・来神静雄←来神臨也。
※因禁8で無料配布したものと全く同じものです。
.
.
.
愛する人間たちは、昔からおまじないというものが好きだ。世界各国にラッキーアイテムやパワースポットが散らばっている。教室に入る時に、右足から入ると好きな人に近づけるとか、図書館で枕草子を借りると出会いがあるとか、学校一つ取ってもジンクスが大量に転がっている。効果の程は別として。
来神高校も例外ではなかった。夏の終わり、秋の匂いのする晴れた日に、意中の相手の下駄箱にラブレターを入れると恋が叶う。
信じているわけではなかった。神を信じていないので、縁起担ぎをするつもりもない。ただこの季節は、このジンクスを信じた生徒たちがやたらと下駄箱を気にするので、自分もその人間の流行に乗ってみただけだった。
快晴だった今朝、下駄箱を開けるとラブレターが入っていた。
臨也は自分の顔立ちは悪いほうではないと自覚しているので、一つや二つくらいは入れられているだろうと思っていたが案の定だった。封筒の裏には隣のクラスの女子生徒の名前が書かれていた。吹奏楽部に所属している大人しそうな女子生徒だと記憶している。
臨也はその封筒を鞄にしまう。その瞬間、臨也は女子生徒のことを忘れた。女子生徒は臨也に告白しようとした特別な少女から、一人の人間に格を下げられた。少女は人間だったからだ。
そして投げつけられたサッカーゴールを避けながら、臨也はどうにも格を書き換えられない相手と対峙する。平和島静雄という化け物は嫌な意味で格上の存在だった。臨也は彼から意識を反らすことができない。人間とは違って忘れることができない化け物だった。岸谷新羅は友人だが、人間なので、何かに夢中になっていると彼のことを一瞬忘れることがある。しかし静雄に対してはそれができなかった。シンクにこびり付いた水垢のように記憶から離れないしつこい相手だった。
臨也は静雄に追われて逃げる。校舎全体を舞台にした追いかけっこを朝から放課後まで繰り広げるのだ。授業中はまだ大人しいのが教師や他の生徒にとっての救いだった。
そんな日の夕暮れ時だった。部活動を続ける生徒しか残らないこの時間、臨也は校舎の裏で呼吸を整えようとしていた。静雄は汗を拭いながら臨也を睨んでいる。一日中追い掛け回されるのは流石に苦しかった。
「まだ追いかけるつもり?流石に降参だよ。俺もう疲れちゃった」
「疲れさせてんだよ。観念して一発殴られろ。そして死ね」
物騒なことを言う静雄だったが、追いかけるのも草臥れたのだろう、大きく息を吐く。その背には汗のせいでぴったりとシャツが貼りついている。八月に比べ九月は日差しが弱いが、それでも彼らの肌を焼いて温めることに変わりはない。
臨也に近付いた静雄はその首を絞めようと、首元に手をやった。臨也はその手を払いのける。パシリと良い音が鳴る。
「ちょっと、汗臭い手で触らないで」
「手前も同じだろうが」
「失礼だな、俺みたいな眉目秀麗は汗なんてかかないの」
「いつも臭いだろ」
「それは君の嗅覚がおかしいだけ」
臨也は静雄を挑発する。しかし静雄はそれ以上、臨也を攻撃しなかった。この距離ならば、本気を出せば臨也を殺すことができるのに、静雄はそうはしなかった。むすっとした顔で、少し赤くなって、ぼそぼそと臨也に尋ねる。
「なあ、今日ってバレー部、部活やってたっけ」
第二体育館はバレーボール部の領土だ。ただし今日は火曜日。バレーボール部の活動はない。
この体育館にシャワールームは二つある。しかしその内一つは故障中だった。必然的に、シャワーを交代で使う羽目になった。
臨也は濡れた黒髪を梳かしながら、シャワールームの出入り口の隅に座っていた。ノミ蟲臭が酷いから先に入れ、と言われて先にシャワールームに入った。今は静雄が入っている。今の内に逃げることもできたが、臨也は逃げようとしなかった。開かれた窓から夕風に吹かれるのが心地よかったからかもしれない。けれど臨也は、静雄より、来るかもしれない嫌な未来から逃げ出したいだけだった。静雄の下駄箱に、封筒が入っているかもしれない未来だ。
静雄から離れている今、下駄箱に行き、彼の下駄箱から封筒を抜いて捨ててしまえば良い。他の人間から静雄への告白は、それで防ぐことができる。簡単なことだ。しかし臨也にはとても難しかった。静雄に誰かが恋をしていて、その気持ちを伝えようとする事実を目にするのが気に食わなかった。もしその光景を目にしてしまったら、臨也は愛する人間をどうするか分からない。静雄は人間に愛されなくていい、一生一人でいればいい。臨也はそう願ってやまないから、余計なことをするならば人間の行動ですら排除したいのだ。臨也は静雄のシャワーの音を聞きながら、膝を抱えて居るかも分からない憎らしい人間を憎んだ。
そうしている内に、静雄がシャワールームから出てきた。タオルがなかったので、ハンカチで乱雑に髪を拭いている。ガシガシと掻き毟ったら、余計に髪が痛むのに、と臨也は思い、気を紛らわせた。
「なんだ、逃げてるかと思った」
「髪を梳かしてたんだよ、君とは違って気を遣っているから」
「風呂入ってもノミ蟲臭は消えてねえのか。ああ、臭え、臭え」
嫌味を言う臨也に静雄が近付くと、わざとらしく嗅いでみせた。静雄は、最低、と返す臨也を嫌味っぽく嗤った。
そんな喧嘩のような、ただし日中よりはずっと小規模の戦争を繰り広げる彼らは第二体育館から出ると、そのまま下校しようと下駄箱に向かった。臨也は軽口を叩きながらも、気が気でなかった。何も知らない静雄は、何の躊躇いもなく下駄箱の扉を開ける。臨也はもう目を瞑っていたいくらいだった。しかし瞼を閉じることができない。その中身に引き寄せられるように凝視していた。
下駄箱には臨也より一回り大きい靴が入っていただけだった。それ以外には、運動場から運んできたであろう砂ばかりだった。
「ノミ蟲?」
静雄に声を掛けられる。彼は靴を抜き取って上履きの代わりとして指定されたサンダルを下駄箱に入れていたところだった。話を聞いているのかと訊かれて、臨也はしどろもどろに返事をする。
「え、あ、ごめん。プリンはどうしておいしいのか、だっけ」
「違えよ、プリンはどうして柔らかいのか、だ」
「ごめん」
臨也は無意識に謝っていた。静雄にラブレターは届かなかったという事実に、臨也は戸惑っていた。恐ろしい未来からは避けることができたのに、何故か素直に喜べないのだ。それきり臨也は黙ってしまったから、静雄も話しかけなくなった。
校門を過ぎて、道路に出た。そういえば明日は雨が降るらしい。今日はこんなにも晴れていて、沈む夕陽の夕焼けは美しかったのに。
そこで臨也はやっと素直に喜べなかった理由に気付いた。今日が最後のチャンスだったのだ。下駄箱に手紙を入れそびれたのは自分だった。居もしなかった競争相手を気にするあまり、自分のことを忘れていた。したためた手紙は鞄の中だった。風邪でもないのに喉が痛んだ。飲み込んだ唾液が溶かした金属のように熱くて重かった。
気付けば空は暗くなっていた。池袋でもこの地域は住宅街なので、辛うじて等級の高い星が見えた。西の空に夏の大三角が傾いている。明日からは十月だ。今日よりもっと肌寒くなるだろう。それなのに未だに、スズムシに混じりながらヒグラシが鳴いている。そんな中でキンモクセイの甘い香りが漂っている。夏が死んで、秋が成長する。夏が老いて、秋が生まれた頃とは違うのだ。
臨也は上を向き続けていたかった。何故か潤んでしまった目尻から、涙が落ちないようにしていたかった。
道は分かれ道に差し掛かった。それまで黙っていた二人は、分かれ道の前で、やっと口を開こうとした。どちらともなく口を開けて、言葉に詰まる。空気だけが出て行く。
自分に勇気があって、もう少し素直だったら良かったのに、と臨也は思った。言いたいことは沢山あった。もう帰ってこない夏に、刻み付けたい言葉があった。直接言うのは恥ずかしいから、文字にしてみたのに、それも結局渡せずにいる。伝えるなら今しかないのに、臨也は使い古した言葉を漏らしただけだった。
「じゃあね」
静雄は少し驚いたような顔になって、視線を逸らした。そして頷いた。
彼は爪先を西へ向けた。分かれ道の片側へと歩いて行った。臨也はその背中を見つめることしかできない。静雄は就職活動をするので、来月からは別のクラスになる。自分を追いかけたせいでしわくちゃになった制服を着た、大きな背中をあと何度近くで見れるのだろう。
これからも夏はいくらでも訪れるし、化け物の嗅覚のことだから静雄と会うことは何度もあるだろう。しかしそれは今日と同じではない。似て非になる夏だ。今日でなければならなかったのだ。もう来神高校のジンクスにでも頼らなければ、宿敵への恋なんて叶わない。それほど自分と彼の間には溝ができていた。理想の関係になるなんて有り得ない話だった。
元々、下駄箱にラブレターを入れるジンクスは臨也が自分で作り出したものだった。両片想いをしている好都合な人間に教えてやって、その通りにさせて、恋愛を成就させる。それを繰り返して、嘘から出た誠にした。おかげでこの嘘は学校中で広まる本当のおまじないになった。しかし嘘から生まれたおまじないは、臨也自身を助けるどころか臨也を縛り付けた。三年間で回り回って自縄自縛となったのだった。
臨也は鞄から封筒を取り出した。こんな紙切れに縛られるなんて馬鹿みたいだと自嘲する。けれどもこんな紙切れに縋りたかったのは二年前からの事実だった。憎悪しか持たなかった筈が、いつしか憧れに変わったその時から、いつか言葉ではなく文字を通して想いを伝えるのだと決めていた。文字ならば、手紙ならばきっと恋が叶うと自分で自分に言い聞かせて。
再び目の前が潤んだ。誰も居ない歩道で、電灯と星明りに照らされながら一人で涙を零した。白い封筒に滲んでいった。もう叶わなくなった恋を、すっぱりと諦めることができたならどんなに良いだろう。臨也にはラブレターを破る勇気がなかった。
遅れてすみません。因禁8ペーパーの産物でした。
秋の香りがする話だったのに何時の間にか花粉症の季節です。
臨也の力なら噂くらい自分で作れると思います。もしかしたら都市伝説も現実にしちゃえるかも?
恋する乙女のパワーはおそろしいですね!女の髪は魔力たっぷり。
2015.03.14
http://h1wkrb6.xxxxxxxx.jp/