メメントモリメモリー

   ・静雄→←臨也。
   ・静雄、臨也共に過去捏造。
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もし俺が、彼に定義された蟲であるのだとしたら、この花にも吸い寄せられるのだろうか。青臭い香りは、どうにも好きになれなかった。やはり俺は蟲ではないらしい――。
臨也は、今の今まで花を買うことがなかったので花屋を探すのに苦労した。意外に自らが生まれ育った街のことを覚えていなかったのだった。かといって、拠点を置いている新宿の、花屋を覚えているかと訊かれると、臨也は答えられる自信もなかった。それほど花に縁がない生活を送って来たのだ。花束を贈る相手もいない。年頃の男としてどうなんだ、と臨也は自嘲する。とはいえ特定の誰かを愛するつもりはなかった。誰かに愛される自信がなかったからだ。
臨也が、花を抱えた九瑠璃と舞琉を引き連れて待っていると、バスはすぐに滑り込んできた。電光がくるくると回って名前しか知らない町が頭に書かれた。ドアが開かれて、ステップを踏みしめる。慣れない服装が足を拘束して動きにくかった。バスの独特の匂いが鼻に付いた。
電子マネーを翳して、臨也は一番奥の窓側の席に座った。ここなら人間を見ていられるかと思ったのだ。しかし、機材か何かが積まれていてかえってよく見えなかった。乗客も少ないので今なら移動できるか、と思案したところで、左に九瑠璃と舞琉が間を詰めて座っていたので、面倒だからと諦めた。
愛しい人間が増え始める。臨也は乗客のひとりひとりを観察していたが、今日は珍しくつまらなかった。半分くらい座席が埋まったところで、ふい、と視界を変えてしまった。
発車のアナウンスを聞く。プシューと空気の抜けるような音がしてドアが閉まる。ロータリーをぐるりと旋回するバスに身を任せた。下から響くような微弱な振動を抱えながら、臨也は、ぼうっと見えづらい窓からビル群を眺めていた。
信号が変わったのか、景色が固まった。小さく見える親子連れが池袋駅に向かって歩いている。
子供は風船を手にしていたが、突風にでも煽られたのだろうか、放してしまった。あっ、と驚く子供。風船が離れていく……と思いきや、咄嗟に父親が腕を伸ばして、その尻尾を捕まえた。子供に諭し、手に握らせてやる。子供はニコニコしながら、今度はもう放さないと、紐を握り締めていた。
臨也は、最後の方は移動しながらになりながらも、親子連れの姿を見ていた。あの子供の青い風船が離れていくのなら、まだ悲しみは薄い。空と同化するような青ならば。





随分と昔、臨也がまだ中学生の時に、一度だけ妹たちを連れて遊園地に出掛けたことがあった。海辺にある人気の遊園地は、アトラクションに長い間待たされるのが名物なので、早朝から池袋を出たのを覚えている。朝から行きたいと言って兄を困らせた双子は、実際当日になるとなかなか布団から出なかった。二人を叩き起こして、臨也自身もまだ眠い時間に、空席の目立つ電車に揺られていったのだった。一定のリズムを刻み、眠りを誘う電車で、降りる駅を間違えない様に必死で目を開けていた。
遊園地で、舞琉に振り回されてくたくたになる頃、売店を横切ると臨也は九瑠璃にも呼び止められた。袖を握られて放してくれそうになかった。
パスポートのケースや、耳の付いたカチューシャや、シャボン玉の出る玩具が並ぶ売店の横に、沢山の風船を従えた売り子が立っていた。
案の定、風船を強請られた臨也は勿体無いからと渋った。ポップコーンのように食べられるものならまだしも、明後日には力なく萎んでしまう風船を誰が好き好んで買うものか、と怒った。ネズミの耳のついたカチューシャも二人分買ってあげたでしょう、と言うと舞琉はみっともなく駄々をこねた。見かねた九瑠璃が、なけなしのお小遣いで風船を買い与えようとしたところで、臨也は折れてやるのだった。二人で一つだと言いながら、風船を舞琉の手に握らせた。その少し上の部分の紐を九瑠璃に握らせる。ありがとうイザ兄、と喜ぶ妹たちが微笑ましかった。この頃三人は親の仕送りだけで暮らしていたので、この風船で臨也の使える分は殆ど無くなってしまった。遊園地は風船ですら高いのに、数少ない知り合いであった新羅とセルティ、四木への土産が買えるわけがなかった。
それでも臨也は構わなかった。妹たちがこんなに喜んでくれるなら、俺はどんなことでもしてやろう、と思っていた。
結局、風船は、はしゃぎ続けた舞琉の手から逃げてしまった。涙を浮かべる舞琉を九瑠璃が慰める。あれだけ注意しろと言っても相手はやはり子供で、約束を守れるわけがなかった。夕焼け空を飄々と漂うネズミの笑顔が恨めしかった。
ネズミの頭蓋は色が色だけによく目立った。周りの子供や大人が指を指して空飛ぶネズミを見上げる。その度に舞琉は泣きじゃくっていた。もう一つ買ってやれるだけの小遣いはもうなかった。せめて、あんな目立つ色をしていなければ、空に溶け込んで忘れていくから良かったのに、と臨也は思った。ついに九瑠璃も泣き出し、臨也は二人を慰めるしかなかった。





「イザ兄」

懐かしい記憶を呼び起こしていた臨也は、我に返った。
舞琉の手に、半分溶けかかったチョコ菓子の箱が乗せられていた。
臨也は一粒口に入れると、黙ってクッキーごと噛み砕いた。臨也はキノコが良かったのに、あの遊園地に行く朝もタケノコだったなと思った。





バスが郊外に出てから暫くして、目的地に着いた。バス停の字は褪せ、鉄枠は錆びていた。人の訪れることが少ない、寂しい丘の上だった。
臨也は適当に辺りを見回して門を見つけると、ゆっくりと歩みを進めた。砂利道を踏む音が二つ、後ろで奏でられていた。
墓地を訪れたことも二度くらいしか無かったので、所作に戸惑いながら、手を清めて、柄杓で清水を汲む。真新しい手桶を片手に、臨也は墓の立ち並ぶ方へ向かう。
昼間だから良いものの、夜になれば流石に冷や汗を掻きそうな墓石と卒塔婆の間を縫う様に彷徨う。暫くして、端に真新しい墓があるのを見つけると、臨也は、のろのろとそれに近付いた。
刻まれた文字は間違いなく、自らの姓と同じだった。その事実は前にも受け入れた筈なのに、すっと肝が冷えた。どんなに修羅場を潜り抜けても、人間の死は恐るべきものだった。いや、家族の死だからかもしれない。
臨也と九瑠璃と舞琉の両親は、貿易商社に勤めており、世界中を飛び回っていた。臨也が物心付く頃には生まれたばかりの双子と、家政婦として雇われた老女が一人、狭くも広くもない戸建てに残されていた。そのため双子は疎か、臨也ですら両親の顔は覚えていなかった。世界の果てで、事故に遭い亡くなったと聞いて、やっとその顔を思い出したくらいだった。
臨也が高校に入る頃には既に仕送りは三人の生活当初の半分になっていたし、情報屋を営む頃には連絡も途絶えていた。
臨也は、本気を出せば両親の動向くらい探せたが、それをしようとは思わなかった。家政婦が腰を痛めて辞めていってからは本当に三人だけで暮らしてきたし、今更家族と言われても、と臨也は内心困っていた。しかし、妹たちにとっては、たとえ写真の中でしか会えなかった男女だとしても両親だと思っていたのだろうか、墓前に立って、べそをかきはじめた。
臨也は黙って、柄杓で水を掬って墓石にかけた。汚れの無い御影石が艶やかに光る。鈍色の空を映していた。九瑠璃から仏花を預かり、細い花瓶に生けてやる。線香に安物のライターで火を付け、臨也は、ふっ、と吹き消した。
こんな儀礼的な作法が最初で最後のスキンシップになったなんて……臨也はそれでも両手を合わせた。冥福を祈るべきなのだろうか。こんな扱いをしてきた名ばかりの両親に、何を想う必要がある。
臨也は、そんな風に考えてしまう自分に失笑した。九瑠璃と舞琉がびくりと肩を奮わせる。そんな妹たちに兄は語りかける。

「こんな風に育てられて、俺たちは、一体誰を愛せるのかな」

双子は俯いたままだった。一言も交わさないまま、長い時間が過ぎた。それでも臨也が再び手を合わせると、彼女たちも再び手を合わせた。
枯れて、貧弱な茎だけになった彼岸花が墓を取り囲んでいた。
海外が長い両親は彼岸花の意味なんて忘れて、冥府の川を渡ったのだろうか。それ以前に、何も思う間もなく魂ごと消えていったのだろうか。臨也は、自分の持論が酷く頼りなく思えた。
今日は心境が不安定な日だった。明日になれば笑って仕事が出来るだろうに、どうしてか、今日はそんな元気はなかった。何もかもが、霧に包まれたようであやふやだった。唯一の道標を無くされた、しがない若者のようだった。“両親”という二文字は、実に意外に、俺たちを“律する”という役目を担っていたのだな、と知った。その役目が、唯一の彼らからの愛なのかもしれなかった。臨也は、そんな愛を不本意だと裁きたかった。腑に落ちてしまいたくなかった。理解はしても、存在を認めたく無かったのだ。まるで、誰かと同じだと思った。念じれば現れる、神出鬼没とも言える、臨也を追う彼が。
突如、濡れた両手が、背を向ける臨也の首を締めた。込められる力が弱い。辞世の句を詠ませてくれるらしい。何時の間にか、雨が降っていた。

「何か言い残すことは」

鼓膜に触れる振動は重い。聞き慣れた声が流す、その言葉ひとつひとつに嬉々とした感情が紛れている。
臨也は気付かなかった。そこに居るのが当然のように、彼が背後に立っていた。

「幾つか質問させてほしい」
「冥土の土産にしろよ」

よくもそんな、この場に相応しいような言葉を思い付いたものだ。もしかしたら彼は、臨也より遥かに賢いのかもしれない。ただ短気なだけで。自分だけが憎まれた存在であるだけで。

「なんで君がここにいるの」
「ばあちゃんの命日だ」

彼らしい、律儀な答えだった。何時に亡くなったかは知らないが、毎年来ているのだろうと伺わせる。本当は優しい彼ならば来ないわけがなかった。

「どうして俺を殺そうと思うの」

喪服を握る力が強くなった。平和島静雄が現れてから、九瑠璃と舞琉が臨也の両脇に抱き付いて体を震わせている。

「とぼけんなよ、良く分かってんだろ。九瑠璃と舞琉には悪いが、俺は手前を殺さなきゃならねえ」

殺す、という言葉にあからさまに反応した妹たちは、びくりと震えて、ますます怯える。
雨が彼ら彼女らを叩く音が強くなった。

「それは、今じゃなきゃ駄目なの」
「こんなチャンスは、なかなかねえからな」

首を絞める力が強くなった。指の痕が残るだろうに、彼は遠慮をしない。
それを見たのか、双子が叫ぶ。

「やめて、静雄さん、イザ兄を殺さないで」
「……懇(ころさないで)……」

少女たちの懇願が気に入らないのか、静雄は鼻で笑った。

「妹使って命乞いかよ、ノミ蟲らしい卑怯なやり口だな」
「違うの、これは私が」

舞琉が言い切る前に臨也は、そうかもね、と返してやる。妹たちを標的にするわけにはいかなかった。彼女たちに罪はない。こんなところで兄に成りたがるなんて馬鹿みたい、と臨也の心の中の臨也が言う。それにも、そうかもね、と返す臨也は、もう死ぬ覚悟が出来ていたのかもしれなかった。

「いいんだ、舞琉。俺は、それだけのことをしてきたんだから。文句は言えないよ」
「やっと死ぬ覚悟ができたか」
「でもやっぱり兄ちゃん、君らが心配だな。独り善がりで、ごめんね」

静雄は本気だ。臨也が少しでも挑発すれば、彼は簡単にその手の内を捻り潰すだろう。
臨也は、もう諦めていた。何時になく弱気だった。らしくないな、と思った。みっともなかった。それでも臨也は、ある一つの境地に辿り着いていた。それを、彼に問う。宛ら、自らの罪を懺悔するように。

「ねえ、シズちゃん、俺は一体誰を愛せるのかな」

ふっ、と手の力が弱まった。ひゅうひゅうと風を切るようだった呼吸が楽になる。その拍子に臨也は、静雄への執着の答えを吐き出した。

「俺ね、君が羨ましかったの」

その言葉に、静雄は両手を落とすしかなかった。
意味を理解するのにたっぷり時間をかけた静雄は、酷く自分が情けなく思えた。自分がしてきたことは弱いもの苛めだったのだと、気が付いた。
よく考えれば、臨也は初めから寂しそうだった。憎たらしい笑みの中に少しの翳りを見せながらも、喧嘩の最中は本当に楽しそうに笑った。彼には笑うことしかできなかったのだ。笑うしか生きて来れなかったのだ。それが今、頭を垂れた背中は弱々しい。臨也が羨ましかったのは、俺がのうのうと暮らしているのに、ふてくされていたからだったのだろうか……。
これは、ただの苛めだ。俺による独り決めした苛めだ。それに、両親を亡くして沈んだ双子の妹たちの前で首を絞めるとは何事だ。こんな殺し方は、ただの虐殺だ。臨也よりずっと醜い、それこそ本当の化け物だ。
静雄は怖くなって後退る。どっ、と嫌な汗が噴き出して体温が瞬間的に冷えて、すぐに熱が必要以上にぶり返す。先ほどまで殺すつもりだったのに、何をやっているんだと、自らの化け物具合に恐れを成した。呼吸を荒げながら、静雄は吐き捨てる。

「調子狂うじゃねえか、臨也くんよ」

ぬかるんだ地面が音を立てる。臨也に背を向けた静雄に、九瑠璃と舞琉は強張った体を僅かに緩めた。

「忘れんなよ、次は手前の番だ」

静雄は去っていった。土砂降りの雨の中、泥水を纏った足音だけが反響していた。少ししたところで音が止んだ。そして、走り出したのか、泥を蹴散らすのが聞こえた。
九瑠璃と舞琉は安堵した筈なのに、未だに臨也にしがみついていた。当の臨也は墓石を見下ろして、雨とも涙とも判別付かぬ雫を頬に走らせていた。
そして誰から見てもはっきりとわかる、大粒の涙を溢れさせた臨也は、顔を上げて慟哭した。わあわあと、恥ずかしいくらいの感情の渦が、無人の墓地に響き渡った。
彼が愛せる者は、誰もいない。





   私はキノコの方が好きなので臨也にもキノコ派になっていただきました。そうなると静雄は絶対にタケノコ派ですね。
   キノコタケノコ論争をシズイザで繰り広げていただきたいのです。両者共譲りません!
   それに比べてトッホ゜はすげえよな、最後までチョコたっぷりだもん。

   2013.03.03
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