それよりインチキ臭いゾイ」
「ええと、イヌが、カービィに自分はかわいい子だと思ってもらうように仕向けるんでゲス。つまり、ドリームグローブを使うと、陛下が人気者だと思ってもらえるようになるんでゲスよ!」
「おおー!? そうだったかゾイ!?」
「ふー、やっとわかってもらえたぁ」
「ではそいつを買うゾイ!」

威勢の良い掛け声を聞いて、俺は、まいど、とドリームグローブをデリバリーシステムに置こうとした。
だが案の定、召使に止められてしまう。どうもこの国の財政を握っているのは彼らしい。

「ダメに決まってるだろ! こんな美味い話、あるわけないでゲス!それに調合してみればわかるけど、劇薬ってムチャクチャ高価なんでゲスぞ」
「何を今更。城も国も担保に入れてしまえば良いゾイ。お前も身売りしろ」
「ええ!? へいかぁ、今までかわいがってきた私にそんな仕打ち、流石に酷いでゲスよ。考え直してぇ」

身を寄せて泣きつく召使を引き離した王は、玉座から下りると、画面越しに俺の目を見る。

「そんなに高価なブツなら、今一度確認するゾイ」

今度の表情は真剣だった。ド田舎国家でも、伊達に国を背負っていないのだろう。嘘がつけなくなった。どうせ見抜かれてしまう。

「そのドリームグローブを使えば、使用者であるワシに対する考えを、全員が変えることになるんだな」
「勿論。敵だった者も味方になる」
「ふむ」
「仮に、あんたとカービィとかいう奴が宿命のライバルだったとしても、このドリームグローブを使えばカービィの認識を強制的に改められる。友好的にすることもできる。」
「だが、ワシとカービィは最初からフレンズだったわけではないゾイ」
「そう。かつては敵であった、という認識がカービィに残る。だが時間が経つにつれ、徐々に些細なこととして、誰も彼もカービィ自身も気に留めなくなる」
「しかしワシはどうゾイ?そう簡単に忘れられるか?」
「あんた自身は、周囲の認識を変えたこと、変える前のことは覚えている」
「ドリームグローブを壊してしまえば」
「全て元通りになる。まあ、真実を知った者はタダでは済まさないだろうがな」

この王は最初から全てわかっていたのではないかと思い始めてきた。自分だけに真っすぐに向けられた言葉なら、理解が追いつくということだろうか。今の俺は嘘をつけない以上、こちらとしても物分かりが良いと話が早くて助かる。
俺は、この状態なら大丈夫だろうと判断して、この宝の本質を話すことにした。

「誰も本当の自分を知らない中で、確固たる自身を貫いていけるのか……ドリームグローブは、使用者の心の強さを試す」
「つまり牢獄か」
「過去全ての使用者は、自他の認識の違いに耐えきれずに発狂している。自殺をした者もいる」

俺はここに来るまでの間にも何度もドリームグローブを売っている。購入した直後から破滅に至るまでの記録を定期的に映像ファイルに収めていた。
新しい自分を演じきれずに悔やむ者、周囲を騙している罪悪感に押し潰される者、偏見にまみれた自分を変えてもまた新たな偏見を得て自暴自棄になる者。
しかしその誰もが、ドリームグローブを破壊することができなかった。一度は得られた快楽を、みすみす手放すことができないのだ。
おそらく俺にドリームグローブを売った貿易商も使用者だったのだろう。酷く憔悴していた。次に会った時には、首を吊っていた。
俺はそんなカネも命も尽きた者達から、ドリームグローブを何度も回収していた。

「要は、自分も周りも全て騙しきれば良いということかゾイ?」
「一番上手い使い方だな」

王は、これまでの犠牲者と同じように、ニンマリと笑った。興味本位で手を出して火傷をした者は、大抵このように笑っていた。

「上等ゾイ。ますます欲しくなった」
「へっ、陛下!」

すかさず召使が王にしがみついて止める。こんな危険な賭けに手を出さないで、と何度も首を振っている。
俺は折角の顧客を逃がすわけにはいかないので、淡々とドリームグローブの価格を示す。

「構わん、持っていきたいものは全て持っていくが良いゾイ」
「交渉成立だ」
「よし、デリバリーシステムで城に送るゾイ」
「まいど」

部屋の中央に設置されたデリバリーシステムにドリームグローブを置く。バチバチと電流が走る。
画面の向こうでは、召使がビービー泣き喚いていた。

「エスカルゴン、そう慌てるでないゾイ」
「だって私のお給りょ……いや私たちの城がなくなってしまうんでゲスよ?もう路頭に迷いたくないよおー」
「何、勝てば良いだけの話ゾイ」
「どうやってえー」
「黙って見ていろ。ワシに考えがあるゾイ」

眩い閃光が消え、俺の目の前からドリームグローブが消えた。
ふと先輩の方を見ると、口元が笑っていない。ここからが本番だと言わんばかりに、サングラスの向こうから俺を睨んでくる。
俺は画面を見た。無事に曰くつきの商品は届いたらしい。
王は、数多くの者を死に追いやった宝を手に取る。
そして手を翳す。虹色に輝き始める。一国の王と、ドリームグローブの力比べが始まった。





ホーリーナイトメア社の、俺に与えられた個室の中で、先輩は算盤を弾いていた。
電卓を利用すれば早いのに敢えて算盤を選ぶ理由は、自分の手が最も信頼に足りるからだろうか。それとも苦労して計算させたというプレッシャーを植え付けたいからだろうか。
山のように積みあがった書類と、算盤を交互に見つめる先輩を、俺はただ、無機質な椅子に座って待っている。座った瞬間はアルミに体温を奪われたが、今は冷たいと感じないくらいには長いこと、この体勢を維持させられていた。
デデデからの注文は来ない。正面の壁がビジョンに切り替わることはない。それがホーリーナイトメア社の売上下落に繋がったわけではない。むしろ利益は加速度的に上がり続けているだろう。
数十分後、先輩は指を動かすのをやめた。求めていた数字が出たらしい。先輩は算盤を覗き込んでいた顔を上げる。

「三月の初めに、お前がデデデ陛下にドリームグローブを売ってから四ヵ月。この間に、陛下はお前と我が社を通して莫大な建築キットと関連サービスを購入しました」

先輩の淡々とした言葉に、俺はぎゅっと拳を握り絞める。俺のしてきたことは間違っていないはずだった。ホーリーナイトメア社には確実に利益が転がり込むようにしてある。

「その額、なんと八阿僧祇一恒河沙五十五極三百九載……いや、やめておきましょう」

これまでの例に漏れず、俺はデデデ大王とその側近のエスカルゴンの記録動画を四ヵ月に渡って録り続けていた。
ドリームグローブを手にしたデデデは、その力を我が物にしてしまった。どうせすぐに自滅すると思っていた俺の予測は見事に外れたのだ。
デデデは、ハーフムーンにたむろするゴロツキや、豪華客船から金品を奪う義賊、銀河中を逃げ回る賞金首、そんな小物を凌駕する、根っからの悪党だった。
奴は、周囲の認識を改めさせても全く怯むことがない。それどころか自らの手の平の上で民を騙し続けることに優越感すら感じていたようだった。
エスカルゴンは、デデデと同時期にドリームグローブに触れたために、認識阻害の影響を受けずに済んでいた。
初めはデデデのやること成すことに文句ばかり言っていたが、ドリームグローブの力が本物だったことを知ると味を占め、自らの夢のためにも活用した。
二人は、人民を巧みに操り騙していく商才と技術、何よりも人心掌握術を持っていた。
デデデは人気者になるために、民の要望は片っ端から聞いていく。
エスカルゴンはそれを補佐して計画を立てる。

そして要望を叶えるために必要な道具は、全てホーリーナイトメア社から購入していた。
できあがったそれらが、民に受け入れられる。その連続で、デデデはドリームグローブに頼らずとも人気を集めるようになっていた。
高い支持力を聞きつけた世界中の人々がデデデの噂を聞くようになると、彼らは徐々にプププランドに集まるようになる。田舎の小さな村しかない国に経済の盤石を敷いていく。
同時にデデデの財産は膨れ上がっていた。ホーリーナイトメア社からの借金も帳消しにしてもなお、有り余る財産がデデデの自信をますます育てていく。まるで神の加護を受けたかのように、二人の行動は必ず富と繁栄をもたらしていた。
そしてデデデはプププランド近海に人工島を作る。この世の全てが集まる街、ニューデデベガスシティだ。

「本音を言いますと、私は陛下を甘く見ていました。奴の悪と欲深さは、私の知る所を優に超えます」

見くびっていたと語る先輩は苦笑していた。魔獣を買わずとも、買い手も売り手も利益が出るように仕組まれたことを、なんとも言いようのない皮肉だと言っているのだろう。

「私たちが与えたのは、たった一つの切欠にすぎません。ただし、その一滴こそが大波を起こすほどの波紋を産んだのです。その悪が、一瞬でも良い傾きを得られれば……陛下は、この宇宙全てを掌握できる可能性がある」

先輩は身振り手振りを交えながら、ややオーバーに語ってみせた。

「こんな奇怪な状況を作り出したのは、紛れもなくお前の功績ですよ」

ホホホ、と先輩の高笑いが部屋に響く。俺はそれに気を取られて、態度を緩めることができなかった。素直に喜ぶべきだっただろうか。どうも、この先輩は苦手だった。
先輩は椅子から下り、正面の壁を向く。タッチパネルに触れると壁がビジョンに変わった。映っている景色には、建設途中の人工島が見えている。ホーリーナイトメア社から手配されたゼネコンが、海を埋め立てているのが見えた。

「そういえば、お前は相手が無意識の内に懐に潜り込むのが得意でしたね。なんだか座敷童のようで、面白いですねぇ」

先輩は、振り返り、俺に向かって微笑んだ。

「ですがお前は賢過ぎました。これ以上データを抜かれてしまうのは、弊社としても困ります」

俺の魔法は、誰にも気づかれない。何千人もの相手から隙を暴き、情報を盗んできた。ホーリーナイトメア社の契約社員に応募したのもそのためだ。
だが、見抜かれていた。何時の間に見破られていたのだろうか。

「最初からですよ。ここでは異世界の古臭い魔法なんてマトモに効きません。ああ、ご安心ください。これで契約は破棄されますが、予想以上の売上はありましたから。ちゃんと報酬はお出ししますよ。ついでに申し上げますが、その功績に免じてお命も頂戴致しません」

心を読んだように淡々と述べる先輩に、俺は態度を隠し切れない。心だけは気丈に保とうと必死で歯を食いしばるが、力が込められない。
足が竦む。どうしても、体を自由に動かすことができない。
血の気が引く。まるで眠っている間に、金縛りを受けているようだった。

「では、最後のご挨拶は社長直々にお話させて頂きましょう。有難くお聞きなさい」

一瞬、全身が凍る。感じたことのない胸の痛みにえずく。猛禽類の鋭い爪に、心臓を抉じ開けられたかのようだった。
なすすべもなくそのまま倒れ込んでしまう。頭も体も自由が効かなかった。
思考だけ無駄に働いてしまうのは恩情だろうか。どうせ、そんな慈悲はないだろう。

「これまでありがとうございました、ハルージャ。良い夢を」

眠るように意識が沈んでいく。行き着く先は凍えるような安らぎか、暖かい死か。
ホーリーナイトメア。その言葉の意味がわかったような気がした。





飛び起きる。上半身はゴムのように簡単に跳ねることができた。息が荒い。あれからどうなったかわからない。
俺は数分かけて、ゆっくりと瞬きをする。恐る恐る視線を上げると、見慣れた掘立小屋のベッドの上だった。ホーリーナイトメア社の奴らは、ハーフムーンの町まで俺を強制送還したらしい。手が込んでいるのが忌々しい。
まずは落ち着きたい。
俺はベッドから起き上がると、冷蔵庫に入っているペットボトルを開封して、ごくごくと飲み干す。一本分を最後まで飲み切ろうとして、吹き出し、ゴホゴホと咳き込んだ。
水が禍々しい紫色をしていた。毒を盛られていたのか。
俺は口に手を突っ込み、吐き戻す。飲んだばかりの水と、胃酸が混じった液体だけがビチャビチャと流れ落ちた。

「クソッ!」

息を荒くしながら、紫色の水が入ったペットボトルを壁に投げつける。壁にシミができた。
俺はローブを羽織り直し、耳をすっぽりと覆うフードを被る。もう縛るものなどないはずだ。
掘立小屋を出る。ハーフムーンの町は、見慣れた景色のまま変わっていなかった。俺は近くの酒場に入り、カウンターでビールを頼む。何でも良いから、自分以外にも飲む可能性があるもの、毒の入っていないものを摂取したかった。

「よぉ、ハルージャ」

ビールが運ばれるのを待っていると、既に酒臭い男が俺の隣に座ってきた。
四ヵ月前に、水色の帆船に乗った旅人がやってきた日に、軽く挨拶してやった男だった。俯く俺に、気さくに話しかけて来る。

「ここ最近ずっと見なかったけどよぉ、墓でも荒らしてきたのか? それとも出稼ぎか?」
「うるせぇ」
「出稼ぎかあ。そういやド田舎の星で土木作業員を募集してるんだってよ。なんでもニューデデナントカシティとかいう街を作るらしくてな。俺もギャンブルばっかしてねえで、昔の経験を活かしてマジメに働……おい、ハルージャ、大丈夫か?」

俺は全身の震えが止まらなかった。
デデデとエスカルゴンの、破滅に差し掛かった記憶など、単なる客であり、既にどうでもいいものだった。
破滅ばかり写してきた縁起の悪いスマートフォンも、あの田舎の国に投げ捨ててきた。
それなのに、悪寒が止まらない。この四ヵ月で経験したこと全てに畏怖するようにでもなったというのだろうか。

「すっげぇ顔色悪いぞ、とりあえず水飲んどけ」

ん、と男にガラスビンの水を差し出される。俺はその水すらも紫色に鈍く光っているのを見て、左手でビンを跳ね除ける。
床に転がったビンが、大きな音を立てて割れた。
その音に、数人の他の客が俺に目を向ける。俺はその目を見た。
皆、表情の伺えない、紫色の目をしていた。ギラギラと輝いて、此方を睨んでいる、六対の瞳。口から滴る、紫の毒、床に作った毒の沼。その全てが、俺を見て嗤っている。黒い夜空色のマントの男が、ずるりと這い出る。
そして骨ばった、死人のような指で、爪で、俺の心臓を丁寧に抉り取る。

「ハルージャ、しっかりしろ! ハルージャ!」
「なんだぁ? ケンカか?」
「おっ、倒れた。アル中じゃね? 俺とおんなじじゃね?」
「バーカ、急性だよ。お前のはただのアル中」
「あーあ、若ぇのに可哀想に」

俺は何を見ているのだろう。幻覚にしては現実味が溢れすぎている。
しかしヒトの声はあまりに遠く、くぐもって聞こえる。
これは夢か。それとも悪夢なのか。俺の抉られた心臓は、一体何に挿げ替えられたのだろう。
悪夢を退ける。幼い頃、そんなことを沈みゆく泥船で聞いた気がした。あの気が狂ったじいさんは、有りもしない伝承に縋って生きていた。
今の俺には、何を信じる気力もない。盗んだ情報も鍵がかかったように思い出せない。
夢の泉の水は、この悪夢を祓ってくれるのだろうか。あんなに薄まった偽物じゃ、無意味か。
疲れていた。少し休みたかった。
だが休んでしまったら、また悪夢が俺を襲うだろう。
目を閉じる度、何度も何度も、悪夢が俺を殺しに来る。俺の心を壊し、心臓を抉り取ってくる。その心は一体何になるというんだろう。
俺は瞼の裏に、紫色の心臓が潰されるのが見えた。悪夢だった。





【流星光底長蛇を逸す】

残暑の厳しい海に海水浴客が溢れかえっていた。
海岸に繋がる歩道の上では、近くのカフェがパラソルとテーブルを並べて臨時営業をしている。
水着姿の人々はキンキンに冷えたジュースを片手に涼む。浮き輪を身に着けた子供たちは、休憩が終わるとすぐに海へと戻っていく。
ヒトというヒトが車道にはみ出すおかげで、観光客を乗せた車やバスはのろのろと進み、交通渋滞を起こしていた。
海岸線沿いの車道には、交通整理員を配置した方が良さそうだと、私はメモを取る。
はしゃぐ子供の飛び出し防止にも何らかの対策が必要そうだ。メモに書き足す。
途中で手を休めたくなり、名物のグラニータをチューっとストローで吸った。

プププランドを発ってから五ヵ月が経過していた。現在はオレンジオーシャンの観光都市に滞在している。ただしバカンスのために訪れたわけではない。
海水浴場の隣にあるカフェのテラス席に座って、メモを取り続けている私は、留守番を強いられていた。
一人で過ごすことによって得られる発見はある。
が、話し相手がいないのも退屈だと思うようになってきた。
パパとママが出かけた頃には真上にあった太陽が、徐々に角度を付け、今では完全に斜めになってしまった。
噂をしたら、パパとママが戻ってきた。斜めになったとはいえ、まだまだ熱い太陽の日差しに、焼けちゃうわ、とママが小走りになってやってくる。
後からパパが歩いてきて、両手に下げた大荷物を私たちの足元に置いた。

「いやあ、暑かった。あっ、すみません、私にもグラニータを下さい。ああ、ママにも一つ」

私の隣の椅子に座ったパパはサングラスを取ると、すぐ横を歩いていたウェイターに注文を頼んだ。パパの隣に座ったママは、パタパタと扇で煽いでいる。

「今度は何処に行ってきたの」

私が尋ねると、ママはニコニコ笑顔で小さな紙袋をテーブルの上に乗せた。中身を開けて見せてくれる。

「この近くのお店屋さんで、パパに買ってもらったのよ」
「ママにピッタリのペンダントだったからねぇ」
「常夜の星ハーフムーンで見つかった宝石を使っているんですって」

私は赤と青の石のついたペンダントを見て、心の中で訝しむ。あんな治安の悪い星で産出した宝石なんて、ガラス玉を磨いて作った可能性が高い。良くて、似せて作られた人工宝石だろう。パパはボッタくられてしまったかもしれない。
だが指摘をして傷つけるのも可哀想なので黙っていた。その代わりに、ほんの少しだけ嫌味を言ってしまう。

「またアクセサリー? ママ、七月にもヨーグルトヤードで買っていたわよね?」
「でもこの宝石、とーっても珍しいらしいのよ。なんでも異世界からやってきた痕跡があるとかで……」
「もう、遊びに来たんじゃないのに」

ママがペンダントを手に力説していると、ウェイターが二つのグラニータを運んできた。
ママはすぐにグラニータを飲む。誰よりもバカンスを満喫していた。

「姉ちゃんは律儀に調査しているからなあ。もう俺たちみたいに、思い切って遊んじゃえばいいのに……もーらいっ」
「あっ、ちょっとそれ私のよ!」
「ぽよっ、ぶん? ふうむ?」

いつの間にかブンとカービィが海から上がって来ていた。パパとママが帰ってきたのに気づいたのだろう。
浮き輪を身に着けた水着姿のままのブンは、私の飲みかけのグラニータを奪うと一気に飲み干し、ぷはぁ、うめぇ、と感嘆した。カービィは羨ましそうに、口の端から唾液を零す。

「じゃっ、また後で」
「待ちなさい!」

ブンは再び海に戻ろうとしたが、私が腕を掴んで阻止する。
カービィは、ブンが捕まったと知っても不思議そうに見つめるだけだった。

「もうすぐお祭りの時間よ。始まったら、ちゃんと調べ上げないといけないんだから。だから海水浴はおしまい。服に着替えてきなさい」
「えー、やだよー」
「ぽよよー?」
「ダーメ! それに日が沈めば一気に寒くなるわ。風邪を引かないように、シャワーを浴びて体を拭かないと」
「ちぇー」
「ぽぇー?」

不満を顕わにしたブンと、未だ状況を把握していないカービィに、バスタオルと服を押し付ける。代わりに二人分の浮き輪を預かり、空気穴の栓を抜いた。
ぷしゅー、と浮き輪が縮んでいく。浮き輪が使えなくなったのを見て諦めたのか、二人は大人しくシャワー室の行列に加わる。

「あんなにヒトが並ぶと、少し浴びるだけでも時間がかかるわね。並び方を変えたりして、もっと早く使えるようにしないといけないわ。もしププビレッジにも海水浴場を作ることになったら、考慮に入れないと」

私はブンとカービィの後ろ姿を見て、シャワー室の回転効率を上げる、とメモに記した。
オレンジオーシャンには主要都市が三つある。
先週訪れた南の都市は、数多くの貿易船を迎え入れる港湾都市。
現在滞在している中央都市は、海と絶壁に囲まれ断崖上に複雑に築かれた観光都市。
来週訪れる北の町は、秘境レインボーリゾートの玄関口である氷山の麓にある。
今日までに訪れた二つの都市だけで、メモ帳は三冊目に切り替わっていた。出張旅行全体では十七冊目になる。

「こんなに熱心になって、フームは偉いわねぇ」
「家族皆で来て正解だった。私だけだったら、とても調査しきれないよ」

ママに調査を褒められて少し嬉しくなる。パパはお手上げだというように肩をすくめると、私の頭を撫でてくれた。
私は、えへへとニヤけたくなってしまったが、疑問が浮かぶ方が早かった。

「でも何故デデデは、私たちに観光業の調査に行けって命令したのかしら。ウチの村にはちっとも役立ちそうにない情報なのに」

出張の旅費は経費として税金で負担されることになっている。そこまでして集めさせた情報を、後でどう活用するつもりなのだろう。
いつものようにカービィを倒したいのならば、私たち大臣一家だけを国外追放し、残ったカービィを狙い撃ちにすれば良い。
だがデデデは私たちに、カービィも一緒に連れて行って良いと言ったのだ。

「陛下の命令には逆らえないよ」
「観光業だって前は失敗しちゃったけど、この調査結果を元にすれば次には成功するかもしれないし」
「ヒントを見つけるためにも、ここに仕事に来たのは正解だったんじゃないか」

パパとママは楽観的に考えているが、私はきな臭くて仕方がなかった。真面目に考えて欲しいという意味を込めて言う。

「パパとママは調査と称してバカンスを楽しみたいだけじゃない」
「勿論、フームも楽しんで良いのよ。お仕事ばかりじゃ疲れちゃうわ、たまには息抜きしないと。リラックス、リラックス」

ママが私の両肩を揉むと、気持ち良いことに気づく。肩が凝るまで調査をしていたのだ。ママの言う通り、リラックスが必要かもしれない。
私がボールペンをテーブルの上に置くと、大通りからパンパンと空砲が聞こえてきた。徐々に賑やかな音が近づいてくる。
私たちは椅子から立ち上がって、テラス席から数歩分、身を乗り出した。

「ほら、お祭りがはじまるみたいよ」

ママは音のする大通りを指差した。マーチングバンドだ。楽器を演奏しながら、こちらに向かって行進する。

「ぱよー!」
「あれが噂のお祭り?でもなんか想像してたのと違うんだけど」

服に着替えたブンとカービィが、シャワー室から戻ってきた。髪が十分に乾いていないブンの頭を、ママがタオルでわしゃわしゃと拭く。カービィも真似をして、タオルで自分の頭をこする。
私は、事前に観光ガイドで祭りについて調べていたので、ブンの疑問に答える。

「この街のお祭りは、ブンが想像しているカワサキ星式のお祭りじゃないわ。お祭り、というよりはフェスティバルという方がニュアンスとしては正しいかしら。昔、公国時代のこの街は立派な軍事都市だった。当時、フェスティバルを通して公爵の権力を示していた名残で、今もああやってパレードをしているのよ。他にも、歌ったり踊ったりして、公爵を称えるの」
「ふーん」
「出店の代わりではないけれど、料理も振舞われるわよ。すぐそこの海で採れた海産物で、スープを作るの。これは不漁と不作で食べ物が少なかった年に、公爵が自ら振舞ったスープと同じ物だと言われていて、このスープで多くの民の命が救われたのよ。つまり私たちもフェスティバルを隅から隅まで観覧することで、過去の歴史と現在の文化から、国家としての在り方を学ぶことが……って、カービィ、やめなさーい!」
「しゅうぷー!」

私がフェスティバルについて説明していると、いつの間にかブンとカービィが私たちの元を離れていた。
マーチングバンドの横をすり抜けた二人は、広場の中心で火にかけられている大鍋に見入ってしまっていた。
大鍋の中では、これから配られる海鮮スープがぐつぐつと煮え、街の女性たちが大きなおたまでぐるぐるとかき混ぜていた。
スープの匂いに目を輝かせたカービィは、私が危惧していた通りに、すいこみを始める。
相変わらずの吸引力に、広場に観客の悲鳴が響く。かき混ぜていた女性たちは、鍋が飛ばされないようにミトンをした手で必死に掴んでいる。
中身のスープは吸引に合わせて鍋から溢れ、宙を舞い、カービィの口の中へ……と思いきや、カービィはマーチングバンドから、何かをすいこんでしまった。
カービィは飲みたかった液体ではなく、予想外の固体をのみこんでしまう。一瞬しか見えなかったが、固体は丸い鳥に似ていた。カービィは空高く垂直に飛び上がった。

「ああ、カービィがコピーしちゃう」
「今回は何をのみこんだんだよ?」

私たちはカービィの空中での変身をおろおろしながら見守っていた。
カービィが身に着けたのは、見たことのないピンク色の星と白い羽の装飾がついた赤い兵隊帽だった。背中には七色の羽根飾りが着いている。

「なにあれ」
「カーニバル……みたいな衣装ね」

変身したカービィは、サッと左手を上げる。
すると、私とブンの体が操られたかのように宙に浮き始めた。
ママとパパが、私たちの手を掴んで地上に降ろそうとするが、それよりも早く私たちは空中を飛ぶ。飛んだ先はカービィの両隣だった。
広場のド真ん中に召喚された私たちは、恥ずかしくて顔から火が出そうになるが、カービィは構うことなく踊りだす。
そのせいか、私たちまで自然に体が動き出してしまう。

「かっ、体が勝手に!」
「踊りだしちゃうー!」
「ふぇすてぃばーん!」

カービィがスピンジャンプをして左に転がると、それに合わせて私たちもスピンジャンプをして左に転がる。
次にカービィは右手を伸ばして宙返りをする。私たちも右腕を伸ばして宙返りをする。
最後にカービィは左手を伸ばしてキメポーズをとる。私たちも左腕を伸ばしてキメポーズを取った。正しくは、取らされた。
キメポーズをすることで、私たちは自分の意思で身動きが取れるように戻った。
そしてそんな私たちを大勢の観光客が見ていた。
広場は、しんと静まり返っていた。
私とブンは恥ずかしさの余りに、地下世界があったらマントルまで掘り進めたい気分になっていた。
ダンスの終了と共に帽子と羽根飾りが外れたカービィの手を引いて、すみませんでした、と叫びながら逃げ帰ろうとする。
しかし、私たちの敗走は阻まれた。

「いやあ、素敵なダンスだった! 見ていて感動したよ」

私たちの前に、恰幅の良いおじいさんと、スーツをピシッと着こなした中年男性の二人組が立っていた。おじいさんが拍手をしながら近付く。

「マーチングバンドの演奏を見ていたら、つい踊りだしたくなってしまったんだね」
「ぽよ!」
「うんうん、元気が良くて良いことだ。さあ、みんなも元気溢れるこの子たちのように、歌って踊って、フェスティバルを盛り上げようじゃないか!」

おじいさんは、閉口していた聴衆に向かって両腕を広げてみせた。それを見て皆はワアッと歓声をあげる。
おじいさんはそんな聴衆に手を振っていた。皆が彼に目を向けることで、私たちに向けていた戸惑いの視線は少なくなっていった。
マーチングバンドが演奏を再開し、女性たちがスープの入った大鍋をかき混ぜ直す。スープは少しだけ地面に零れてしまっていたが、まだまだ沢山残っているようだった。
皆が元通りにフェスティバルを楽しむまでに時間はかからなかった。

「突然すみません、場を乱してしまって。そしてありがとうございました」

私はペコリと頭を下げ、お礼を言う。おじいさんは、いいんだよ、と微笑むと、中年男性に合図をする。
男性が、私たちに赤いリボンのかかった白い箱を差し出した。

「えっ、くれるの?」

ブンが浮かれた声を上げる。私はたしなめたが、おじいさんは、どうぞ受け取ってくれと言った。

「私は毎年このフェスティバルで、子供向けのダンスフェスタも開催していてね。参加者には全員プレゼントを渡しているんだ。今年は午前中にやっていて、もう終わってしまったんだが……、たった今、君たちの素敵なダンスを見せてもらったからね。ぜひとも贈らせてくれ」
「やったー、ありがとう!」
「ぽよがとー!」

ブンとカービィは大喜びだ。プレゼントの箱を大切そうに抱えて小さくジャンプする。私は二人の嬉しそうな姿に、もう一度おじいさんにお礼を言う。

「プレゼントまで頂いて……おじいさん、本当にありがとうございました!」
「ぜひとも最後までフェスティバルを楽しんでいってくれ。では行こうか、シュトゥアルト」
「失礼致します」

おじいさんはお供の中年男性を引き連れ、祭りの雑踏へと紛れて行った。
そこへ人混みを掻き分けてパパとママがやってくる。

「フーム、ブン、カービィ! 良かったわ、大事にならなくて」
「ぷれぜんとぽよ」
「へへ、俺たちのダンス、褒められてさ。プレゼントもらっちゃった」
「まあ」

ブンとカービィはプレゼントの箱を満面の意味でママに見せた。
ホッとしたママに対して、パパは未だに慌てている。

「フ、フ、フ、フーム、あ、あ、あのヒトと話したのかい!?」
「そうよ。それがどうかしたの?」
「あのヒトこそ、この街の公爵様の末裔だよ!」
「ええ!? あのおじいさんが!?」

秘書が付いていたし、羽振りも良いことから、なんとなくお金持ちの方なんだろうと踏んではいたが、まさか歴史が証明する有力者だったとは。
私は驚いてしまった。かねてからこの地を治めていた一族だというのに、気さくなおじいさんで、私たちにもフレンドリーに接してくれた。どこかの変な王様とは比べ物にならない。
そして私はハッと気づき、サッとメモ帳に書き込む。

「街の代表は、観光客にも親切に……っと。デデデが見習うわけないけど、せめて私たちだけでもあのおじいさんみたいにならなくっちゃ」

私がボールペンを走らせていると、痺れを切らせたブンが騒ぎ始める。

「なあなあ、もうプレゼント、開けてみてもいい?」
「ぱよぱよ!」
「カービィも急かしてるしさ」
「開けてもいいけど、散らかさないようにね」

ママが許可を出すと、ブンはすぐに開封に取り掛かる。ブンがプレゼントの箱を持ち、カービィがリボンを解く。
中に入っていたのは、カラフルな丸いオモチャだった。カービィはオモチャを回したり、傾けたりしている。
オモチャは、赤と青の地に、金の縁が入っていた球体だった。白い鳥のような羽と、黄色い足が二つずつ付いている。正面部分には青い目が、金色のラッパのようなパーツは、クチバシに見立てたように付けられていた。その下には、赤い蝶ネクタイがくっついている。

「かわいいわね。小鳥のオモチャかしら」

私がオモチャに触れると、急にオモチャが動き出す。中にモーターでも入っていたのだろうか。羽を羽ばたかせると、クチバシと尖らせる。

「ぱふ!」

小鳥のオモチャが鳴くと、クチバシから色とりどりの紙テープと、金銀の紙吹雪、小さな星型のセロハンが飛び出した。

「こいつ、クラッカーなんだ!」
「びっくりした。急に放つなんて。一体何のジョークグッズ?メーカーはどこかしら。対象年齢も気になるわね」

私はブンからプレゼント箱を受け取る。ブンは空いた手で、オモチャを捕まえた。

「ぽよ! ぽふ、ぽふ!」
「ぱふ!」
「ぽぉよ、ぽふー!」

カービィがオモチャに強請ると、オモチャはもう一度クラッカーの中身を吹きだした。カービィは喜んで、ひらひらと落ちる紙吹雪を、両手で受けるために走り回る。あっちこっちに落ちる紙テープ、セロハンを楽しそうに集めていた。
私はプレゼント箱を調べる。中にはオモチャを傷つけないための緩衝材と、メッセージカードが入っている。
『クラッカーペット・ドンパフルをかわいがってね!』
メッセージカードには、このオモチャの名前が書いてあるだけだった。説明書などの紙は見当たらない。
私は箱をひっくり返して調べる。すると底面に小さく文字が買いてあるのを見つけた。

「『全世界のオモチャ販売・修理はオモチャのガングにお任せください!本製品の電子説明書はこちらからダウンロードできます』……オモチャのガングって」
「ププビレッジにいる、あのガング?」

思いがけない名前に、私とブンは顔を見合わせる。
私たちがプレゼントに興味津々となっている間、マーチングバンドの演奏を見ていたママとパパが、声を上げた。

「あら、マーチングバンドでも、ドンパフルちゃんを使っているのね。たくさんいると、賑やかでかわいいわ」
「最近の都会では、ああいうオモチャが人気なんだねぇ。さっそく買い占めてウチの村にも持ち帰らないと」
「絶対流行るわ!」
「ぱふ!」
「ぽふ!」

ママとパパが指差す方向を見ると、マーチングバンドの隊列の上空で、五匹のドンパフルが飛んでいた。演奏中にタイミングよく、ぱふ、と鳴き、紙吹雪を撒き散らす。それに共鳴したのか、ブンが捕まえている私たちのドンパフルも鳴いた。カービィは紙テープを素早くキャッチした。

「フェスティバル全体でドンパフルを購入してるなんて。ガングのオモチャ作りの才能が花開いたのね」
「これでププビレッジも潤ってくれりゃあいいんだけどな」

ブンはドンパフルの頭を撫でる。ぱふ、と鳴いて、セロハンが散らばる。触ったり、声を掛けたりすると反応するオモチャのようだ。
もしかすると、カービィが大鍋のスープを飲み込もうとした時に代わりにすいこんだのは、マーチングバンドが使っていたドンパフルかもしれない。隊列の中で、一匹だけ不自然に足りていなかったからだ。
もしそうだとしたら、マーチングバンドには悪いことをしたな、と私は反省した。もっとカービィが勝手なことをしないか見張っていないといけない。
私はプレゼントの箱の裏に、これ以上何も書かれていないことを確かめた。ドンパフルをしまうために箱をブンに返そうとした時、箱の蓋にも何かのメッセージカードが挟まれていたことに気づく。
最近開園した遊園地の広告だった。『オモチャのガング』も、遊園地に提携しているらしい。
私はガングの経営努力が実を結んだことを大いに喜んだ。
その遊園地の名前が『愛と希望のデデデーランド』だということを知るまでは。





私とブンは、カービィのワープスターに乗ってププビレッジへと飛んだ。パパはママと、私たちの代わりに仕事を続けると言ってオレンジオーシャンに残った。
私たちはププビレッジの様子を見たらすぐに帰ると、両親に約束した。三日後にオレンジオーシャンの北の町で合流する予定だった。
しかし五ヵ月ぶりに帰ったププビレッジは、ゴーストタウンと化していた。
畑にも、浜辺にも、村にも、ヒトの姿がない。村人の名前を呼びながら探し回るが、誰も見つからなかった。
私たちは村の広場を出て、家に帰ることにした。城に繋がる坂を上っていく。デデデ城の門に着くが、橋は上がったままだった。

「おーい、開けてくれー!」
「私よ、フームよ! 誰かいないの?」
「かーびぃぽよー!」

私たちは門に向かって叫ぶが、何の返答もない。いつもなら数人のワドルディが城壁に立って外を見張っているのだが、その姿もない。それどころか何の物音もなかった。生きているヒトが誰もいないかのようだ。
ワドルディたちを指揮するワドルドゥ隊長もいない。あのメタナイト卿でさえも、気配を感じなかった。

「皆どこに行ったんだろう」

ブンは辺りを見回した。無人の丘に吹く夏の風が、私たちと草木だけを揺らしている。
カービィは空気をたっぷりすいこむとホバリングで空を飛び、上空から城門の中を調べてくれたが、何も見つからなかったのか、すぐに地上に降りてきた。
私は何か手掛かりがないかと思い、城の外壁を見つめる。
ふと視線を下げると、堀の中の水が酷く濁っていることに気づいた。
近付いてみると、酷い臭いがする。

「うえっ、くっせー! 一面藻だらけだ」
「おかしいわね、今年は春にお堀の掃除をするって前から決めていたのに」
「デデデのやつ、俺たちがいなかったから掃除をサボったんじゃないか?」

実際に掃除をするのはワドルディなのに指揮すらせずに逃げたのね、と私は呆れるが、城からはヒトっ子一人出てこなかった。埒が明かないので、ひとまず城を後にし、村の広場に戻る。
今度は念入りに調べようと、私たちは家のひとつひとつをノックして回った。城と同じく、中にヒトのいる気配はなかった。

「こんなに探しているのに誰もいないなんて。私たちが外出している間に災害でも起きて、集団で避難所に逃げているのかしら?」

災害が起きてしまえば家を放置して離れることも考えられるので、理由としては成り立つ。
だが災害が起きたという痕跡は見当たらない。村も荒れていないし、ギラウエア火山の噴煙も上がっておらず穏やかなままだった。

「姉ちゃん、そっちはどう?」

広場を離れて商店街を見回っていたブンが成果を尋ねるが、私は首を振った。

「私は皆が、何か理由があって村から避難したんじゃないかと思ったんだけど、荒れた形跡がなくて……」
「それなんだけど、俺、変な光景を見たんだ」

ブンは商店街にある精肉店のことだと言った。私たち三人は精肉店のガラス窓に顔をくっつけて、店の中を覗く。
勿論、店主も客もいない。
だが私が驚いたのはヒトの有無ではなかった。

「商品棚がない。レジもないし、店主のおじさんがいつも使っていた包丁もないわ。もし一時的に避難したんだったら、全て置いていくはずなのに」
「それだけじゃない、床を見てくれ。肉屋が掃除をしないと思うか?」

床のフローリングには分厚い埃が積もっている。足跡もない。壁には小さなクモの巣が張っていた。店主が去ってから長い時間が経っている。
私はハッとして、商店街を走って横切ると、レン村長の家がある丘を駆け上った。

「いない、ヒツジたちがいないわ!」
「めぇーぽよ?」

ブンとカービィも追いかけてきて、丘を見る。昼間はヒツジが何十匹も草を食べているはずなのに、ヒトと同じように忽然と消えていた。
しかも村長の愛車も消えている。村長の家の窓を覗けば、家具すらも残されていなかった。これで私は確信した。

「皆は消えたんじゃない。全員この村を捨てて、引っ越したんだわ」

ブンは苦々しく頷いて同意した。留守の間にこの村に何が起きたのか、ヒトがいなければ聞き出すこともできない。引っ越し先がどこなのかもわからなかった。
手詰まりかと思ったその時、カービィは何かを見つけたのか、足元を見ながらゆっくりと歩き出した。
野原に、車が通った轍ができている。普段なら広場に向かうはずの轍は、逆方向である丘の天辺へと向かっていた。伸び放題の雑草を掻き分けて、轍を追う。丘の天辺へ上りきった私たちは、眼前に広がる海を見下ろした。
丘の下に続く砂浜から、アスファルトで舗装された道路が見えた。道路は海を切り裂いて真っすぐに伸びている。その先には、目を疑うほどの大きな島があった。
島の上には、無数の高層ビルが槍のように突き上がった大都市が築かれていた。

「まさか、皆あそこに……」
「姉ちゃん、カービィ、行こう! きっとあの街にデデデーランドもあるはずだ」
「ええ!」
「ぽよ!」

私たちは丘を下り、砂浜を突っ切る。道路は車道と歩道に分かれて作られていたが、自動車が一台も通らないので、車道はあってもなくても同じだった。
三十分も歩くと、道路は大都市の内部へと繋がるトンネルに差し掛かった。そのまま地上の道路や駐車場を目指す車道とは異なり、歩道はエレベーターホールへと枝分かれしていた。
エレベーターは待たずともすぐにやってくる。乗り込んで数十秒後、エレベーターの階数表示は地上階を示した。自動ドアが開く。
私 たちは初めて見るその景色に圧倒された。舗装道路の上に無数のヒトが闊歩し、何台もの自動車が信号機に合わせて規則正しく動いている。
ビルというビルが私たちを見下ろしている。それらは決して無機質ではなく、尖っていたり丸くなっていたりと自由な形をしている。
上空には、空中回廊がビルとビルを繋ぎ、半透明のホログラムのビジョンが広告を映し、街を素早く移動するための飛行船が飛び交っていた。

「すっげぇ……」
「ぽえぇ……」
「こんなに発展した都会を見るのは生まれて初めてよ」

景色を見ただけで驚かされた私たちは、やっとのことで感想を絞り出す。お上りさんとも言える私たちに、何者かが話しかけてきた。

「この世の全てが集まる街、ニューデデベガスシティにようこそ! 街をご紹介致します、私にタッチしてください」

振り返ると、インフォメーションと書かれた看板が立っていた。合成音声を喋る看板に近付き、タッチパネルに触れる。街の紹介映像として航空写真を集めたスライドショーが流れ始めた。

「ニューデデベガスシティ?」
「通称ビッグウォーターメロン。丸い人工島に、スイカの縞模様のように地区が並ぶことから、この愛称が付けられました」
「しゅいか、ぽよ」

声に反応して説明を始める看板に、私たちは顔を見合わせる。デデベガスとは、かつてデデデが城に作った遊園地の名前だったはずだ。

「やっぱりデデデの仕業か」
「どうしてこんな街を作ったのかしら」

デデデのやることなら大方想像はつく。大概はカービィに対するイタズラか、村人をからかうためのイタズラか、だ。
だが今回は考えが読めない。
カービィを倒したいのであれば、カービィを私たちと一緒に村から追いだす理由がない。魔獣を嗾けるにしても、自分の領土でない国外で暴れさせるのは難しい。いつものように村の中で魔獣を放つ方が、カービィを仕留める成功率が上がるだろう。
それとは別に、単に自分の娯楽を優先した結果だとするなら、街を作り上げる費用は一体どこから捻出するというのだろうか。浪費家で債務者のデデデが、これだけの街を作るだけの貯蓄を持っているはずがないし、村人から税金として巻き上げるにしても、そもそもププビレッジの住民にデデデを超える富豪はいない。
ホーリーナイトメア社が仕組んだ罠の可能性も考えられるが、彼らの目的こそ、カービィの討伐だけだ。
それが目的なら、私たちが無人のププビレッジに戻った時点で、村人から何の助けも得られない内に始末すれば良いはずだ。
他にも、街に入る前の道路で海洋魔獣に襲わせるとか、街に入った時点で捕らえるといった方法もある。既にいくつかの討伐チャンスを逃している。

「デデデ陛下は、人民の幸福を願ってこの街を作りました。今日の人民の生活を支えているのは陛下の御心のおかげなのです」
「下心なしで街をつくるようなヒトじゃないわ。それに私たちは、これまでのデデデの横暴に何度も困らせられてきた。感謝なんてするもんですか」
「その証拠に人民は皆、陛下を愛し称えています。陛下とは、私たちを愛してくださる素晴らしい御方、そして私たちが最も敬愛すべき御方なのです」
「こんなことを看板に吹き込んだのは、エスカルゴンね」

私は狂ったようにデデデを褒め称える看板を無視することに決めた。次の賞賛を述べる前に、スライドショーの再生を止めるようにタッチパネルを操作してしまう。
代わりに地図の画面を開いた。丸い地図を読んで、街の構造を調べ、覚える。
暫くして、ブンが地図の一点を指差した。

「北東に遊園地がある。デデデーランドだ。その入園口の近くに、オモチャのガング・一号店がある」
「チェーン店があるってこと?」
「あとで店名で検索すればわかるだろうけど、おそらくな」

ブンの指はそこから左下に動いた。そこにも見覚えのある文字が書かれていた。

「見ろ、ここにはビブリの本屋・本店ってある。こっちにはタゴのコンビニ、いやスーパーだ」
「どうなってるの? 皆デデデに引っ越しを強いられて、ここで商売をさせられているのかしら?」

村の商店街にあった店が、ニューデデベガスシティにも店舗を開いている。そしてその殆どが店舗を複数持っていた。
それぞれの店主たちはどうしているのだろう。何故、わざわざこの街に引っ越したのだろうか。
私には村を出ていく程に、村を嫌っていたとは到底思えなかった。

「実際に店を見て、彼らから直接話を聞くしかないわね」
「街を移動するには、プププトラム、プププ飛行船のご利用が便利です。デデデーランド行きのプププトラムはエヌゼット線二番ホームでお待ち下さい。エヌゼット線二番ホームのプププトラムは現在、隣のヤブイ総合病院駅を発車致しました。ププビレッジゲート駅には、三分後に到着する予定です」

私たちは看板の地図とアドバイスから街の北東に向かうことに決めた。看板が最初にして最後に有益な情報を喋った瞬間だった。
看板があった道を左に曲がると、プププトラムのホームが見えて来る。エヌゼット線の二番ホームを探すと、既に数人が並んで待っていた。
二分後、トラムが大きな音を立てずにするりと滑ってくる。環境に配慮して消音化を徹底的に施された列車のようだった。
トラムからアナウンスが流れる。

「ププビレッジゲート駅、ププビレッジゲート駅です。このプププトラムは各駅停車デデデーランド行きです。次はニューデデベガス警察署前駅に止まります」

この駅で下りるヒトは一人、二人と少なかった。乗るヒトも少なく、前に並んでいた二人と、私たち三人が乗っただけだ。
トラムの中は外で見たよりも、意外に広かった。乗客の多くが観光客だが、通勤途中のサラリーマンと見られるヒトもいた。
私とブンはギリギリ吊革に手が届いたが、カービィは当然届かない。三人で手摺に捕まるため、車内の奥へと移動した。
自動ドアが閉まり、トラムはゆっくりと動き出す。窓ガラスから、徐々に加速して流れていく、見たことのない景色を眺める。

「おや、フームとブンじゃないか」
「それにカービィも」
「帰ってきたんじゃな、おかえり」

私は声の主を見上げる。キャピィ族の男性たちが立っていた。目線を下げると、優先席にはキャピィ族のおじいさんが座っていた。

「ハニーパパ、それにイローパパも!」
「モソじいさんじゃん、元気だったか?」
「ぽよ!」

私は改めて彼らの姿を見る。驚いた。黒いスーツに、ビジネスバッグを持っている。イローパパは眼鏡までしていた。彼の目は特別悪かったようには思えなかったのだが。

「どうしたの二人共、スーツを着て。どこかに行くの?」
「どこって、会社だよ。今は通勤中だ」

ハニーパパは当然のように答える。会社というププビレッジには僅かしかない行先を答えられ、私はさらに驚く。
イローパパは、えへんと胸を張る。

「陛下は私たちに頭脳労働を与えてくれた。やりがいのある仕事だ。歳をとっているだけで無条件に評価をしてもらえる」
「私なんて窓際に座っているだけで給料がもらえるんだ」
「退職したワシはすることがないからの、一日中トラムでぐるぐる回っとるよ。シルバーパスがあれば何回回ってもタダじゃ」

年功序列、窓際族、早期退職者。メディアを通してしか知らなかった都会の悩みが、たった今私たちの目の前に実体を伴って現れている。ププビレッジにいた頃の彼らは、こんな発言をすることなく真面目に働いていた。

「農家は二ヵ月前、引っ越す時に辞めたよ。サラリーマンとしてコツコツ働いて、将来はイローを大学院に入れてやりたいんだ。一山当てたホッヘの家のように留学まではさせられないが、街の南西にデデデ帝国大学ができたからな。そこに入れるつもりだよ」
「ハニーには中学校の受験勉強をさせているよ。デデデ帝国大学にエスカレーター式で進学させるためにも、受験は頑張らないと。まあ一級市民の子供なら、面接の時点で顔パスだがね」
「ぽっぺーぽぽよ?」
「ああ、大臣一家は出かけていたから知らなかったんだっけ」
「あのド田舎で古臭くて陰湿なププビレッジに住んでいた我々は、今や全員都会の一級市民さ。当然、帰ってきたフームたちにも、その権利があるよ」
「一級市民であるワシらに、年金の心配はいらん。残りの余生、ナンパし放題じゃ!」

イローパパ、ハニーパパ、モソさんは、トラムの定期券と一緒に入っていた住民カードを見せてくれた。虹色に輝くデデデの顔の紋章がついている。一級市民の証のようだ。
彼らの変わりように、私は戸惑っていた。私は昔から教育は大切だと説いてきたが、まさかデデデが本当に帝国大学を創立することになったとは。
ブンは彼らの態度に若干引いてしまいながらも、会話を続けて街についての情報を仕入れる。

「一級市民、ってことは二級があるのか」
「陛下はお優しいから、外国や他の星からの移民を受け入れたんだよ。移民は二級市民になる。私たちより少しだけ待遇が悪いが、それも努力次第でいくらでも一級に這い上がれる。試しに、その辺の工事現場にでも行って、作業員に話しかけてみるといい」
「働けば働くだけ評価されるし、本当にいい時代になったものだよ」
「ゆりかごから墓場まで、ワシらは陛下に不自由のない生活を保障されているんじゃ」

一級市民は今の自分たちの生活を満足げに語る。目を白黒させている私たちなど、眼中にないようだった。

「デール・ストリート駅、デール・ストリート駅です。当駅からキホンマルノウチ線にお乗換えできます。次はミッドナイトタウン駅に止まります。ミッドナイトタウン駅では、ウェスター線、サースリッピー線にお乗換えできます」
「おっ、着いた。じゃあ、またな」

トラムのアナウンスに合わせてイローパパ、ハニーパパが下車する。窓ガラスから覗いたその駅は、オフィス街の通りの一つに面していた。通りを歩いているのは、同じようなスーツを着た企業戦士ばかりだった。

「本当にすげぇことになってるな……」
「これは夢かしら……」
「ぽえ」

私たちはイローパパたちから聞いた情報を整理するために、暫く黙っていることにした。
まずは落ち着いて、この状況を噛み砕いて飲み込まなくてはならない。が、聞きなれない内容ばかりで私の理解はなかなか追いつかなかった。
トラムに揺られている内に、目的の駅に到着するというアナウンスが流れる。
モソさんに話しかけてから降りようと思ったが、ぐっすりと眠っていたので何も言わずにそっと離れる。
私たちは運賃を払ってトラムから下車した。運賃はたったの五十デデンだった。珍しい物好きの村人からなら、いくらでもふんだくれそうなものを、デデデはそうしなかったらしい。
ニューデデベガスシティの北東に訪れた私たちは、辺りをきょろきょろと見回しながらタゴのスーパーを探す。
スーパーはすぐに見つかった。見慣れた太陽のマークが描かれた建物は、スーパーというよりも巨大なショッピングモールとなっていた。
中に入ると、買い物客でごった返している。キャピィ族が多いが、その中に見知った顔はない。他所の国から来た観光客か、この地に住み着いた外国人かだろう。
あまりに広いショッピングモールからタゴを探すのは早々に諦め、併設されている彼の本業のコンビニに入る。くるりと一周するが彼は見つからなかった。休憩中かもしれないので、店員に話を聞くことにする。

「すみません、タゴはこの店に居ませんか」

お弁当コーナーで少なくなった商品を補充している店員に話しかける。彼女は振り返って、ポカンとした顔で私たちに返事をした。

「ワタシ、アルバイト。シャッチョのこと知らない。シャッチョ忙しい、タブン」
「社長!?」

私たちは素っ頓狂な声を上げてしまった。
よくよく考えてみれば、タゴはププビレッジのコンビニのオーナーであったし、社長というのは適切だ。あのコンビニがスーパーを経てショッピングモールとして成長した今では、絵に描いたような偉い社長でもおかしくないかもしれない。

「ワタシ、移民ヨ。ネイキッドナチュレから来た。ニューデデベガスシティ、来てジュウ日。まだよくワカラナイ」

店員はすぐに品出しに戻り、手を動かしながら首を振った。

「オキャクサン、ジャマ! あし、ジャマよ」
「あっ、ごめん」
「ぽぺん」

ブンの足が、品物が入っていたダンボールの端を踏んでいた。彼女に言われて、ブンは慌てて避ける。カービィは踏んでいないのに一緒になって避けた。

「ワタシ、ガンバッテ働く。シャッチョからオカネもらう。ヘーカにあげる。ヘーカ、うれしい。ワタシ、生きれる。ワタシ、モット働く。働く、たのしい。生きれる」

店員は片言ながらも、一生懸命身振り手振りをして、私たちに語った。熱心に働いている彼女をこれ以上邪魔しては悪いと、私たちは礼を言ってそそくさと立ち去った。
コンビニから出ると、風に乗った土埃が、道に舞い上がっていた。この地域は未だ開発途中なのか、工事現場が多い。
トラムの中でハニーパパから、作業員から話を聞いてみるといいとアドバイスをされたことを思い出した。
私は、工事の手を止めて一休みしている作業員に、道を尋ねる観光客の振りをして話しかける。

「すまんなあ、俺も別の星から来たばっかりでな。この辺の地理はよくわかってねえんだ」

ヘルメットを被った作業員はタオルで汗を拭き拭き、私たちにニカッと笑った。

「お嬢ちゃんたちも観光で来たんだろう? いやー、この街はすごく良いよ、ガンガンカネが稼げる。これも陛下がビルを建てまくって、俺たちに給料をバラ撒いてくれるおかげさ。ギャンブルなんかよりずっと手っ取り早い。これで少しはハルージャの治療費も出してやれっかもなぁ」

家族か友人かわからないが、故郷の星に残してきたヒトがいるのだろう。彼は出稼ぎ労働者として日々の生活費を稼ぐためだけでなく、難病の治療費のためにも働いているようだった。

「おっと、観光で来たんなら、こんなカネの話は関係なかったな。悪りぃ、悪りぃ」
「ぽよぉぽよぉ」
「いいよ、おっちゃんも仕事がんばってな」
「おうよ! ニューデデベガスシティは、この俺が完成させてやるぜ!」

ブンに応援された作業員は、私たちに笑いかけると、工事の続きに取り掛かった。

「外国のヒトたちにも評価されているみたいだな。ここで暮らすのも案外悪いことばかりじゃないのかも」
「どうかしらね。こんなにうまくいくなんて、絶対裏があるに決まっている。良いように使われて、最後には痛い目を見させられるんだわ」
「えー、そうかなあ。俺は、街そのものは良いと思ってきたけどなぁ」
「デデデが過去にしたことを忘れたなんて言わないわよね。デデデを持ち上げたところで、手を噛まれるのは弱い村人たちなんだから」
「ぽよ?」
「カービィ、そんな顔しないで。貴方が一番酷い目に遭ってきたっていうのに」

忘れたと言わんばかりに、首を傾げるカービィをぎゅっと抱きしめる。まだ赤ちゃんなのに、魔獣に攻撃されて、星の戦士として戦わせられてきた彼が気の毒で仕方がなかった。
なんとしてもカービィは私が守りたい。そのためにも、胡散臭いこの街の謎を解かなければならない。

「街のことをもっと調べるためにも、タゴや村の皆を探して話を聞かなくちゃ。ブン、カービィ、行くわよ」

しかし私は、踏み出した足をすぐに止めることになった。目の前の高層ビルに刻まれた太陽マークが目に入ったからだ。

「タゴなら、今頃あのタゴ・ホールディングスの本社ビルで、立食パーティーでもしてるさ」
「どうやらそうみたい」
「それでもタゴに会うつもりか?」
「厳しいでしょうね」

ブンの言わんとすることは分かった。タゴ社長に会うのは不可能だろう。急に押しかけて行っても、アポイントがないので、と門前払いを食らうだけだ。
私は少し困ってしまう。元村人たちを探して話を聞くには、自らの名前を冠した店を持つ店主に訊くのが一番だと目星を付けていた。店ならば地図でもどの場所にあるかがわかりやすく、訪れやすい。
だがタゴのように成長してしまうと、店を訪れても話を聞くことは難しそうだ。
元村人がいる場所を確実に探したいのに、手段が一つ減ってしまった。上手くいきそうだと思っていたのだが、残念だ。
しょげる私に、ブンはニヤニヤと笑って見せる。

「それよりもっと良い店があるぜ。あいつなら絶対いるはずだ」
「絶対いる、ってどうして言い切れるのよ」
「人気のない店に行けばいいんだよ」

なぞなぞのようなブンの言葉に、私はピンと来ずに悩んでしまう。ブンはニヤニヤしたままだ。自信があるのだろう。
私はブンに答えを隠されたまま、行先不明のミステリーツアーに連れて行かれる。
ブンは自分のスマートフォンに、ニューデデベガスシティの地図をダウンロードしていたようで、地図を見ながら目的地へと歩いていく。私とカービィは彼と経路案内アプリに従った。
正解として訪れたのはファミリーレストランだった。

「いらっしゃーい……あっ、フームさんたち! カービィも!」

入ってすぐに私たちを出迎えたのはコックカワサキだった。

「答えはレストランカワサキでした」
「理屈はわかるけど、酷いなぞなぞね。カワサキが聞いたら悲しむわよ。それにしても、繁盛しているわね」
「この街に来る観光客って、味の好みは俺たちと違うのかな」

私はブンと小声で話し合った。レストランカワサキといえば、閑散としているのが常のはずだ。しかしこの店には大勢の客が席に着いている。
そして最も驚くべきことは、レストラン内に回転寿司のレールが敷かれていることだった。
ブンはスマートフォンでこの店を調べ、成程、と呟いた。街に一つしかないレストランカワサキでありながら、人気チェーンレストランのデデデ回転寿司本舗の本店だったのだった。
客は席に座ったまま回っている料理を取るか、タッチパネルで注文していた。食べ終わった皿は、専用の返却レーンに流せば、機械が自動的に回収し、値段を計算してくれるようだった。その金額に応じて、テーブルに設置されたカプセルマシンからカプセルトイが出る。子供が中に入ったオモチャに喜んでいる。

「フームさんたちも食べるでしょう? 奥へどうぞー」

カワサキに案内されて、私たちはテーブル席に通される。カービィは回っている寿司と料理を見て、やはり涎を垂らした。すいこみそうになるのを見越してブンが止めに入る。
私は店の変わりようについて店主に尋ねる。

「カワサキ、これはどういうこと?」
「陛下が店から料理からサービスまで全部用意してくれたんだ。俺の料理は不味いからね、はははー!」

カワサキは、あまりに長い間、不味い不味いと指摘されたせいでおかしくなったのか、全く気にせず開き直るようになっていた。
私たちとカービィが村にいない間に、皆に詰られたのかもしれない。カービィと一緒に定期的に訪れて応援していれば、悪化していなかったかもしれないと思うと、少し心が痛む。

「不味いって……。貴方の味が好きなヒトはどうなるのよ」
「ぽよ」
「オレの味がダメでも、オレの腕はあるよ。具材を切ったり並べたり、茹でたりするのはオレでもできるねー!」

カワサキは腕に力こぶを作ってみせる。
彼は前にも、サンドイッチを透けるまで薄切りにし、一デデンでデデデに売りつけたことがあった。手先は器用なのだろう。わからなくもないが、私はあまり感心しない。

「貴方はコックでしょう、本当に材料を切るだけでもいいの?」
「素材を料理して不味くなるなら、そのまま切って出した方がおいしいよ」

自ら身も蓋もないことを言うカワサキに、私は動揺する。以前のカワサキなら、少しは落ち込むところがあったのだが、ここまで開き直られると慰める必要もないのかもしれない。余計なお世話なのだろうか。
しかしブンはカワサキの言うことは当たりだと言う。

「もぐもぐ、これ確かにうまいよ。素材はすごく良い魚だし、カワサキの料理なのにパクパク食べられる」
「はむ、はむ。ぱぁよ!」

ブンとカービィは回ってきた寿司と料理を食べ始めていた。昼下がりだったし、おなかがすくのも無理もない。
ブンは私にハマチの寿司を取ってくれた。値段も見ずに取るなんて、と私はムッとしながら財布の中身を確認したくなったが、カワサキは、遠慮しないで、と言う。

「安心して。前と違って、寿司は全品百デデンポッキリよー」
「そうそう。うまくて安い! だから姉ちゃんも安心して食べようぜ。なっ、カービィ」
「ぽよー!」
「計算が楽で助かるよ。まあ、オレは計算しないで機械に任せてるんだけどね」

私は、全部デデデ任せで、努力をせず客を得たカワサキに怒ってしまう。何よりカワサキに、確実に心境の変化があったことに戸惑っていた。
今までの彼なら、努力を怠ることはあれど、ここまで合理的ではなかったはずだ。デデデの入れ知恵がどこまでされているのかが恐ろしくなる。

「開き直って儲けよう、楽して儲けようっていうのね、あのデデデと同じ、汚い発想よ!」
「でも、それでもお客さんに受け入れられて、チェーン店が立った。それに、オレ以外にも陛下に助けられて店を増やせるようになったヒトがいるよ。タゴ、ガング、ビブリ……皆、オレと同じだよ」

皆が陛下のおかげで儲かるようになって幸せねー、とカワサキは笑った。そしてこれまでに話を聞いてきたヒトたちと同じようなことを言う。

「オレ、適材適所って言葉を陛下から聞いたんだ。オレの料理は不味いから、味付けはアルバイトに任せきりよ。だけど調理の腕だけは認められて、店を続けられてるよ。やっぱり陛下はすごいなー、オレたちをみーんな助けてくれたし、こんな大都会に住まわせてくれたよー」

私はだんだん寒気がしてきた。エアコンの効かせすぎではないかと疑いたくなってくる。
カワサキに、考え直して欲しいとは思わないが、少しは踏み止まってくれないものだろうか。勿論、私の身勝手だが、見過ごすわけにはいかない。

「全部デデデのおかげだなんて聞いたら、貴方を育てたコックオオサカが悲しむわ。ナゴヤだって貴方の成長に期待をしていたライバルなのに」
「あっ、その辺はだいじょーぶ! この前、チェーン店ができた連絡をしたら、師匠もナゴヤも喜んでくれてね。そうそう、来月からは二人共この街に支店を出すって!」
「えっ、マジ? またオオサカの料理が食べられるの!?嬉しいなあ!」
「うみゃーぽよ!」
「すごいねー、ニューデデベガスシティは。本当にこの世の全てが集まる街だ。オレ、感動したよ!」

ブンとカワサキは、イエーイとハイタッチした。カービィもそれに混じりたがったので、二人は少し屈んでハイタッチをしてやった。
三人はとても嬉しそうだった。この街を肯定していた。
私は彼らのように上手く溶け込めない。私だけが取り残されている。何を見聞きしても戸惑ってしまっている。
それが悲しいとは思わないが、疑問として溢れ返る。私は俯いて考え込んでしまう。

「あれ、フームさん。顔、怖いよ。もしかして怒ってるの?それならオレの寿司、オレの料理を食べて。アルバイトの皆、頑張って手伝ってくれたよ。おいしいよ。周り、見て。お客さん、喜んで食べてくれてるよ。きっとフームも笑顔になれるよ」

私はカワサキの勧めてくれたように、他の客を見ることができなかった。ブンとカービィでさえも視界に入れたくなかった。私が変わらずに私のままであることを、否定してくるのではないかと思うと怖かった。
この街に、デデデに飲まれ、流れることができない重く沈んだ私は、皆からどのように見られているのだろう。

「添加物入ってないし、食中毒も当たらないよ。それとも、オレが捌いた寿司はどうせ不味いから、食べたくないの?」

ごめんなさい、食欲がないの。
私はそう答えるだけで精一杯だった。カワサキを見ることができない。顔を上げることができない。
食欲がないと言ったら、カービィがハマチを喜んで食べた。頬が落ちる程おいしいというように、ぽよぽよと感激していた。
三人の楽しい食卓が続いていた。私はどうしてもその輪に入ることができなかった。
ブンとカービィが満腹になり、会計を済ませ、レストランカワサキを後にする。
二人の機嫌は良かったが、私は対照的だった。ブンはそんな私を宥める。

「姉ちゃん、この村は変わったんだ。もうオレたちの知っているププビレッジじゃない」

仕方がないよ、というブンは諦観していた。
ブンは前々から、デデデの作った娯楽に便乗して興じるところがあったが、カービィ共々迷惑をかけられてきた内の一人でもある。デデデにどれだけ酷い目に遭わされてきたか知っているはずなのに、喉元を過ぎて熱さを忘れたらしい。

「ブンは、またデデデの勝手な行いに賛成するの? デデデの作った街が、私たちの村より優れているからって。カービィに対する罠かもしれないし、村の皆にも危害を加えるつもりかもしれないのに!」
「でも今のところは平和だ。罠ならとっくに魔獣と戦っているだろうけど、そんな気配もないし、皆がイタズラや悪政で苦しんでいるとも一言も言ってない。メリットしかないじゃん、村にいた頃よりはずっと良い街だぜ」
「あの執念深いデデデがカービィを易々と見逃すと思う?皆に何の対価も求めずに無条件に優しくすると思う?カービィを倒す隙を狙って、そのチャンスを作り出すために皆を洗脳させているに違いないわ。この街は全て、デデデにとって都合よく作られた街……そんなの正しくないじゃない!」

ブンは街に対して楽観視している。メリットがあるように見えるのは、あくまでも現時点での話だ。何かが起きてからでは遅い。私は事件を未然に防ぎたかった。
それなのにブンは、敵の本拠地に来ておいて、警戒もせずに甘い餌に釣られそうになっている。そしてそれを肯定している。真偽の分からない他人の意見を鵜呑みにして、だ。

「ああ、正しくないよ。でもさ、やっとちゃんとした店を持てたカワサキのあんなに嬉しそうな顔を見たら、それでも良いんじゃないかって思ったんだ。カワサキは嘘でも幸せに暮らしている。それに対して、俺たちは今まで何をしてきたと思う? デデデみたいにお膳立てすらせずに、もっと自分で努力しろ、って言い続けてきただけじゃないか」
「自分の力で立ち上がらなければ、それは本当の実力じゃない。何から何まで誰かに作ってもらったお店なんて、自分のお店じゃないでしょう。嘘で塗り固められた自分を褒められて、本当にそれで嬉しいの!? 嘘でも幸せに暮らせるならなんでもいいの!?」

ブンはゆっくりと、しかし大きく首を振った。ちがうよ、姉ちゃん、と小さな声を漏らす。

「誰もが皆、自分の足だけで立ち続けられるほど強くはないんだ。デデデの力にあやかることしかできない奴らもいるんだよ。正しさなんて、生きるためには選んでられないんだ」

ブンは私に背を向ける。肩を落とし、項垂れていた。そのまま私に振り返らないまま呟く。声に力がなくなって、泣きそうになって、どんどん小さくなっていくのがわかった。

「それにさ、大臣一家は村の皆を支えなきゃ、守らなきゃいけない立場なのに、何ヵ月も国を離れていた俺たちが、今更皆を責める権利なんてないよ」

私は喉がギュッと痛くなった。首が締まったように息ができなくなる。そのままグッと飲み込むしかなかった。飲み込んだ空気が苦くて重くてたまらない。
ブンは振り切るように素早く首を左右に振る。カービィの手を乱暴に繋いだ。

「ぶん?」

私とブンの言い争いを静かに見続けていたカービィは、自分の手に触れたブンを心配そうに見上げている。
カービィを安心させるように、ブンは明るく話す。

「ごめん、姉ちゃん。俺、カービィとデデデーランドで遊んでくる」

突然の言葉に、私は手を伸ばせなかった。待って、と言うべきなのに声が出てこない。たった三文字なのに、ちゃんと伝えることができない。空気だけが口から出て行った。
ブンは振り返らないまま、力強く一歩一歩、歩き出す。

「カービィはまだ小さいから、この街の歪みなんて知らない。知らなくていい。だから平和なうちに今を楽しんだらいい。遊園地とか大観覧車とかいろんなところに連れて行きたい。ほら、星の戦士って戦いばかりだからさ、たまには良い思いさせてやりたいんだ。例えそれが、一時の嘘でもな」

ブンは、何かあったらすぐ電話するから、と言い残し、カービィの手を引いていく。
カービィは私が気がかりなのか、何度も何度も振り返った。ふうむ、ふうむ、と私を呼ぶ声が徐々に離れて遠くなっていく。
私は弟たちを追いかけられない。私の醜い正義感が、追いかけるのを邪魔していた。


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