・R-18G。グロテスクな表現有り。
・『あなたに愛される』サンプル。
・静雄×臨也。
・どんなに怪我をしても翌日には完治してしまう力をかけられた臨也が、
臨也を殺そうとしながらも興奮してしまう静雄に監禁され同棲する話。
※切断、臓器摘出などグロテスクな表現、猟奇的な表現がございます。ご注意下さい。
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【1】
整えられた爪は、虚しく路地裏の壁を引掻いた。踵も壁にぶつかった。空は青い。しかしとても遠い。自分がいかにパルクールを使いこなせていたとしても、常人で有る限り、ここから脱出するのは不可能だ。それこそ目の前に対峙する化け物でもなければ……いや、彼にしても高いビルとビルの間は抜け出せないかもしれない。
「ああー、ええと、あれだろ?こういう時は、チェック……チェック……チェックアウト?」
「メイト」
「そうだ、チェックメイト。チェックメイトだ、ノミ蟲」
馴れない言葉をかっこつけて吐き出そうったって無駄だとからかいたくなる余裕は、今の折原臨也には残されておらず、ナイフを握る手に汗をかくことしかできない。対して少々頭が足りていない平和島静雄は、なかなか出てこなかった難しい横文字を思い出すことができてすっきりとした笑顔で臨也を見ている。折れた標識の根元を突きつけながら。
「手前、追い詰められるとそんな顔もできるんだな。笑ってる以外の顔なんて初めて見た」
「能有る鷹は爪を隠すって言うだろ?笑みを隠すのも賢い人間のすることなんだよ、化け物シズちゃん」
「その名前で呼ぶなって言ってんだろ!」
静雄は標識を振り上げ、臨也の頭に勢いよく振り下ろそうとして……やめた。標識を握るのをやめたせいで、標識はガシャンとうるさく地に落ちた。その一瞬の間に、臨也の口角が釣りあがる。隙を見つけた。足を踏み出す。しかし臨也の体は前進することはなかった。正確に言えば、体のごく一部を除いて前進していた。その一部とは、鳩尾。一呼吸置いて、臨也の腹に衝撃が走った。背中から壁に叩きつけられる。化け物の拳が人間の腹にめり込んでいた、ただそれだけで臨也は悲鳴を上げる間もなく冷たいコンクリートに伏した。
日本の古い住宅は天井が低い。事務所兼自宅のものよりずっと低い天井を見上げていた臨也は、その古さと微かに鼻に残る黴臭さを嗅ぎ取った。それだけではない。これは血の匂いだ。臨也は体を起こす。床は畳だ。その上に血溜まりが広がっている。ファーコートの裾が血を吸っていた。固まってはいない、まだ古くない血。
臨也は部屋を見渡した。生活感のある部屋だ。アパートの一室だろうか。布団がある。その上には人が寝た痕の残る毛布。窓に面していない壁には襖がある。その押入れの襖の隙間から白いシャツの袖が飛び出している。きっと洗濯したまま放置された、シワだらけのシャツだろう。白いシャツを着る人間は臨也の頭の中の名簿には何人もいた。これだけでは誰の部屋だとも言い当てることはできなかった。が、そこまで考えてやっと臨也は眠りに着く前のことを思い出した。
池袋にて顧客相手に八面六臂の大活躍をしていた帰りに、平和島静雄に追いかけられ、自分としたことが路地裏にまで追い詰められ、鳩尾を殴られた。眠ったのではなく、気絶したのだ。そして起きてみれば、小さな和室だ。それならば、この小さな部屋に住む身の回りの人間は一人しか思いつかない。
臨也は今のうちに逃げようと、窓を開けて、狭いベランダから身を乗り出そうとした。背後で部屋を繋ぐ襖が開いた。臨也の耳を何かが掠めた。ひん曲がったフライ返しが壁に突き刺さった。
「どういうことなんだ」
「生存本能を優先して君の部屋から逃げ出すのはそんなに罪かなあ」
「なんで治ってやがる」
寝起きで髪を爆発させたままの静雄は臨也を見て驚いていた。自分が付けたはずの暴力の痕が、臨也の顔から綺麗さっぱり消えているのだ。静雄はまだ眠い目を擦った。しかし、ぽかんとする臨也の顔にはやっぱり傷一つない白い皮膚が張り付いているだけだった。
静雄はドスドスと足を踏み鳴らしながら臨也に近づくと、黒い頭髪を掴む。
「ちょ、ちょっといきなり何するんだよ!減っちゃうじゃないか!」
臨也の頬を引っ張る。
「いひゃい、いひゃい!人の頬で夢かどうかを確かめるな!」
痛みで頬を赤く染めた臨也を、静雄は困った表情で見つめていた。おかしいな、昨日こいつの頬の肉を、青黒くなるまで殴ったはずなんだが。臨也の言うとおり、夢だったのだろうか。
静雄は手を離し、やっと解放された臨也は静雄に、自分だって痛みが消えた理由が分からないと言う。
「昨日殴られたおなか、全然痛くないよ。もしかして手加減してくれた?」
「昨日の俺は本気だった」
「打ち所を間違えた?あ、俺としては打ち所が良かったって言うべきなんだけど。あとは本気度が足りなかったか」
そう返されて静雄は考えこんでしまう。昨日、静雄は気絶した臨也を持ち帰って、自宅でボコボコにして殺したはずだったのだが。できるだけ臨也が生き残れないように、丁寧に殺したつもりだった。流石に意図して人を殺すのは初めてだったから、やり方を間違えたのかもしれない。殺人に模範などないが、静雄は自分がしたことは間違っていたのか、と思うことにした。なお、静雄は殺人未遂をしたことを間違っていたとは思っていない。
静雄が珍しく頭を回転させていると、臨也はベランダに近づいて足を掛けた。
「なんでもいいけど、俺は帰るから。結果的に救われた命は有難く永らえさせてもらうよ。これ以上、君と同じ部屋にいるのも嫌だしね」
間違えてしまったのなら、正しい答えを出さなければならない。小学生だって問題で答えを求めなおせるのだから、自分もそうしよう。静雄は臨也の足を掴んだ。
「待てよ」
「待たないよ。離して」
臨也は言葉にしても無駄なことを知っていたので、静雄の手にナイフを突き立てたが、残念ながらナイフは自慢の刃を零すだけだった。静雄は足を掴む手に力を込めつつ、もう片方の手を丸めた。血管が浮く。
「昨日は初めてのことで動揺してただけだ。だから今日はリベンジ、徹底的に殺してやる」
臨也は静雄にこめかみを殴られてからの記憶はない。
寝起きのピントが定まらない目で、古い木製の天井を見上げている。暫く続けていると、梁を数えられるまで回復した。頭の中はすっきりとしている。臨也はむくりと畳から起き上がる。その指に血が触れる。驚いて血溜まりから手を引く。ぬるりとした感触が指を伝って手の甲に赤い筋を作った。昨日と似たような起床。デジャヴのようにも感じる。
さて、昨日と同じ場所に倒れていたのだから、家主に気付かれるのは時間の問題だろう。臨也は今度こそ逃げ出そうと、閉められた窓を開ける。その瞬間、窓に包丁が刺さった。
「やあ、おはよう」
「おはよう。ってなんでだよ」
渇いた血の付いた体育着を着ている静雄は、元気そうな臨也を逃がさなかった。
「高校時代の体育着、まだそんなの持ってたんだ。って、それ、あんまり見たくないもので汚れているのは何故?」
「徹底的にやったつもりだぞ?腹とか、喉とか、あと……」
「それ本人の前で言っちゃう?流石に人としてどうかと思うんだけど」
「悪かった」
死人を冒涜するなと言われ、静雄は素直に謝る。しかし臨也は死んでいなかった。昨日、静雄が口に出すのも恐ろしい殺害をしたというのにも関らず、ピンピンしている。
臨也は包丁の刺さった窓を開けると、いよいよベランダに出た。
「とりあえず、もう一回拾った命なんだ、俺は本当に帰るよ」
静雄は、ノミ蟲もいちいち宣言しなければいいのに、と臨也の腕を掴みながら思う。
「なんで掴んでるの」
「一度は獲られた獲物なんだから、大人しくまな板の上の鯉になるべきだ」
臨也は慌てて身を捩った。強すぎる握力に腕の骨まで痛めつけられる。
「い、いやだよ!鯉だって逃げれるものなら逃げたいよ!あと俺は鯉より大トロの方が嬉しい!」
「うるせえ」
「俺は大トロラブなんだってば」
言い切る前に臨也の首筋に、静雄は手刀を作って叩いた。臨也は意識を手放した。
こうやって畳に寝転がるのも、もう三回目だ。臨也は天井のシミの形がネコの顔に似ていると笑いながら、ゆっくりと起き上がる。部屋は血生臭い。自分が出したであろう血に触れないように気をつける。ベランダから逃げようとしても無駄ならば、今回は正攻法で逃げるとしよう。隙を見つけて玄関から逃げ出すのだ。
臨也が隣の部屋へと続く襖を開けると同時に、先程とは打って変わって良い匂いが部屋中に立ち込めていた。奥のキッチンから静雄がフライパンを持ってやってくる。中身が入っているから、投げつけられる心配はなかった。
「あっ、おいしそう」
卵焼きだ。臨也が素直に反応すると、静雄は少し考えこんで、食うか、と尋ねる。何故生きているのかとは尋ねなかった。予想していた通りだったからだ。
「いただきまーす」
卵焼きのひと欠片を口に含んだ臨也は、はふはふと熱がりながらも美味しそうに咀嚼する。静雄は今度こそと思って本気を出して徹底的に臨也を痛めつけて殺害したのだが、今の臨也はとても昨晩まで死体だったとは思えなかった。
「おいしいね、シズちゃん料理上手なんだ」
フライパンから残りの卵焼きを取り皿に移す。空になったフライパンで臨也の顔面を殴れば、焼き痕を付けながら潰すことができて一石二鳥だと思ったが、腹が減っては戦ができない。フライパンはそのまま鍋敷きに着地することになった。
静雄が受け答えをしないことについて、臨也は、照れてるんだ、と勝手な推測をして述べている。静雄は臨也を今日はどんな風に料理してやろうかと考えている真っ最中だというのに。それを分かっているのだろう、臨也は朝食を取り始めた静雄におずおずと聞きだした。
「ねえ、今日も……だよね?」
「絞め殺す」
「ですよねー」
味噌汁を啜る前に即答する。臨也は苦笑しながら肩をすくめた。こいつも朝食を取りたいのだろうが、死人にそこまでしてやる義務はないと静雄は情けをかけなかった。
「今日こそ息の根を止めてやる。絶対に、だ。殺してから仕事に行く」
そして静雄は椅子から立ち上がって、素早く臨也に近付いて腹を殴る。
「おっと」
避けられる。避けるな、と静雄が怒鳴るが、同じ手には乗らないと臨也は廊下を走って逃げ出した。こうなってしまっては仕方がない。静雄はフライパンを臨也の頭に投げつける。後頭部に見事に命中する。臨也が玄関の扉に頭から突っ込みながら倒れこんだ。静雄は、ぴくりとも動かない臨也の髪を引っ張って、さてどうやって甚振ろうかと思案したが、腕時計の針はもうすぐ八時を指そうとしていた。仕事に出かける時間だった。静雄は、臨也にトドメを刺している余裕がないことを不満に思いながらも部屋に戻って食器を片付けると、急いで家を飛び出した。
臨也が再び起きたのは十五時だった。昼間だが、ここ数日より早い目覚めである。倒れていた場所は廊下だった。血はどこにもなかった。どうやらこれまでよりは手加減されたらしい。しかし倒れる前に後頭部に覚えた感触は金属のものだった。あの時、食卓に並べられていた中での一番の凶器はフライパンだった。フライパンを投げつけるなんて非人道的だ、と臨也は思ったが、よく考えてみれば自動販売機や標識を振り回すような怪物だ、今更フライパン如きで驚く必要などなかった。
臨也は念のため、あたりを見回した。人の気配はなかった。月曜日のこの時間だから、静雄は仕事だろう。外に逃げるなら今がチャンスだ。
アパートから出た臨也は新宿に帰る前に寄り道をすることにした。自分の身に関る不可解なことを尋ねるには闇医者のところへ行くのが手っ取り早いだろう。
岸谷新羅とその恋人、セルティ・ストゥルルソンが住むマンションのインターホンを押す。家主は渋い顔で臨也を部屋へ入れた。
「僕とセルティの甘い時間を壊しに、いつかは来ると思っていたから驚きもしないけどね」
「やっぱり運び屋が一枚噛んでたか」
どんな攻撃を受けても傷が回復するという、いかにもな超常現象を起こせるのは、妖精や妖刀やらの人間でない者の能力の一つだろう。しかし痛みは消えないし、攻撃を受けた直後にすぐ再生するわけではない。現に今までに四回も気絶させられているのだ。その内三回は翌朝まで目を覚ますことができなかった。それでも平和島静雄の攻撃を受けても丸一日寝ていれば無傷で起き上がれるのは限りなく不可能に近いのだ。臨也としては、この状態を利用させてもらう他はなかった。
「この件に関しては運び屋、どうも有難う」
貼り付けていない素の笑顔をセルティに向けるが、セルティは俯いて溜息をつき、新羅と同じく渋々とPDAに文字を打ち込んでいく。
『静雄が気絶したお前を連れ帰ろうとしている時に、私とすれ違っていなければ、今頃お前は墓の中だったんだぞ』
「でも君がご親切にしてくれたことには変わりはない。俺はその親切心を有難く受け取るだけだよ。それに運び屋だって、牢屋に入った友達と面会したくないだろう?」
『日本が無法地帯だったならなあ』
そもそも、と臨也は続ける。長い語りが始まる。
「そもそも、俺たちの喧嘩って全然フェアじゃないんだよ。シズちゃんはあの通り怪力だし、皮膚が鉄板より硬いけど、俺は眉目秀麗で賢かったとしても結局は普通の生身の人間。俺もたまにはこういう超再生ってオプションが付いてもいいと思うんだよね。ああ、安心してよ。本当の本気で殺し合いをする時には此方から返上させてもらうからさ。いつまでも化け物じみた体でいるのは嫌だし。だから少しの間だけ楽しませてもらうだけ」
「殺されて楽しむとは、随分驚天動地な遊びだね。マゾヒストもビックリだ」
『もう好きにしろ……』
セルティが咎めるのを諦めたのを確認すると、臨也は廊下をスキップしながら、帰宅しようと玄関のドアに手をかけた。が、ドアは臨也の顔を思い切り潰した。眉目秀麗が台無しになる。
「臭ぇ臭ぇと思ったら、ここか、ノミ蟲!こんなところまで脱走しやがって」
静雄がドアを蹴破ったせいで、臨也は外れたドアと床に挟まれることとなった。床に血が飛び散っている。
「掃除代、静雄くんが払ってよね」
「ああ?こいつの血はこいつの物だろ。だからノミ蟲に払わせろよ」
「でも臨也は君の獲物だろう」
「蟲なんてペットじゃねえよ。知るか、んなもん」
ぴくりとも動かず本日二度目の失神をした臨也を、静雄は荷物を抱えるように乱暴に担ぐ。新羅が止める間もなく、血まみれのドアを放置して彼は去った。残された新羅とセルティは顔を見合わせて溜息を吐く。そして全く同じタイミングで顔を見合わせられて幸せだと抱きつこうとした新羅を、セルティはドアと同じように蹴飛ばしたのであった。
「起きろ、メシできたぞ」
脇腹に衝撃を与えられて臨也は目が覚めた。静雄に起こされたことはすぐに分かった。あの卵焼きの匂いもする。
「ううん……おはよう、今何時?」
「七時」
「もうちょっと寝かせて」
「あとでまたたっぷり永眠させてやるから、さっさと食え。食わないなら何度生き返ろうと二度とメシ出さないからな」
「けち」
そうか、昨日はドアに頭ごとぶつけられて失神したのだっけ。前回までの記憶を漁ることにももう慣れてしまった自分がいることに臨也は苦笑しつつ、物騒なことを言う静雄の料理を食すことにする。献立は昨日と同じ、卵焼きと味噌汁と白米だった。静雄の作る卵焼きは砂糖がたっぷり入っている。昨日は一口食べただけだったが、並べられた三切れを全て咀嚼し終える頃には臨也の口の中は甘ったるくなりすぎていた。それでも静雄がわざわざ朝食を作っていてくれたことに感謝する。
「シズちゃん意外と優しいんだね」
「もうすぐ死ぬんだから冥土の土産くらいにはしてやろうかと」
「それもそうか」
ははは、と笑うが、食卓にはフライパンがある。静雄はさらりと言っているが、冗談ではないだろう。臨也はフライパンをはじめとする、部屋の中にある凶器と成りうるものから目を離すことはできなかった。しかし静雄は黙々と白米を食べているだけだった。どうやら食事の席では荒事を起こすつもりはないらしい。それどころか世間話をするかのように、静雄は至って普通に口を開いた。
「そういえば手前、超再生とかいう影の力とかなんとか、セルティからかけられてるんだってな。メールで聞いた」
「運び屋がバラしたか」
静雄は、バラした、という言い方には肯定できないようであったが、頷いた。だからなんだ、と臨也が身構えていると、静雄は臨也にとって全く別のベクトルから口撃を仕掛けてきたのである。
「だから手前、明日からメシ作れよ」
臨也は口を大きく開けて固まる。箸から豆腐がつるりと滑り落ちて、味噌汁の中に戻っていった。この化け物は一体何を言い出すのだろうか。元々イカれている頭が、さらにイカれたか。怒ってばかりいるから血管が切れて血液が足りないのだろうか。臨也の優秀な頭はその言葉を処理することができなかった。
「寝て起きて寝てるだけだろうが。居候するくらいなんだったら、それくらいしろ」
「そ、そりゃそうかもしれないけど、なんで俺が君の家で、このままボコボコにされる前提であるわけ?俺には超再生があるんだよ。君だって毎朝分かっていただろ、まだ諦めないの?」
「セルティの力だって無限じゃないだろうし、いくら超再生と言っても根気よくやればいつかは殺せるだろ。だから俺が手前を殺すまで、手前は俺のサンドバッグで奴隷だ。いいな」
そんな横暴な。臨也は抗議しようとしたが、しても無駄なことは分かりきっていた。自分がどのようにして殺されているかなんて気分が悪くなるので詳しく聞いていないが、確かに静雄は臨也を気絶させた後にしつこく暴行を加えて殺害に至ろうとしていたらしかった。臨也はもう既にサンドバッグなのである。
元々憎くて憎くて仕方のなかった間柄だ。殺そうと思えば食事中でも殺せるのだ。犬猿の仲が一緒に食事をすること自体、奇跡に近いし、物理的にも近いため、この距離では静雄に拳を突き出されても臨也は避けきれる自信がなかった。それよりも今は、もうじき訪れるであろう本日分の殺害への時間を延ばして、なんとかして隙を見つけてここから逃げ出すことの方が重要だろう。ここは大人しく従うふりをするしかない。
「嫌と言ったら気絶させられるんでしょ?」
「頭だけはいいんだよな」
「ああ、もう、わかりましたよ!やればいいんでしょ、やれば」
今度は静雄が箸から油揚げを味噌汁に落とす番だった。マジで飲みやがった、とポカンとしている。ムッとする臨也に静雄はぼそぼそと小さい声で言った。
「いや、てっきり抵抗するか逃げるかと思ったんだけどよ……勿論、抵抗するなら殺すし、逃がさねえけど」
タイミングを逃しただろうか。臨也は少し後悔した。
だが今更新宿に帰ったところでどうなる。昨日新羅のマンションに向かうまでに仕事用のケータイをチェックしたが大量の着信履歴や新着メールが溜まっていた。仕方がないとはいえ時間を空けすぎた。仕事に支障が出ないわけがない。秘書はとっくに逃げ出したようだし、事務所に戻ったところで仕事を捌き切るより事務所を逃げ出さなくてはいけないかもしれない。顧客の中には我儘な子供のように、自分の注文が通らないと人の命まで奪おうとする輩もいるのである。どちらにせよ、大人しくしている方が得策だろう。
「ここに来てもう四日、こんなに時間が経っちゃったら情報なんてゴミクズだよ。役に立つわけないじゃないか。倒産だよ、倒産」
「おお、池袋と日本の平和が保たれたのか!」
「俺だけが世界の悪者みたいに言わないでよ」
こうなってしまえば、不本意だが静雄のサンドバッグになりながら、隙を見て逃げ出す時を待つしかない。それに静雄の近くにいることで、相手の新たな弱味を盗めるかもしれない。幸か不幸か、今の臨也は痛みはあるがどんなに傷を付けられても翌日には治ってしまう体質なのだ。リスクはあるが、見合った情報も得られる可能性が高い。また事務所や隠れ家ではなく宿敵の家にいれば、厄介なクレーマーたちの襲撃を避けられるかもしれないのである。考えようによっては、この状況を利用できないこともないのだった。
「ふん、だ。いつか絶対復讐してやる」
「生き残れればな」
臨也は景気付けに酒ではなく味噌汁を煽った。舌を火傷した。静雄は、塗り薬は家にないし暫くすれば治るだろう、と猫舌な臨也が涙目になって慌てる姿を黙って見ていた。
【2】
臨也が静雄の家に暴力的に監禁されるようになって一週間が経った。一日中、アパートに閉じ込めて家事をさせている静雄だが、意外にも自分から殺しにかかることは少なかった。目に入った瞬間に殴りつけたり、仕事から帰ってくるなり飛び蹴りしてきたり、積極的に攻撃するかと思いきや、日中から夕方にかけては特に何もしないのである。黙っておいておけば自動的に掃除や料理を作る、便利な機械だと思って放置しているのだろう。あくまでも臨也が生意気な口を閉ざしていればの話だが。
臨也が風呂から上がる。先に静雄に一番風呂を夕飯の前に入られてしまっていたので、少しぬるめの湯だった。自宅より狭いアパートの風呂はユニットバスなので臨也にとって使い心地は良いとはいえない。しかしその環境にも慣れてきてしまっている自分がいた。
肩にタオルをかけたままの臨也は、バラエティ番組をつまらなさそうに見ている静雄の足元に、ちょこんと座る。普段の静雄は特に怒らないので、臨也はちょっとしたちょっかいをしかけていたりする。今回の静雄は足元に体育座りをする臨也を一瞥しただけだった。池袋で絶対に関ってはいけない危険人物と揶揄される人物たちが、こうして隣同士に座っているのを第三者が見たら、地球が滅亡すると大騒ぎするだろう。
ふと、何か思いついたらしい静雄は、いいこと考えた、と呟いた。どうかした、と臨也が返す。
「俺、いつも普通に殴りかかって手前が気絶したのを確認してからボコってたんだけどよ」
「またその話?聞きたくないんだけど」
「嫌がらせしてんだよ」
「ああ、そうでしたっけね。それで?」
「こうすればもっと嫌がらせできるかなって……」
静雄は臨也の腰骨の辺りを抱えると、自分の広げた足の間に座らせてしまう。そして臨也の爪先に触れて、まるで爪を切るかのように自然な手つきで、そっと優しく臨也の足の爪を剥がした。完全にリラックスしていた臨也は逃れる間どころか身構えることすらできずに、その痛みを受けてしまうのだった。臨也は痛みに叫んでしまう。のたうち回って、静雄の足の間を抜け出して床に転がる。体を曲げたり伸ばしたりしながら、必死に痛みを我慢していた。静雄ははじめて臨也の叫び声を聞いて、なんだ、こいつにも人並みの痛覚があるのかと思った。静雄は臨也が叫ぶ姿など想像が付かなかったのだ。はじめてみる姿に、静雄は動物園の企画展で珍獣を見ているかのように物珍しそうに、爪先を抑えて苦しむ臨也を見ていた。
「痛がってる」
当たり前の感想を告げる静雄を、臨也は、きっと鋭い目で睨む。
「こんなの、殺すのに関係ないじゃないか」
「だから言ってんだろ、嫌がらせしてんだよ。これからはこうして毎日、記憶のある状態でボコってから殺してやろうと思って」
「悪趣味……!」
臨也は唇を噛む。その瞳には憎悪しかない。しかし爪の痛みが引かないため、足を押さえたまま丸くなっていることしかできないのだが。そんな姿に静雄はもう少しイタズラしてやろうと思い、無理矢理足首を掴む。臨也が暴れる。
「こんなことして本当にいいと思ってるの」
ぎゃあぎゃあ喚きながら臨也は痛いはずの左足をひねって、静雄の手から抜け出そうともがいている。しかし静雄にとって臨也の努力はイワシがクジラから逃げようとしているようなものだった。もう一枚、と爪を捲る。白い形の良い爪が真っ赤に染まりながらカーペットの上に落ちた。臨也は前以上に絶叫する。体中をじたばたと動かして痛みを外へ押しやろうと、遠ざけようと、できるはずのないことに挑戦していた。静雄はだんだんうるさくなって、暴れる臨也の鳩尾を殴る。ぐえっ、ととても青空から振ってきたとは思えないみっともない声を上げて、臨也は大人しくなった。
この続きは、二次創作同人サークル『東京ノクチルカ』の発行する同人誌、
『あなたに愛される』でご覧いただけます。
詳細は『東京ノクチルカ』のサイトをご覧下さい。
2014.09.25
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