マジックミラー

   ・マジックミラー 前編(全2編)。
   ・四角関係。
   ・乙女思考日々也。
   ・カバージャケッツをメイン(デリック、日々也)にシズイザを挟み込み。
   ※このカバージャケッツはパソコンのソフトウェア扱いです。
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うわっ!!
……一度に沢山のキーが押され大量の情報量が押し付けられたのでよろけてしまった。臨也さんが怒って、両手でキーボードを叩いたのだ。

「だからね、言ってるでしょ?ディスク入れただけじゃダメなんだよ。インストールし終わらなきゃ始まらないの!だから気長に待て!」

さっきからヘッドセッドに向かって怒鳴り散らしている。ケータイではなく、このパソコンで誰かと電話をしているようだった。円に似た水色のマークの中に、Sの字が書かれたソフトを起動させていた。こんなことがもう何度も続いているので、俺は心配になって主に尋ねた。

『臨也さん、どうしてそんなに怒ってんすか』
「どうもこうもないよ!ああ、これだから情弱は嫌だ」

情弱とは情報弱者という意味のネットスラングだ。

『その、ジョウジャクがどうかしたんですか』

臨也さんは気だるそうにボソボソと口を開く。

「ディスクを渡してきたんだ。俺が作ったプログラムが入ってるやつ。でもあいつときたら、ぜーんぜんパソコンのこと分かってないんだよ!もう一週間以上経ってるのに自己解決できないから毎日聞いてくるし最初の内は教えてあげても今日になったら教える気は失せてくるよね!?しかもおんなじこと訊いてくるんだよ!俺だって暇じゃないんだよ、ずっとあいつのために付きっ切りで教えてあげたりはできないの!」

最初はボソボソ、後はいつもの通りマシンガンだった。なかなかこの様に噛まずに早口で捲くし立てられる人もいない。でも噛んでしまった姿も見てみたい気がする。顔を真っ赤にして、ぶすっとするのだろう。

『それは大変っすね』
「もうやだ、早く終わってくれ……」

臨也さんは顔を覆って唸っている。黒いヘッドセットのスピーカーから、誰かが騒いでいるのが分かった。この位置でも聞き取れるのだから相当な大音量のようだ。臨也さんは、うるさい!耳元で騒ぐな!黙って待て!、と一蹴する。

『ちなみに何のソフトなんですか?それによっては時間かかるのはしょうがないかもしれねえっすよ』
「はあ?遅いわけないじゃん!君と同じだよ!」





『PsychedelicDreams02』――。
それが俺のプログラム名。マスターである折原臨也さんが作った雑務処理ソフト。
多すぎる仕事量を少しでも省くために俺は作られた。あとは愚痴吐き相手のために。どちらかというと後者のバランスが多いため、臨也さんの精神的な体調管理は俺に任されているようなものだ。だといいけど。
デスクトップに固定されたウィンドウの中に俺は住んでいる。その中に向かって臨也さんは言葉を投げかけるので、俺がそれに応答するのだ。そうして指示やら愚痴やらを聞いていく。それに合わせて仕事を手伝う。それが俺の毎日だ。
これを繰り返す存在が一人増えたと聞いた時、俺の中で電流が走った。先日の知人との通話は、俺の『弟』を導入するために言い争っていたのだった。
どんな姿をした人なのか。どんな声をしているのか。どんな心の人なのか。
パソコンの電源を落とされ眠りに落ちる度にわくわくした。『弟』に会える日は遠くない。
俺に『弟』の存在を教えてくれた臨也さんに言葉には表せないくらい感謝している。

「データ通信が上手くいけば見るだけじゃなくて実際に会うことができると思うよ」
『マジすか!いやー楽しみだなー』
「デリックは他の人格のあるソフトと会ったことないんだっけ。ごめんね、寂しかったでしょ」
『そんなことないっすよ!俺、臨也さんと話せてるだけで凄く幸せですし!』

臨也さんは俺の長たらしい名前を略してデリックと呼んでくれる。その名を呼ぶのは後にも先にも臨也さんだけで十分だった。だから新しい人が俺のことを覚えるのは嫌な気分だが、生みの親である臨也さんが『弟』とその主人を見たがるのは当然のことなので内心歯がゆいけれど我慢する。『弟』に会うのは楽しみだけど僅かな寂しさも感じる、そんな移動時間だった。

「一応、君にとっては二人とも初対面だからちゃんと礼儀正しくしてね。セクハラしないように」
『嫌だなあ、そんなことしませんよ。俺が下着の色訊くのは臨也さんだけですもん』
「もう、そんな痴漢発言、ドヤ顔して言わないでよね」
『へーい』

俺のことをすぐに痴漢扱いする臨也さん。このくらいの年頃(に設定された)の健全な男は皆このようなもの。俺が痴漢だなんてとんでもない。俺はただ臨也さんの極上の最奥を阻む厄介な砦のカラーリングと装飾について訊きたかっただけでだな……。

『あ、臨也さん、もう着くみたいっすよ』
「そうだね、じゃあスリープかけるよ」

池袋、という駅についたようだった。臨也さんはヘッドセットを外し、そしてノートパソコンを閉じる。俺の部屋の電気が落ちて、薄暗くなった。
ところで臨也さんは電車の中で、ノートパソコンに部屋を移動した俺とずっと喋っていてくれたわけだが、その間誰も臨也さんの周りに居なかったのは何故だろう?この時間帯といえど乗客が人っ子一人居ないのはちょっと異常な気がするのだが……。





視界が明るくなった。寝ていたわけではないので眠くはない。

「デリック、着いたよ」

臨也さんはニコニコしながら俺に向かって言った。臨也さんがこんなに機嫌を良くするなんて珍しい。
臨也さんの暮らすマンションより狭そうな、殺風景な部屋だった。ここが知人の家なのだろう。まだ視界には入っていないが、一応家主に声をかけておく。

『お邪魔してまーす』

すると視点が変わった。臨也さんがノートパソコンごと持ち上げて向きを変えたのだ。
簡素な木の机の上に、小さなネットブックがある。

「ほら、あれが君の『弟』だよ」

ネットブックの中に住んでいた『弟』は、高級そうな椅子に座って、ティーカップを啜っていた。白い肌に艶のある黒髪。純白の服を着て、頭に金冠を乗せた……例えるならば御伽噺に出てくる王子様だった。そして何より、臨也さんと瓜二つだった。
俺の視線に気付いたのか『弟』は此方を見て一瞬、肩を震わせた。そしてすぐに視線を逸らす。金色の瞳だった。

『い、臨也さん、あの……どうして臨也さんと同じ顔なんですか』

俺がしどろもどろになりながら弟を指差しながら尋ねると臨也さんは、かわいらしく首を傾げて、さらりと言ってのけた。

「あれ?俺、言ってなかったっけ。君らのグラフィックを作るのは凄く大変、ってことと、君のモデルは此処の家主だ、って話」
『は、い?』
「だから、デリックの元になったのはシズちゃんなんだってば」

すると床を踏む音が聞こえてきた。鈍い音のするあたり、このアパートは新しいわけではないのだろう。

「おー、こいつもきちんと喋んのか」
「ベースは同じだって言ってるじゃん。……デリック、挨拶して。シズちゃんだよ」

臨也さんから移して見たのは二人分の飲み物を運んできた、金髪と焦茶の瞳(そして何故かバーテン服)、俺と同じ顔の、やたら怖そうな男だった。

『こ、こここここ、こん、こん……』
「臨也……ちゃんとこいつ躾けてんのか」
「躾けてるつもりだけど、たぶんデリックは君が怖いんじゃないかな」
「手前ら失礼なヤツだな」
『ごめ、ごめごめごめごめ』

殴られそう。凄く怒ってる。殴られそう。蹴られそう。あの、その右手は何故握り締めてるんですか。俺を殴るためですか、そうですか、勘弁してください。あ、いえ、決して怖いとかそんなことは一切何も考えていませんし、いや、ほんとです。マジで。
俺が涙目でカタカタ震えていると綺麗な声が発せられた。

『恐れながら陛下、サングラスを取られては如何でしょう』

硝子のように透き通る声だった。何処となく臨也さんに似ている。けれども臨也さんの良い意味での濁り、もとい青空から降ってくるような美声とはまた別の声色だった。もっと高くて厳かで、硬くも美しい。

「日々也がそう言うなら……ん、どうだよ」

さっき外に出たまんまだったからな、と弁解しつつサングラスを外されると最初に思ったより怖くは無かった。威圧感が軽減される。悔しいことに俺に似てイケメンだった。いや、俺が似てるのか。

『あの、すいません、ビビって……。デリックです。お邪魔してます』
「手前、日々也の助け舟が有ってのことなんだからな。次言ったらぶっ壊す」
「そういうこと言わないの」

ブラックリストに入れたらしかった。臨也さんは優しい。





ノートパソコンとネットブック間のリンクは無事に保たれた。無線での通信だが、さほど俺に負担は無い。このあたりが臨也さんの素敵なところで、俺に対して不可がかからないようにパソコンを改良してくれたのだった。
臨也さんと、その知人――俺のモデルの人は、平和島静雄と言うらしい――が全く噛み合っていない談笑を始めたので俺は引っ込むことにする。仕事相手に話しかけては悪い。
こなしておいて、と言われたメモ帳のデータを書き換える作業を終えて暇になった俺はブラウザでも開いて大海を泳ごうと思ったのだが、ふと『弟』のことが気になった。リンクが完成したのだから、試しに『弟』の部屋に行ってみる。
ぱりっとした電流。静電気にも満たない力が俺全体を覆う。交信の合図である。

『お邪魔しまーす』
『!?』

椅子に座ってボーっとしていた『弟』は俺の登場に驚いて椅子から引っくり返った。頭をぶつける派手な音。

『おいおい、大丈夫か』
『……恥ずかしい』

彼は俺が差し出した手を取らずに慌てて椅子を起こして座りなおす。顔を赤らめた。

『ああ、俺がいきなり来たからびっくりしたのか。そりゃ悪かったなー』
『いえ……』

一、二度首を横に振る。そして白い手袋をした指先で空間を弄り、転倒した椅子と同じタイプのものをもう一脚出した。その後、磨き上げられた木のテーブルの上にケーキを置く。

『どうぞ』
『ああ、ごめん』

一言添えてから椅子に座る。座り心地が良い。また高そうな椅子だこと。
俺たちソフトウェアは飲食をしなくても平気なのだが『弟』は紅茶やデザートを食べるのが趣味なようだった。自分のデータとリンクした記憶フォルダから画像を呼び出しては勝手に加工して出現させている。少し指先で弄ればそれが可能なあたり、俺とは違って優秀なのかもしれない。

『あー、えーと……日々也だっけ。俺、デリック。よろしくな』

注がれた暖かい紅茶をティーカップから一口啜って、簡単に自分の説明をしておく。しかしすぐに会釈をする限り日々也はそんなことは既に知っていたようだった。なんだ、臨也さんが教えてくれていなかっただけなのか。
改めて部屋の中を見渡した。クリーム色の豪奢な壁紙が全面に貼られ、奥にはクローゼットを初めとする白と金を基調とした調度品、天蓋付きのベッドが置かれている。煌くシャンデリアがひとつ、俺たちの頭上を照らしていた。
なんというか、見た目に相応しい部屋だった。西洋風の、それこそ王子様が城で暮らしているような。適当に物を呼び出しておいただけの俺の部屋とは違う。何もかもが違った。

『あの、陛下のこと、お怒りにならないで下さい』

陛下とは、たぶん自分の主のことだろう。随分と変わった敬称で呼ぶものだ。
最初は怖そうな人で少し驚いただけで、よく見るとそれほど悪人面してはいなかったので安心した、と伝えると日々也は、ありがとうございます、と小さな声で呟いた。
見た目も中身も大人しい日々也は、その後俺と全く話すこともなく、ただ俯いていた。緊張しているにしては随分長いので人見知りをする性質なのだと受け取っておく。
そうこうしているうちに臨也さんがやってきて両方のパソコンのリンクを切り、俺は臨也さんのマンションのデスクトップパソコンに帰宅した。





僕のマスターである静雄様、つまり陛下より予ねてから、陛下に良く似た、僕の『兄』とするソフトがやってくるのだと聞かされていたので、そう驚きもしないだろう、と高をくくっていた。しかしそれはあっけなく折れてしまった。人前で椅子ごと転倒するだなんて……今思い出しても恥ずかしい。陛下にその話を申し上げたところ、気にすんなよ、と慰めていただけた。
デリック様は前回の僕の態度を退屈だと思われていたようだし、今後から改めなければなるまい。果たして上手くいくのだろうか。
陛下が再び臨也様をお招きになるそうなので、僕も最大限の持て成しをするためにアフタヌーンティーを用意した。何かを準備することに関しては自慢ではないが容易いことだったので、より彩りや(僕らにとっては擬似的なものでしかないが)香り、美味しさを重視したものを覚えては配置する。紅茶は英国王室御用達のものを選んできた。
室内が騒々しくなった。臨也様がいらっしゃったのである。

「やあ、日々也。先週ぶりだね」
『ようこそいらっしゃいました、臨也様。どうぞ御緩りとお寛ぎ下さいませ』
「……ねえ、日々也のこれさ、シズちゃんの趣味なの?」
「丁寧なのは悪いことじゃねえだろ。それにかわいいしな」
『有り難き幸せにございます』
「な、かわいいだろ」

臨也様は、うーん、と唸られると僕にこう仰った。

「でもさあ日々也、俺は君の生みの親って程度だし、そこまで大したことした覚えないからもっと力抜いて、そんなに畏まらなくていいよ」
『は、はあ』
「まあ無理してやめることもないけどさ」

そして臨也様は先週と同じ机にノートパソコンを置かれると、スリープモードを解除なさった。自動的にリンクされたようで、ほんの一瞬、まばたきの程のタイミングで僕の空間が捩れた。

「仲良くしてやってね」

主の恋人の頼みなら断ることはできない。そもそも刃向かうつもりもない。『兄』であるデリック様に今更何を嫌う必要があるのだろうか。悲しいことに、ご本人がどう思われているかは分からないが。
身体に、ぱりっとした電流が走った。いらっしゃった。きちんと挨拶をしないと。

『こんちは』
『お、お待ちしておりまひふぁ』

痛い!噛んだ!……嫌だ、もう、初めからこうなんて恥ずかしい!恥ずかしい!!ああ!ああああ!!
デリック様は暫く拍子抜けしたように止まっておられたが、すぐに、あっはっは、と笑われた。

『なんだよ、今日といい、この前といい……お前ドジっこか』

ドジっこ!なんというレッテルだろうか。しかしこの失体をした僕に抗議の余地はないのだった。早急に剥がしてもらえるよう頑張るしかない。
デリック様は尚も笑っておられ、僕は顔から火が出る思いで赤面するばかり。俯きながらも空間に指先で触れ、コードをなぞる。椅子を呼び出した。

『どうぞ!』
『あ、怒った?ごめん、もう言わないから』

怒ってなんてない。恥ずかしくて堪らないだけだ。さっさと座って、このマヌケな姿は忘れてほしい。もう二度とこんな無様な真似はしないぞ。今誓う。誓った。

『それにしても、すげー豪華な料理。お前が頑張って覚えたんだろ?俺が今まで覚えて来たのじゃ適わねえなあ』

はー、と感心した様子でため息を吐かれる。アフタヌーンティーはどちらかというと料理ではなくてデザートなのだが……。
それより先ほどの話を蒸し返されては困る。今の内に忘れてもらわなければならない。

『あの、どうぞ、召し上がって下さい』

それじゃ遠慮なくいただきます、と仰られるあたり無事に忘れてくれたようだ。安心して胸をなで下ろす。これで良し。あとはもう完璧。

『何これ……』

デリック様がブルーベリーマフィンを一口、豪快にかじられてから呟いた。お気に召さなかったのだろうか。よく考えたら陛下とは違われて甘いものが苦手かもしれない可能性を考慮してなかった。これはまずい。急いで口直しのための紅茶を入れる。
するとデリック様は中腰で茶を注ぐ僕を見上げられて仰った。

『お前……人間の味覚情報まで刷り込めんの?』

この場合の味覚情報とは人間が舌を通して感じる刺激を数値化し判別したもので、僕は大変烏滸がましいことであるが陛下と同じ物を食してみたかったので敢えて余分に加工を施していただけである。

『陛下のお好きな物がお菓子で、それを知りたくていつも……』

言い終えない内にデリック様は僕の両肩に手を置かれて、目を輝かせて仰った。

『すげえ!すげえよ、お前!こんなこと出来んのか!俺初めて知った!!』

それは、まあまだお会いしてから通算二回目なわけであるからにして……。
すると彼は、じゃあさ、これに味付けてくれよ、と両手を大きく振って、やっとのことで画像を呼び出された。『兄』はこの手の加工や呼び出しが少々不得意なのかもしれなかった。

『この前泳いだ時に見つけたんだ。土産にしようと思って。デザートの類い、好きなんだろ?』

でも僕より気が利いているのは『兄』の方だった。僕がデザートを好むことを覚えていてわざわざ用意してくれていたのは嬉しかった。しかも一ホールも。バイト数が多いから大変であられたろうに。
おやすいご用だった。この味は何度も埋め込んだことがあった。少し手間がかかるが食感も加えてみる。
薄く重ねた層の一つ一つに丁寧に甘さを染み込ませ、層と層の間にカスタードクリームとイチゴを挟む。カスタードは牛乳と卵を絶妙に混ぜた味。イチゴは甘酸っぱく、複雑で純真な心の味。
陛下はいろいろ教えて下さった。それの集合体が、このミルフィーユである。

『出来ました』
『食っていい?』
『どうぞお召し上がり下さい』

デリック様がフォークで切るのだが、ぱりぱり千切れてぐしゃぐしゃになってしまっている。良かった。陛下の仰った通りだ。
ミルフィーユって菓子はよ、すげー食うの難しいんだ。すぐにパリッと割れちまって粉々になる。上手い人は綺麗に食えるらしいんだが、俺には一生無理そうだな。フォーク折るし。でも俺はさ、臨也のヤツもボロボロに崩していたし、美味ければそれで良い気がする。素人考えだけどよ。

『不味くありませんか』
『そんなわけあるか』

自分で食べたら良い、というのでフォークで切り落とし――僕も上手く切れない――口に運ぶ。

『美味しい』

デザートの中で僕が最も好きなのはミルフィーユだということをデリック様はご存知だったのだろうか。真偽のほどは不明だが、持ってきていただいたことに感謝していただくことにする。
サクサクした生地、優しい甘さ。イチゴの酸味がクリームにとろけて混じる。
……気が付いたら四つほど食べていた!

『ごっ、ごめんなさい!僕食べ過ぎてますよね?』
『いや、いいよ。好きなんだろ』

微笑まれて赤面する。また失敗した。恥ずかしいところばかり見られてしまう。もう嫌だ。こんな時は甘いものを食べて忘れよう。それしかない。
そんな僕を見つめていたデリック様は諭すように仰った。

『やっぱ好きこそ物の上手なれ、なんだな。自信持てよ、そしたらもっとかわいいから』

なんだかイチゴがとても甘酸っぱい気がする。おかしなくらいに。





愚痴から俺に対する不満まで、まるで一生分の文句を一気に吐き出してすっきりした顔になった臨也を送り出し、部屋に戻る。おなかが空いたから何か食べさせろ、といいオムライスを作ると、シズちゃん子供っぽーい、とからかう。その後片付けもしない臨也は酷い甘えようだと思う。
うぜぇうぜぇもう来んな、とイライラしていると机の上に置きっぱなしにしたネットブックが目に入った。中では生みの親にそっくりな小人が食器の画像を片付けている。その一生懸命な姿に声をかける。

「日々也」

金のマントを翻して振り返る。俺に気付いて慌てて頭を下げた。

『申し訳ございません、陛下』
「いや、構わねえよ。続けながらでいい」
『ではお言葉に甘えて』

日々也は再び部屋を整え始める。テキパキと画像をしまう姿はどこか楽しそうだった。
全てを片した後、二脚、椅子が残った。

「その椅子は片付けねぇのか?」
『はい。デリック様がいらっしゃった時のお席です』
「あいつ、どうだよ?俺みたいにすぐキレて怒鳴ったりしねえよな?」
『とんでもありません!』

日々也は必死に声を上げた。そしてそのまま親に似て長々と続ける。

『デリック様はそのような野蛮なことをなさったりしません。紳士的で素敵な、優しいお方にあられます。僕のためにお土産まで用意されていましたし、何よりドジを踏んでも許して下さいました。それに……』
「それに?」
『か、可愛いって……』

日々也は頬を赤らめて俯いた。色素が薄いため、簡単に気持ちを読み取れてしまう。鈍感な俺でも流石に気付いた。

『また是非、近い内にお会いしたいものです』

俺としてはあまり会わせたくなかった。こんなに簡単に堕ちてしまう純真無垢な日々也を、見るからに軽そうな男にやりたくはなかった。それにデリックが来るということはノミ虫も来るだろうし。この嬉しそうな顔を見れなくなるのは惜しいが、心の矛先があのチャラ男である以上、主人として黙っているわけにはいかない。
……と意気込んでいたのだが、俺の思い通りに行くわけではなかった。次の日、日々也の具合が悪くなったのだ。
自動クリーンアップ機能は付いている以上、どうしてこうなったのかは原因不明である。目を離した隙にインターネットの海を泳いで、ウイルスを持つ海月にチクッとやられたのかもしれない。
俺はパソコンやケータイといった電子機器を弄るのは得意ではないので不本意だが、あの忌々しいノミ虫に覚えたてのチャットツールで報告すると、すぐそっち行くね、と返され切られてしまった。

『申し訳ございません』

そう言う日々也はベッドに横たわっていた。ただでさえ白い顔は青みを増している。

「もうすぐ臨也が来るから、それまでの辛抱だからな」
『ありがとうございます、陛下』

依然としてエラーメッセージは出たままだった。エラーナンバーを控える必要がないほどだ。マニュアルを持っているわけではないから、俺にその数字の意味が分からない。本当は制作者から直接聞き出して自分で治したかったのだが。
玄関のインターホンの代わりに、ガチャリと扉が開いた。合鍵なんて何時の間に作ったのだろうか。気持ちの悪いノミ虫だ。後で鍵を変えなければ。

「日々也は大丈夫?」

いつもの黒服が呑気そうに尋ねたので、そんなわけあるか早くなんとかしろ、と怒鳴る。

「まあ落ち着きなよ。こんなこともあるかと思って、新たな機能を搭載してみたんだから」

ノミ虫はノートパソコンを起動――すぐにデリックが現れる――させながら言う。今度は何を作ったというのだろうか。日々也が更に悪化したらどう責任を取るのだろうか。

「ほら、デリ、行きな」
『へーい』

瞬間、彼は消えて、俺のネットブックに現れる。デスクトップの右下に『Psychedelic Dreams02がアクセスしました』と表示される。

「こいつに任せて大丈夫なんだろうな」

勝手にこいつを日々也の元へ送り込んだ臨也のクソっぷりは絶対忘れてやらない。俺の記憶力を総動員する。

「まあまあまあ、焦らず行こうよ。……デリック、日々也の今のプロパティの中身、スキャンして」

日々也の部屋に上がったデリックはそのままベッドに近づく。中途半端に開いた天蓋に手を掛け、声を掛けた。

『日々也、大丈夫か』
『うわっ!?』

日々也はびっくりして体を震わせる。あの野郎、日々也の寝姿を勝手に見やがって。

『デリック様?何故此処に?』
『お前を助けに来たんだ』
『えっ』

頬が、ぽっと赤くなる。まさかエラーのために急に熱っぽくなったわけではないだろう。
デリックは起き上がりかけた日々也を制して寝かせる。

『じゃ、失礼するぜ』

そして何を思ったか、日々也に……。

「うおあああああああー!!」
「なっ何シズちゃん、隣でいきなり大きな声出さないでよ」
「手前!今日々也に何しやがった!場合によっちゃタダじゃおかねーぞ、コラァ!」
「別にキスなんてさせてないだろ!」

確かにこいつはただ日々也の額に触れただけだ。しかし日々也の額と自分の額を当てて急接近して良いわけではない。

「近ぇ!近えんだよ手前!離れやがれ」
「まだスキャン終わってないから駄目だってば。それに今壊したらデリック諸共、日々也が壊れちゃうよ」

腕に臨也がしがみついて壊させてくれない。渋々二人でネットブックを覗き込んだ。……ノミ虫が何か近い気がする。人肌恋しい時期はとっくに過ぎたはずなのに。
額を接させている間、日々也は目を白黒させながら頬だけは真っ赤にして凍った様に固まっていた。口はパクパクさせているが、言葉は出ない。
終始無言の後、デリックは頭を上げる。俺は安堵する。

『臨也さん、終わったっすよ』
「中身は?」

臨也への返答を後回しにして、彼は日々也に向かって微笑み、囁いた。

『昨日、頑張ってくれてありがとな。でももう無茶して静雄さんに心配かけるなよ』

日々也はそれこそ、きゅん、と効果音が鳴ったように顔の全体ごと朱に染めて、もごもご礼を言う。
さらっと、お義父さんにも気を使ってるんですよアピールして俺に気に入られようったって無駄だ。絶対に手前には渡さねぇ。
そしてこのクソ野郎は、おやすみ、と言って天蓋を閉めると、日々也の部屋を出て臨也のパソコンに戻っていった。日々也の目が覚めたら部屋にスプレー型の消臭剤を吹かせよう。
デリックはノートパソコンにある自室に戻ると臨也に報告する。

『なんてことなかったっす。ただのビジー状態。たぶん、はりきりすぎて自分のキャパシティを超えたのかと』
「何だ、そうだったんだ。それならもう安心だね」

俺はビジー状態もキャパシティもさっぱり分からなかったが、とりあえず無理をさせなければ良いのだろう。昨日の場合は自分で無理をしたのだと思うが。

「とにかく日々也が無事で何よりだ。新しい機能も上手く動いているようだし、今日はこれでいいよね」
『臨也さーん』
「ん?」
『ご褒美は?』
「帰ったらね」
『やった、期待してますよ』

先ほどとは全く違う笑みを見せたデリックは、早く帰りましょーよ、と臨也を急かす。ああ、そうしてくれ、俺は手前みたいな俗に言うイケメンが大嫌いだ。
臨也は五月蝿く喚くノートパソコンを閉じた。もう用は済んだ、早く帰れよ。形式ばった礼だけ述べて、早いところ追い出そう。

「日々也のこと、ありがとよ」
「いいよ、また何かあったら連絡して。また新しい機能のテストにもなるし」
「手前、それはまた日々也に無理させろって言ってんじゃないだろうな」
「そうとは言ってないでしょ。ていうか君、日々也気に入ったね」

本物と違って大人しいし、従順で可愛らしいし、このノミ虫と瓜二つなのに信じられない出来栄えだった。それは初めて日々也を起動した時から思ったことだし、勿論その時にそうなるように性格を設定したというのもあるが。

「手前よりずっとマシだ」
「酷いなあ、俺が居なかったら日々也は居ないのにねぇ。今頃どうなってるかわからないよ?」
「うるせぇ。不吉なこと言うな」

はいはい、シズちゃんは日々也が大好きですね、わかりましたよ、と吐き捨てる臨也は相変わらずの減らず口を披露して見せた。こっちは疲労する。
席を立ったのでさっさと玄関まで見送ろうとすると、臨也は、えー、と不服そうにした。

「俺、もう帰らなきゃいけないの?」
「用は済んだだろ」
「はあ?俺まだ何もお礼してもらってないんだけど。……まさかとは思うけど、口頭だけでお礼を済ませようとしてんじゃないよね」

そうして臨也は木机の上のネットブックを一瞥し、眠る日々也の様子を確認して、予想通りの反応をした。これだからノミ虫は嫌いなんだ。

「たまには俺も可愛がってよ」





「ご褒美って何がいいのさ」

池袋から新宿へ、自宅へ戻ってきた俺はノートパソコンからデスクトップにデリックを移した、褒美を強請る彼に具体的に何をしてほしいのか尋ねた。デリックは考え込むふりをして――最初からどうしたいのかなんて決めていたのだろう――さらりと答えた。

『パンツ見せて下さい』
「嫌だ」

どうしてこんな変態になってしまったのだろうか。作るときに何かまずい設定でもしただろうか。そんなはずはない。たぶん、勝手にネットサーフィンでもして覚えてきたのだろう。ネット、おお、怖い怖い!
そんな変態デリックは、ちぇっと舌打ちしつつも笑った。

『俺は、こうして臨也さんと話しているだけで十分っすよ』
「煽てても何も出ないよ」
『えっ、ポロリ期待したのに』
「いい加減にしなさい」

この顔でそんなことを言わないでほしい。頬が緩むじゃないか。ああ、駄目だ、堪えられない。笑ってしまう。
二人して大笑いする。広い事務所に俺とシズちゃん、二人分の声が響いた。ボイスデータがあってよかった。こんなことは、まだ出来ないだろうし。
それよりデリックの下心丸出しっぷりは問題だ。少し嗾けてやろう。

「そんなに俺の裸が見たいの」
『あわよくば、それより先に……』
「駄目駄目、デリックには見せてあげないよ。俺の身体はシズちゃん専用だからね」

そうして笑い飛ばしてやる。この手で懲らしめると大概の男は肩を落とす。さて、どう出るか。デリックはある意味、俺好みの設定にしてあるから、上手い切り返し方をして欲しいものだ。
しかし彼の答えは予想外だった。

『そう、っすか』

口元だけ、乾いた笑いを漏らす。
驚いた……。

『そうっすよね。臨也さん綺麗だから、恋人の一人や二人、居ますよね。なら俺が見れないのも当然だな。ははっ、すいません、無神経で』

シズちゃんが傷付いたら、こんな顔をするんだろうか。
知りたい、君のこと。もっと。
俺はデリックを作って良かったと心の底から思った。




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   2012.02.18
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