Route FIRST LOVE

   ・来神静雄←来神臨也。
.
.
.

ああ、残念だ。実に残念だ。すこぶる残念だ!!

「セルティと来れない!!なんて!!」

今週に入ってからもう何百回も聞いた台詞を、岸谷新羅は胸の底から吐き出した。
もう悔しい、悔しい、悔しい!、と一頻りじたばたした新羅は安っぽいビニールシートに座って読書に耽る門田京平に一瞥された。

「何だい、京平、その目は!僕を哀れんでるつもりなのかい!?ふふふ、哀れに思わずとも僕くらいになると恋人の水着姿くらい砂浜に投影できるのさ!見てよ!セルティの素晴らしいこのボディ!!」
「お前痛いぞ」

恋人と離れ離れになることで気が狂ってしまった友人に他人から見た冷ややかな視線を具現化させ、言葉にして投げた門田は再び文字の羅列を追う。現実を確認せざるを得なくなった新羅は、がっくりと肩を落とした後、彼女の名を呟きながら溜め息をついた。

「こんな修学旅行に僕ほど不幸せな人間がいるだろうか?」

いや、いない、と反語を返されるかと思っていたが意外な言葉を耳にした。

「どうだかな」

何故、と首を傾げた新羅だが門田はあまり多くを語らない人物なのでその答えは返って来ない。燦々と降り注ぐ真夏の太陽を遮るパラソルが落とす影は思っているより暗く、彼の表情を認識するのに一瞬戸惑った。
新羅は視界を変えた。
煌めく海。眩しい白浜。浅瀬では同級生たちが、きゃっきゃと水を掛け合っている。バナナボートに乗った男子生徒がひっくり返って水飛沫を上げた。それを眺めていた女子生徒はけらけら笑っている。友達の姿はない。
それもそうだ。先程着替える時だって日焼け止めを塗っていた彼が、紫外線の塊に飛び出すわけがなかった。きっと何処かで人間観察でもしているのだろう。例えば、海の家辺りで。
思い付き、海の家を振り返る。その途中で黒色のパーカーが目に入った。
見るからに暑そうな臨也が――彼なりの日焼け対策なのだろうが――、じっとしゃがみこんでいる。





腰が痛くなってきた。現代人はしゃがむのは得意ではないのだ。
臨也は砂を凝視していた。中途半端に履いたビーチサンダルが、足裏が鉄板と錯覚するレベルまできている。大分長い間この体勢をしていたようである。
この辺りには目当てのものはもう無いようだった。諦めて立ち上がる。パーカーのポケットがはちきれそうだ。
フードを整え直すと臨也は海の家より先にある、入江を目指した。
足が熱い。髪の毛先から汗も垂れた。





入江と言うには大きさ不足なその場所は、波で削り取られた岩に囲われていた。中央は人が四、五人程横になれるスペースしかなかった。
その一番奥に、彼は横になっていた。近寄る際、最も裸足が熱くなった。きっと長い間直射日光に当たった砂浜を歩いていたからに違いない。
臨也は声を掛けようか掛けまいか十二分に迷って、掛けるのを止めた。別に見とれていたわけではない。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。
その生徒……平和島静雄は、水着姿のまま横になっていた。本当は海で遊びたかったのかもしれないが、遠慮している――実に哀れなことに彼は誰もが恐れる破壊神なのだ――のだろう、離れた場所で日向ぼっこを楽しんでいるようだ。第一、名前の通り大人しくしているのを好む性質なのだ。苦ではないのかもしれない。
大柄に見えていた体躯は実は細かったのだと初めて知った。締まった筋肉質の身体は毎日の喧嘩によって育てられたのだろうか。傷が一つも無いのは彼が自動喧嘩人形と呼ばれる理由になっている。
色素が薄いわけでもないのに、何処で買ったのか、サングラスを掛けている静雄はいつもとは違う空気を流していた。そんな格好付けるタイプでもない癖に、案外似合う、と臨也は思った。
臨也は眠っている静雄の隣に腰を下ろした。来た道と変わりない白い砂は太陽光を跳ね返して止まない。
握り締めた拳を解く。優しい桜色。その淡い塊をそっと、眠る静雄の手の上に乗せた。
その際に掠めた手が震えた。臨也の綺麗な指先は、まことしやかに甘さを訴えていた。
ナイフを翳すことは容易なのに、いざほんの少し触れてしまうとこれだ。血液が止まりそうになって、体中が熱くなる。
静雄の手に乗せると臨也は起こさぬようにと、ゆっくり静雄の指を折り込んだ。そうして自らの両手で拳を包み込む。
額の汗が顎を伝って落ちた。
ああ、やってしまった。
罪こそ無いが此ほど動揺したこともなかった。それくらいだ。
臨也は暑さのために顔を真っ赤にすると、そっと立ち上がる。眠る静雄はそのままにして、何事もなかった、何もしなかった様に入江を出る。海の家で何か飲もう、脱水症状になりかけている……。今日の静雄は大人しい。このまま寝ていてほしい。

「何処行きやがる、臨也くんよ」

どきりと心臓が跳ねた。後ろを振り返りたくない。しかし気付けば振り向いていた。
彼がゆっくり起き上がる。サングラスの奥は、よく見えない。いつもよりギラギラした金髪は太陽のせいだ。

「人が気持ち良く寝てる時によぉ……何やってたんだ、ああ!?死ね!殺す!」

全力で威嚇した彼は戦神をも退けるだろう。臨也に向かって右腕を振り上げた。
やはり思った通りだ。彼は何も変わらない。此方が変わっても彼は変わらないのだ。何をしても暴力を振る……。それはそうか、だって自分は彼のこの世で一番憎い相手だから。もしこの顔、この体でなかったら彼はどうしていただろうか。もっと優しくしてくれるのか、それとも、何も変わらねえ、殺す、だろうか。
この距離では絶対に避けきれない。臨也は歯を食いしばった。





静雄はぴたりと右腕を止めていた。こんな絶好のチャンスなのに、何故。
照準の獲物は、小柄な身体を奮わせて口を引き結んでいた。確かに憎たらしいあの臨也なのに今回は違った。ただの弱々しい生き物だった。
静雄は戸惑った。弱いもの苛めは好きではないのだ。それに本当は誰も傷つけたくないのだ。
短くも長い時間が過ぎた。臨也は未だに身体を奮わせて、そして恐る恐る静雄を見上げた。声に出さずとも唇が、シズちゃん、と紡いでいたのは間違いない。

「臨也」

呼応するように息を吐く。耳に自分の言葉が張り付いていた。内容はわからない。何かを発音したつもりはなかったのだが……無意識だろうか。
すると臨也は背を向けて一目散に逃げ出した。





臨也は全力で走り続けた。サンダルが脱げて、足がもつれて、転びそうになる。フードが落ちて髪が乱れる。それでも走った。例え静雄が追って来ようと、来まいと走った。潮風が顔面を洗い晒してべた付かせる。涙が出るのはきっとそのせいだ。

「なんだよ、嘘吐き」

記憶の一片に悪態を吐く。
誰だ、桜貝を見つけると初恋が叶う、だなんて言い出した奴は。
全然叶わないじゃないか!
バカ!嘘吐き!!
これは悔し涙ではない。潮風のせいだ。そうに決まっている。





静雄は振り上げた腕を下ろした。標的が居なくなって手持ち無沙汰になったのだ。
臨也の姿は小さくなっていった。このビーチはなんて広いのだろう。
ふと、足元に目が留まった。何かが反射して輝いている。ガラスだろうか。
桜貝だ。小さなものから割れたものまで。整ったものと歪なものが、玉石混交、一列に連なっていた。
ここでやっと、静雄は左手の違和感を認識した。硬い何かを握っている。
形の整った、色合いの良い、桜貝だった。
この桜貝も、散らばった桜貝も全て彼の仕業だったのだ。そう思うとこの貝殻を潰したくなる……気がしたのだが何故だろうか、手に力が入らなかった。
見ていると道標を辿りたくなった。桃色が延々と続いている。
けれども、それを追い掛けたらもう二度と此処には戻れない気がして、静雄は桜貝を握り締めて、ぼうっと立ち尽くしていた。





新羅の目の前を臨也が横切った。ビーチサンダルも履かずに走る姿はとても頼りない。まるで親鳥を見失った雛のように、辺りが盲目のようだった。
そのくせ皮肉なことに、パーカーのポケットからは絶えず小さな煌めきが零れ落ちて、道を作る。

「成程ね……」

新羅は自分が如何に幸せ者であるかを実感した。
このビーチには、告白をして叶う人間もいれば叶わない人間もいるのだ。そして最も不幸なことは、最も嫌いな人間に恋をしてしまった人間がいることだ。
そうなれば誰も救えない。
どんなまじないがあったとしても、ただ見ていることしか出来ないのだ。

「このビーチは広いねぇ」

そうだな、と門田は頷いた。




   学生の頃、修学旅行で沖縄に行った時に聞いた話。初恋が叶うんだそうですね。
   シズちゃんは回りくどい告白なんて理解してないでしょう。
   でも左手の桜貝が一番のお土産になるんですよね!。

   2011.10.09
   2012.11.12修正
   http://h1wkrb6.xxxxxxxx.jp/